こんばんは☆
昨日のタワーバーの事なんですが…
取り付け不可でした…
今日何となく確認しようと封を切ってみたら…
ん~…?
なんか形が…
上の写真で分かるように、バーのブラケットとの接合部分は前後に向かって穴が開いた形状ですが、その右下にあるブラケットの穴の向きは上向き。しかも長さも足りない。さらにエンジンの上辺りにもボディとの固定部分があるんですが、そこの部分との接合部が写真のように溶接で付けられた状態…
気になって前見た写真と比較すると…
溶接の跡も無ければ、バーとブラケットの接合部分は下向きの穴が一つ空いてる、恐らく1本の素材をプレス加工した感じ…
どうも前期用と中期用では形状が大幅に変わっているようです。多分ブラケットの方を変えればイケるんでしょうが、品番が不明。今のブラケットがあるのでバー本体の方を交換して貰う手筈で話を勧めている最中です。
さすがにまた1万6千円も払えないので、ディーラーが無償交換に応じてくれるかどうか…
木造フリゲート艦・エルトゥールル号(1864年建造、全長76m)は1887年に行われた日本の皇族、小松宮夫妻のイスタンブル訪問に応えることを目的に、訓練不足のオスマン帝国海軍の練習航海を兼ねて日本へ派遣されることとなった。
1889年7月14日イスタンブールを出港。数々の困難に遭いながらも航海の途上に立ち寄ったイスラム諸国で熱烈な歓迎を受けつつ、11ヶ月をかけて翌1890年6月7日ようやく日本に到着した。横浜港に入港したエルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
エルトゥールル号は出港以来蓄積した艦の老朽や、物資、資金不足が限界に達していた。多くの乗員がコレラに見舞われたため9月15日になってようやく横浜出港の目処をつけ、しかし遠洋航海に耐えない老朽ぶりをみた日本側が台風の時期をやり過ごすように勧告するも、その制止を振り切って帰路についた。このように無理を押してエルトゥールル号が派遣された裏には、インド・東南アジアのムスリム(イスラム教徒)にイスラムの盟主オスマン帝国の国力を誇示したいアブデュルハミト2世皇帝の意志が働いており、出港を強行したのも、日本に留まりつづけることでオスマン帝国海軍の弱体化が喧伝されてしまうことを恐れたのだと言われる。遭難事件はその帰途に起こった。
9月16日夜半、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が数十メートルの断崖を這い登って灯台に遭難を知らせ、灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの回復に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。
遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村長の沖周(おき しゅう)に伝えられ、沖は神戸港の外国領事館に援助を求めて生存者を神戸の病院(現在の和田岬)に搬送させるよう手配するとともに、県を通じて日本政府に通報した。知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示した。各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、多くの義捐金・弔慰金が寄せられた。
こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、69名の生存者は一旦東京に送られ、遭難事故の20日後の10月5日に東京の品川湾(現在の品川埠頭から天王洲にかけた一帯)から出航した日本海軍の「比叡」と「金剛」により、翌年の1891年1月2日にオスマン帝国の首都・イスタンブルに送り届けられた。なお2隻には、秋山真之ら海兵17期生が少尉候補生として乗り組んだ。
遭難事件後の日土関係
エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国内に大きな衝撃を呼んだが、アブデュルハミト2世のもとでは人災としての側面は覆い隠され、天災による殉難と位置付けられ新聞で大きく報道されるとともに、遺族への弔慰金が集められた。またこのとき新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている。
こんな事件がありました。日本人の殆どが知らない事件だと言われていますが、トルコでは教科書にも載るほど有名な出来事だそうです。そしてこの事件ののちにこのような出来事もありました。
トルコ航空の関わった事件
イラン・イラク戦争の1985年3月12日、イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まった。テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発した。
宣言後、イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出が計られた。しかし、当時日本では社会党を始めとする左派や市民運動家による自衛隊への風当たりが強く、自衛隊に対し海外へ在留する日本人への緊急脱出をさせる為に活動させるといった法律が無かった(海外派遣不可の原則のために自衛隊機による救援を受けられなかった)。また、日本政府は他国に応援を打診したものの、自国民救出に手いっぱいで機材の予備も少なかったため、断られてしまう。また過去にテヘランに寄港していた日本航空は当時既にテヘランへの寄港を停止していたため、日本政府は現地との調整に手間取り、日本航空チャーター機の派遣も反会社側労働組合の反対と、前記期日までの脱出が困難であることを理由に実現しない(日本航空の組合の反対により日本航空機による救援もできない)という危機的状況にあった。そのため、在イラン日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していた。
このとき、イランの日本大使館の野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された。2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。
某テレビ番組でやっていた事です。他にもポーランドは昔、シベリアにいた自国の孤児たちを日本が快く引き取り、引き取り先の個人の家にて献身的に世話をしてくれた事に際し、阪神淡路大震災で親を失ってしまった子供たちを夏休み期間にポーランドに招待した、という話もあります。
見ていて、ものすごく心にしみる話でした。
この時の日本人の姿が今もトルコの人々の中には残っている。なのに日本では教科書にもマトモに乗っていない。正直恥ずかしい事じゃないのか…と思います。
親日国トルコと言われていますが、逆に親トルコ国日本にしなくてはいけないんじゃ…とか考えてしまいました。
日本にとても友好的な国は沢山あります。でも日本人がそれを知らないんじゃ意味が無い…
と思うのは僕だけでしょうか?
深夜遅くに、ただの独り言でした(^_^;)
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