2014年07月09日
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140623/360480/?ST=DandM&P=1
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東洋工業(現・マツダ)に入社して1年ほど経過した時、ロータリーエンジン(RE)本家の独NSU社が「Ro80」を発売したので、そのREを試験評価する仕事が舞い込んだ。驚いたことに、Ro80のREはマツダのREと比べて低速から高速までトルクも出力も15%ぐらい高かった
試験評価を繰り返すだけの仕事に飽き飽きしていた私は、Ro80の高性能の理由を解析したいと上司の主任に申し出て、許可を得た。解析の手法は、マツダのREの部品をRo80に組み付けることによって性能差を調べるというものである
Ro80の性能が高い理由は、
(1)鋼製3分割アペックスシール
(2)熱変形が少ないトロコイドフォーム
(3)脈動が発生しやすいペリフェラル吸気口の特徴を生かして低速から高速まで体積効率を高める吸排気システム
の3つだった。このことを突き止めた私は、マツダのREも同様の方式を採用するように提案した
だが、私の提案は採用されなかった
(1)については、マツダのアペックスシールはカーボン製なので端部が欠けやすく、3分割にするのが難しい
(2)については、熱変形が少ないトロコイドフォームを製造する方法が分からない
(3)については、マツダのREは脈動が少ないサイド吸気口なので脈動利用の体積効率向上は不可能という結論だった
そして、私は再び退屈な日々に戻った
独身寮で深夜まで文献読破
入社2年目の時、主任から「排ガス規制対策のチームへ行け」と言われた。そのチームから優秀な技術者を迎え入れるに当たり、文句ばかり言って扱いにくい私がトレードになったようだ
これを転機に私の態度は変わった。排ガス規制対策は始まったばかりで確立された技術がなく、まさに新しい研究テーマそのものだった。毎日、排ガス対策に関する世界中の文献をかき集め、独身寮で深夜まで読みふけった。それまで私は寮で遊んでばかりいたので、同僚が「どうしたのか?」と聞いてきたほどだ。その調査結果を「排ガス対策方法」というマニュアルにまとめて社内向けに発行し、社内随一の排ガス対策技術者として知られるようになった
ここで排ガス対策方法について少し触れておこう。当時、排ガス対策の基本技術として俎上に載っていたのは、
サーマルリアクター(T/R)方式と
触媒(CAT)方式
の2つだった
現在と異なり、当時はまだガソリン中の鉛の量が多くCATが鉛被毒によってすぐに劣化してしまう。従って、マツダのREはT/R方式で開発が進んでいた。しかし、ガソリンの完全無鉛化が法的に決まったので、私はCAT方式の可能性を調査した。その結果、CATはアイドリング状態でさえもコンバーター内温度が750℃となるので、熱劣化限界の900℃に対して余裕がないため、T/R方式を本命にせざるを得ないという結論だった
サーマルリアクター方式の採用をあらためて進言
CAT方式では、排気管の途中にCATを置くので再燃焼する理由は理解できる。だが、T/R方式ではエンジン排気口に設けた空洞内に二次空気を注入するだけであり、再燃焼する理由が分からない。さまざまな実験によって、その条件を探った。その結果、
(1)排ガス温度が600℃以上であること
(2)混合気における空気と燃料の質量比(A/F)が14よりも小さいこと
(3)二次空気を注入した時の排ガスのA/Fが15.0より大きいこと
の3つがT/R方式における再燃焼の条件であることを突き止めた
(1)〜(3)の観点では、T/R方式よりもCAT方式の方が有利である
(1)については、CAT方式では触媒全面で再燃焼するのに対し、T/R方式は空洞なのでエンジン冷間始動から排ガス温度が600℃に到達するまでの時間が長く、暖気運転中の排ガスが劣る
(2)と(3)については、CAT方式ではA/Fを15と燃費的に有利な条件にできる上、二次空気供給用のポンプやリードバルブが要らないのに対し、T/R方式ではA/Fを14よりも小さくしなければならないため燃費で劣り、ポンプやリードバルブが必要となる。それでも、CAT方式が熱劣化に弱いことは致命的な欠点だった。そのため、私はT/R方式の採用をあらためて進言し、同方式の採用が決まった
