
車をディーラーに預けてる間、てくてく散歩してきました
以前、
お友達から秋田駅からほど近いに
千秋公園の桜の調査命じられましたが・・
開花がずれたので無視してました(。・w・。) ププッ
今日は暇だったので千秋公園のつつじと新緑調査してきました(・∀・)ニヤニヤ
ここは佐竹氏の居城だった
久保田城跡です。
久保田城・・
久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれる。江戸時代の公式文書では「秋田城」と書かれることが多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城であり、今日では「久保田城」の方が一般的である。
雄物川の支流仁別川左岸、程野村窪田[1]にある神明山(しんめいやま、標高40m)に築かれた平山城で、石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており、天守も持たず塁上に御出書院と呼ばれる御殿を建ててその代わりとし、8棟の櫓を建て並べていた。石垣が無いのは幕府に遠慮したためとも、石垣作りに精通した者が居なかったためとも言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったことも挙げられる。いずれにせよ山川沼沢を巧みに利用し防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。
1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、官庁街へと変貌した。現在、久保田城のあった一帯は千秋公園となり、秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館、平野政吉美術館などが整備されている。建造物としては、前述の大火を唯一逃れた御物頭御番所[2]が現存し、本丸新兵具隅櫓[3]、本丸表門が再建されている。
(ウィキペディアより抜粋)
千秋公園入り口の中土橋から見たお堀

お堀の下には
秋田中央道路が走ってます。
入り口でお出迎えのハトさん
二の丸へ向う坂道の途中
二の丸

御物頭御番所
久保田城表門
御隅櫓
散歩も疲れましたが・・・ブログあっぷはもっとくたびれましたε-(。・д・。)フー
もう寝ます・・おやすみ━━(。・Д・。)b━━!!
Posted at 2010/05/19 20:10:16 | |
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秋田のむかしと今 | 日記