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トニー滝谷のブログ一覧

2009年07月09日 イイね!

すべてを俎上に [All Things Considered]

すべてを俎上に [All Things Considered]夫を亡くしたあとに、私は何度もたまらなく悲しい気分に陥った。そんなあるとき、劇場で晩を過ごせば少しは気も晴れるかと、芝居を観にいくことにした。私の家はイーストヴィレッジにあって、劇場は三十四丁目。私は歩いていくことにした。歩き出して五分も経たないうちに、一匹の雑種犬がついて来はじめた。ふつう犬が飼い主相手にやることを、その犬もやった---少し離れて何か探索しているかと思えば、また舞い戻ってきてご主人の様子を窺う。私は興味をそそられて、犬を撫でてやろうかとかがみ込んだが、犬はさっと跳び去った。他の通行人も何人か、その犬が気に入った様子で、おいでおいでと誘ったりしたが、犬は知らん顔をしていた。私はアイスクリームを買って、分けてやろうかと差し出したが、それでも寄ってこようとしない。劇場も近くなってくると、この犬はどうなってしまうんだろうと気になってきた。私が劇場に入る直前、犬はとうとう近くに来て、私の顔をまっすぐ見据えた。そこには、思いやりに満ちた夫のまなざしがあった。

イーディス・S・マークス
ニューヨーク州ニューヨーク

NPR - Weekend All Things Considered: National Story Project
www.npr.org/programs/watc/features/1999/991002.storyproject.html


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www.youtube.com/watch?v=7dLAsHpMiBc
Jeff buckley - The Last Goodbye
Posted at 2009/07/09 20:44:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | All Things Considered | 暮らし/家族
2009年06月21日 イイね!

すべてを俎上に [All Things Considered]

すべてを俎上に [All Things Considered]『ファレル』

私のまたいとこに、ファレルという男がいた。重いてんかんをわずらっていて、実家の奥の薄暗い小部屋に寝起きしていた。当時はこれといった治療法もなかったので、職にはついていなかった。週に二度、一ブロック半先の「ブルーグラス・グリル」まで歩いてストロベリーパイを買いにいくほかは、家から出ることもまれだった。
子どもの頃、ファレルとは年に一度だけ顔を合わせていた。クリスマスの日に一家総出でプリマスに乗り込み、彼の家にフルーツケーキを届けに行くのだ。ファレルはいつも奥の部屋から出てきて、こちらが気恥ずかしくなるほど一生懸命に、私たちと世間話めいたものをしようと努力した。そうやって話し出すと、恐ろしく長い話しになってしまうことがよくあった。本人は面白いと思っているらしく、ゲタゲタ笑いながら話すのだが、私には何が言いたいのかさっぱりわからず、いつも途中から上の空だった。話を聞きながらドアのほうに目をやって、早くあそこから出て行けたらいいのに、と思っていた。やがて父が両手でポンと膝をたたいて立ち上がり、「さて、そろそろ失礼するかな。これからまだ何件も回らなきゃならんのでね。良い新年を!」と言う。それを合図に私たちは、コートやら帽子やらマフラーやらを茶の間の馬簾織りのソファからそそくさと取り上げ、それきり次のクリスマスまでこの家を訪れることはなかった。
大きくなるにつれて、私はますますファレルの話をいい加減に聞き流すようになった。彼の話し声は、母親が大音量でかけっぱなしにしているテレビの音にまぎれて、右の耳から左の耳へ抜けていった。私にとってはそれはもう、今後一年の解放を約束する嬉しい膝ポンの音がするまでやり過ごすべき雑音のひとつに過ぎなかった。
そのうちに、年に一度のこの行事も途絶えてしまった。私は大学に進み、卒業してまた故郷に戻ったが、今さらあの家にフルーツケーキを届けに行く義理も感じなかった。そうなってしまうと、ファレルはもうこの世に存在しないも同然だった。いつしか彼は私の中で、生身の人間から、子どもの頃の遠い思い出に変わっていった。
だから、あの晩ひどく恐ろしい夢を見て目を覚ましたときは、なぜ彼が出てきたのかと不思議でならなかった。夢の中で、ファレルは広い道路の反対側に立っていた。四車線の車の流れの向こうから、大げさな身振りで、しきりに私に向かって手招きしていた。顔は全く無表情だったが、何かとても大切なことを伝えたがっているということは、はっきりわかった。私は通りを渡ろうとして、何度も足を踏み出しかけた。
ところが、渡ろうとするたびに車がやってきて邪魔をした。クラクションが鳴り響き、トラックや自家用車や大きな黄色いバスが猛スピードで目の前を通り過ぎた。向こう側に行きたいのに、どうしてもそれができない。そこではっと目が覚めた。
次の朝、父から電話があり、前の晩にファレルが急死したことを知らされた。
死の間際にファレルの想いのようなものが私に届いた、と言ってしまえばそれまでだ。だが、それならなぜ私は道路を渡れなかったのだろう? 死者と生者の間には深い淵のようなものがあって、たとえ夢の中でも、生きている人間は決してそれを越えることが出来ないのだ-----できればそんな風に思いたい。だから私も、ファレルが最後に伝えようとした話をついに聞くことができなかったのではないか。でも、もしかしたら、と私は思う。遠い昔、果てしなく長く感じられたあのクリスマスの日々に、私は自分と同じ生きた人間を、実家の奥の薄暗い小部屋で一生を送った一人の人間を、無視することがあまりに巧くなりすぎてしまったのではないだろうか。