当時、私のところにレシプロエンジンの設計者が排ガス対策方式について相談に来たことがあり、このような経緯から迷わずT/R方式を推奨した。これが、マツダのレシプロエンジン車でT/R方式を採用した理由だった。そして、マツダのレシプロエンジン車が、CAT方式を採用した他社のレシプロエンジン車よりも燃費が悪かった理由でもあった
後日知ったのだが、レシプロエンジンはREに比べ排ガス中の一酸化炭素(CO)が1/5、炭化水素(HC)が1/10ほどしかない。従って、アイドリング時のCATの温度は650℃ぐらいなので、CAT方式で全く問題がなかったのだった。マツダも、5年後にレシプロエンジン車をCAT方式に切り替えて上記の問題を解消した。しかし、RE車では依然として熱劣化問題があったので、その後も継続してT/R方式を採用した
「無差別RE戦略」の始まりと終わり
1970年、米国では、クルマの排ガス中のCO、HC、窒素酸化物(NOx)を1/10にすることを求める「大気浄化法」(いわゆる「マスキー法」)が制定された。1973年には、日本でも段階的にマスキー法並みの排ガス規制を実施することを目的とした法案(いわゆる「国内版マスキー法」)が決定され、私は国内向け車両の排ガス対策システムを研究していた
国内版マスキー法は、エンジン冷間始動時の排ガスが対象になっていないので、規制としては米国のマスキー法よりも緩かった。しかし、マツダは燃費で不利なT/R方式を採用していたこともあり、
「ファミリア」クラスのRE車で4.5km/L(10モード)ぐらいだった。実用燃費は3km/L台
だったのではないか。その上、RE開発初期の「カチカチ山のタヌキ」*1時代に比べたらよくなったとはいえ、
オイル消費が2000km/Lぐらいだったので、5000km走行ごとに高価なオイルを注入する必要があった
自分だったら、こんな燃費やオイル消費が悪い車は絶対に買わないと思った
*1 漏れたエンジンオイルが燃えて白煙を上げながら走る様子をこうなぞらえていた
それでもマツダはRE車をどんどん増やし、
「ファミリア」
「カペラ」
「ルーチェ」
「Bシリーズトラック」
マイクロバスの「パークウェイ」などすべての車種にREを採用した。さらには、
オーストラリアのGM Holden社輸入した車両にREを搭載して「ロードペーサー」として売り出した
パークウェイの実用燃費は、2km/L台だったか。販売台数は2年間でわずか44台といわれる。当時の価格で1台400万円近くした44台のお客さんはどうなったのだろう、と今でも胸が痛む
「船が岸壁を離れるがごとし」
ロードペーサーは、もともと4000ccクラスのレシプロエンジンを搭載していたフルサイズ車に「13B」型RE(レシプロエンジン換算で2600cc)を載せたために、走行実験者が「船が岸壁を離れるがごとし」と揶揄するほどの走りだった。問題は走行性にとどまらず、気温25℃の室内でロードペーサーの排ガスを測定していたらREがオーバーヒートしてラジエーターから熱湯が噴き出すこともあった
それでも何とか対策して売り出したのだろうが、真夏の交差点でロードペーサーがエンストし、“後ろ族”の社長がクルマを押したという話が伝わってきた。ロードペーサーの後部座席に座るような人はマツダ系列の下請け会社の社長ぐらいだろうから、こういった噂は世間に広まらなかったようだ。実際、ロードペーサーは4年間で約800台しか売れなかった。「ルーチェロータリークーペ」もオーバーヒートをはじめとするさまざまな問題によって、3年間で1000台弱しか売れなかった
全国のロードマンから「真夏にRE車の気化器内のガソリンが沸騰してエンストするので何とかしてほしい」と、クルマが何台も持ち込まれた。気化器の燃料通路にベークライトを差し込んで断熱するなどの対症療法で対応したが、完全な対策にはならなかった。売れば売るほど顧客からの苦情が増えて不具合対応の費用がかさむので、RE搭載車はむしろ売れない方がよかったのだ。マツダのRE投資や不具合対応に関連した損失は、膨大な額に達したはずである。
それでも、RE未搭載だった軽自動車の「キャロル」にREを搭載しようとなり、1ローター360ccのREを搭載したキャロルが試作された。しかし、全くといっていいほど走らず、1ローター故に振動が激しく、しかも燃費ばかりが悪いということで、さすがにお蔵入りとなった
ホンダの成功に焦り
1972年にホンダの「CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)エンジン」が世界の自動車メーカーで初めてマスキー法の基準を満たしたことで大きな話題となった。マツダも負けじとREで挑戦し、1973年にクリアした。
