・本震
発生時刻 : 1995年(平成7年)1月17日 火曜日 午前5時46分52秒(JST)
震央地名 : 淡路島 / 兵庫県津名郡北淡町(現・淡路市)の北緯34度35.9分、東経135度2.1分
震源の深さ : 16km
地震の規模 : マグニチュード7.3(気象庁マグニチュードMJMA。当初は気象庁マグニチュードMjで7.2だったが、2001年(平成13年)4月23日の気象庁マグニチュードの改訂により7.3に修正された。モーメントマグニチュードは6.9)
・最大震度
震度7(激震・最大震度) - 神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市、宝塚市、淡路島の津名郡北淡町・一宮町・津名町(現・淡路市)の一部
・被害
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
死者の内訳は、兵庫県内6,402名(99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名(0.5%)
負傷者のうち重傷者は県内10,494名(98.2%)・県外189名 (1.8%)
軽傷者:県内29,598名(89.4%)・県外3,511名(10.6%)
死者の県内県外の比率から見て県内の負傷者数は混乱の中、正確には数えることができなかったと推定される。
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模
このデータが何かはお分かりでしょう。1995年、1月17日早朝に起きた阪神・淡路大震災、気象庁命名の正式名称を平成7年(1995年)兵庫県南部地震と言います。
大都市直下を震源とする日本で初めての大地震で、震度7の激震を記録した初めての地震。兵庫県南部を中心に大きな被害を出し、死者数は日本の戦後最多となったそうです。
当時僕は幼稚園で、この地震の被害の甚大さを知る由もありませんでした。
『あんた、さっき揺れたんやけど分かったか?』
朝起きてまず母から言われたその一言。朝早く仕事の為に起きていた母は気付いたようでしたが、寝ていて全く気付きもしなかった揺れ。そして、いつも通り幼稚園に通園してから皆で集まって遊戯室で見せられたあの悲惨な映像が今でも脳裏に焼き付いています。
何が何かも分からないほど荒れ果てた映像が延々と流れる中、かろうじて分かったのは当時から耐震基準が厳しかったであろうガソリンスタンドと、倒壊、火災を免れた家屋やビルぐらい。そしてなす術も無く地震に遭い、茫然と街中を歩く人の姿…
なぜそうなったのか当時は理解できなかった阪神高速3号神戸線の倒壊現場。阪神高速を走行中に地震に遭遇し、乗客を乗せながらも奇跡的に転落寸前で停止した帝産観光の高速バス。
高架構造だった車庫が倒壊し、留置してあった車両の複数が廃車と言う悲惨な目に合った阪神電気鉄道石屋川車庫。
そして道路を塞ぐように倒れていたビルや電柱、建物の残骸…
今でもテレビで流れていた映像が鮮明に蘇ってきます。
この地震で、失われなくて良かった多数の命の灯が消え、また生き残った人たちの心にも大きな傷を付けるという結果になってしまいました。神戸の街も甚大な被害を受け、未だに完全な復興と言うまで達していないのが現状です。もちろん僕が現在勤める会社も岸壁部や建屋が大きな被害を受けました。
僕自身はなにも被害は受けていないとはいえ、今となっては同じ兵庫県民として他人事のように思う事は到底出来ず、今日まで過ごしてきました。でも僕一人では何もできずに、復興していく神戸を見ているだけ…。何か歯がゆい気持ちはあるのですが、人ひとりの力は小さいモノです。何も出来ません。
できる事と言えば、今自分が生きている事に感謝し、そしてこの地震の記憶を後世に絶やす事無く語り継ぐ事ではないでしょうか。地震がもたらす被害の悲惨さ、そしてそこから立ち直ろうとする人々の果てしない頑張りと気持ちの強さ。そしてこの震災によって残された色々な教訓をこれから先、同じ事を繰り返さない為に生かして行かなければいけないと思います。
この場を借りまして、この阪神淡路大震災で亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げるとともに、未曽有の災害から地域の方々の力でここまで復興を遂げた港町神戸の絶え間ない発展を願って
そうめん屋
※不適切な表現等御座いましたら、何なりとご指摘くださいm(_ _)m
Posted at 2010/01/15 21:27:55 | |
トラックバック(0) |
NEWS | 日記