この米国マスキー法対応RE車の開発を担当したのは私と同期の入社4年目の同僚だったが、「一刻も早くクリアせよ」との命令を受けた同僚は、T/R方式で混合気を濃くして(A/Fを下げて)、エアポンプを大型化することで対応した。当然ながら、燃費も無茶苦茶だった。T/Rが高熱によって短期間で破損したり、T/R内部の熱腐食による酸化粉をRE本体が吸い込んでエンジンの耐久性を大幅に悪化させたりする問題もあった。
こういったREの問題は、当時の松田耕平社長にほとんど伝わっていなかったか、正確に伝わっていなかったのではないか。正確に伝わっていたら、いくらワンマンといわれた社長でも、すべての車種をREに切り替え、製造工場をレシプロエンジン設備からRE設備にどんどん切り替えるということはしなかったはずだ。
私が1968年にマツダに入社した時、社内にREを搭載したトヨタ自動車の「クラウン」が置いてあった。聞いたところ、トヨタからの引き合いでクラウンにREを搭載して提供したら、返却されてそのままになっていたとのことだった。トヨタは、REに将来性はないといち早く見抜いたのではないか。一方、マツダは地獄に向かって突き進んだ。
おりしも、そこに第1次石油ショックが勃発した。マツダの幹部社員は在庫として積み上がっていた大量のRE車を買わされ、燃費の悪さにへきえきし、早々に手放した。米国では、燃費と耐久性の悪さに対する大規模のクラスアクション(集団訴訟)が発生し、その対応のために優秀な社員を付加価値のない仕事に投入せざるを得なくなった
「REはハイパワー」は幻想
かようにREの燃費は悪いが、それでもREはハイパワーだと信じている人がいまだに多い。しかし、それも幻想である。
REの最大の欠点は、燃焼室が扁平(へんぺい)なので、点火した炎が燃焼室の隅々まで伝播せず、特にTrailing(T)側において途中で消炎すること、すなわちガソリンが燃焼せずに吐き出されることである。当然ながら、トルクや馬力が出るはずもない。さらに、排ガス中の未燃焼成分が排気管に吐き出された後に燃えるので、排気管が真っ赤になったり触媒コンバーターが溶けてしまったりするのである
REの燃焼状態(ハッチング部)図中の「ATDC」は、After Top Dead Centerの意味
他にも、REの構造的問題としては、「点火栓をトロコイド表面から突き出すことができないのでアイドリングなどの軽負荷運転時に点火能力が劣り燃費が悪い」、「ガスシールがアペックスシール、サイドシール、コーナーシールから成るので、低回転域でガス漏れしやすく、トルクが出ない」、「構造的にレシプロエンジンのショートストローク型エンジンに相当するので、低速トルクが出ない」、「ショートストローク型だから高回転域まで回しやすいはずなのに、ローターをアルミ合金製にできず、鋳鉄製にせざるを得ないので、高回転域まで回すことができず、馬力を稼げない」*2、などが挙げられる
*2 REは完全に回転運動しているのではなく、ローターが遊星歯車のように偏心しながら回転している。従って、ローターに遠心力が働くため、鋳鉄製のローターで高回転を回すとローターギアが破損してしまう。一方、アルミ合金製にするとローターの熱変形が大きく、各シール類のガスシール性を維持できなくなる
レシプロエンジンを手や足で回そうとすると圧縮空気の圧力で押し戻される(いわゆる「ケッチンを食らう」)が、REは圧縮空気がスカーッとどこかへ抜けて容易に回すことができる。レース用エンジンの場合、レシプロエンジンは2万回転ぐらいまですぐに回せるが、REは1万回転が限度である。その排気量当たりの馬力は、レシプロエンジンの2/3ぐらいであり、ローパワーである。レースの専門家筋では、「REは非力」が常識となっている。REの排気量はレシプロエンジン換算で2倍だが、1000ccのREは1000ccのレシプロエンジン相当だと誤認されることが「REはハイパワー」との幻想を生んだ要因である。
当然、世界最高峰の自動車レースである「ル・マン24時間レース」で、RE車が日本勢として唯一優勝しているではないかという反論があるだろう。それに対しては次のように説明する。
マツダのRE車が優勝したレースでは、馬力で圧倒的に劣るRE車が後方集団をトロトロ走っていたところ、並み居る強豪車が馬力を出しすぎて次々とリタイヤしていき、いつの間にか先頭に立っていただけである。ル・マンは、エンジン性能だけではなく、ピットの構造やメカニックの作業手順もレース展開に大きく影響する総合力の勝負である。当時、ル・マンでは規則変更によって翌年以降はRE車が出場できなくなったため、最後のチャンスということで全社プロジェクトを組み、タイムロスを最少に抑えながら最後まで走りきるための総合的なシステムを緻密に構築した。REの非力をカバーした戦略の勝利だったのである
バブル経済に乗じた亡霊
バブル経済末期の1990年、マツダは従来の13B型REと3ローターの「20B」型RE(レシプロエンジン換算で4000cc)を搭載した「ユーノスコスモ」を発売した。開発主査は20B型REのあまりの燃費の悪さに苦悶したが、そのまま発売された。購入者は、柄杓でガソリンをばらまいて走っているような1〜3km/Lのハンパない燃費に愕然としたことだろう。20B型REを搭載したユーノスコスモは、5年間で数百台しか売れなかった。石油ショックの時に明らかになっていたREの本質が、バブル経済に乗じて亡霊のごとく現れ、マツダを苦境へと陥れた。後にマツダが米Ford Motor社の傘下に入らざるを得なくなった要因だった。
私が2000年にマツダを退社した後、Ford Motor社による支配の下でRE消滅の危機があった。だが、「サイド排気口」という画期的な方式を採用した「RX-8」でREは息を吹き返した
サイド排気口については、私が新入社員時代に3カ月で7年分のREの知識を修得したRE実験事実速報に次のような報告があった。「サイド排気方式は、Trailing(T)側の未燃焼成分を排気口へ吐き出さないで次の行程に持ち込むようになる。さらに、吸排気のオーバーラップが少なくなるので、残存燃焼ガス量が少なくなって燃焼が改善され、排ガス中のHCが半分になる。しかし、排気口にオイルスラッジが堆積して目詰まりを起こすので採用できない」。
しかし、当時の「カチカチ山のタヌキ」のオイル消費に比べれば、その後のREは改善しているので目詰まりは起こさなくなっているだろうし、そうなればHC半減による燃費改善と排ガス対策システムの簡素化という大きな効果を期待できる。サイド排気方式を持ち出した技術者は、昔の報告書を読み、固定観念にとらわれることなく挑戦した結果、RX-8を生み出したのではないか。
それでも、サイド排気口はREの「扁平な燃焼室」という構造的問題を解消するほどの効果があるわけではない。そして、とうとう2012年にマツダはREの生産中止を決めた。
今もREの復活を期待している人は多い。そんな人々がREに抱いている夢やロマンを壊すような話で本当に恐縮なのだが、事実は冷徹に見る必要がある。REに憧れてマツダに入社した私だが、技術者として顧客目線で冷静に事実を見ていた
・次回に続く (2014/07/23公開予定)
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Posted at 2014/07/09 21:15:25 | |
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2014年07月07日
本当は日曜日に上がってたんだけど引取の都合で今日代車を返しに行ってまいりました。
今回は車検と同時に以前から問題起こしてたパーツ類でMSF乗りのお仲間から譲っていただいたパーツで修復もおこない、工賃がちょっと掛かったけど大満足。
リヤスタビのギシギシ音もほぼ新品のスタビ&ブッシュで無音になったし、右端が欠けてブサイクだったエアスプリッター買った時の姿に戻りました。
でも、今の会社に入ってすぐにやっちまった左のサイドスカートはういたまままま(T_T)
ハズレはしないけどカッコ悪いし何とかしたいなあ。距離から言って降りるのが先か?
あと、車検のチェックでみつかった不具合としてブレークフルードのタンク蓋の液漏れ、ラジエーターの蓋の漏れ、エア吸入経路のヒビ、フロントスタビライザーに繋がっとる何とか言う奴(伝票車の中においてるから名称忘れた)のゴムブーツ破れなど。
あと、この距離無交換で走っておきながら今更変えるんかいとか言われそうですがエンジンマウントも交換してもらったらdラーから家まで帰る信号待ちでちょっと振動が違う感じ。
なんだかんだで19諭吉かかりましたが、これであと2年頑張れるかな。
ほんまはサス変えたいんだけどなー(´・ω・`)
Posted at 2014/07/07 19:23:21 | |
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