ステュー・シュナイダー
ケンタッキー州アッシュランド


NPR - Weekend All Things Considered: National Story Project
www.npr.org/programs/watc/features/1999/991002.storyproject.html
Posted at 2009/06/21 22:06:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | All Things Considered | 暮らし/家族
2009年05月23日 イイね!

すべてを俎上に [All Things Considered]

すべてを俎上に [All Things Considered] カリフォルニア州サンディエゴに住む女性より

 私は生後八ヶ月で孤児院から引き取られて養子になりました。それから一年と経たないうちに、養父が突然亡くなりました。未亡人となった養母は、やはり養子だったほか三人の子供とともに私を育ててくれました。養子になった人間は、実の親に好奇心を抱くものです。二十代後半になって、すでに結婚もしていた私は、探してみることにしました。
 私はアイオワで育てられたのですが、果たせるかな、二年探した末に、実の母親がアイオワ州デモインにいることがわかりました。会いにいって、二人で食事に出かけました。実の父親は誰なのかと訊いてみると、名前を教えてくれました。どこに住んでいるのかと聞くと、「サンディエゴ」という答えが返ってきました。サンディエゴは私が五年前から住んでいる街です。知りあいは一人もいませんでした。とにかくサンディエゴで暮らしたいという気持ちがあるだけでした。
 あれこれ調べた結果、私の勤め先があるビルは、父の勤め先の隣にあることが判明しました。私たちはよく同じレストランで昼ご飯を食べていたのです。父の生活をかき乱す気は毛頭なかったので、父のいまの奥さんに私の存在を知らせたりはしませんでした。もっとも父は、昔からちょっとした遊び人だったらしく、いつも内緒のガールフレンドがいたようです。最後のガールフレンドも十五年以上「一緒」だった人で、その人が私にとってもずっと、父に関する情報源となってくれました。
 五年前、アイオワにいる実の母が癌で死にかけていました。それと同時に、父の恋人から電話があって、父が心臓の合併症で亡くなったと知らされました。私はアイオワの母の入院先に電話して、父の死を伝えました。母はその晩に亡くなりました。二人の葬儀が、来る土曜のまったく同じ時間に行われることを私は知らされました-----父の葬儀はカリフォルニアで午前十一時から、母の葬儀はアイオワで午後一時から。



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Lenny Kravitz - Let Love Rule
Posted at 2009/05/23 22:15:19 | コメント(3) | トラックバック(0) | All Things Considered | 暮らし/家族
2009年04月07日 イイね!

すべてを俎上に [All Things Considered]

すべてを俎上に [All Things Considered]『グラッパ山 』

 1917年6月、私の父は卒業式を待たずにグリンネル大のキャンパスを去り、シカゴの赤十字救急隊に加わった。出動可能な傷病兵運搬車は既にあらかた海外に送られていた。隊員たちは陸軍の新兵と同じ教練を受けた後、傷病兵運搬車での訓練を全く受けることなくヨーロッパの戦地へ送られた。
 父の行き着いた先は、北イタリアはグラッパ山の麓だった。父たち運転手は原始的な傷病兵運搬車を何台かあてがわれた。野営地の周りを何度か回っただけで、彼らはイタリア兵たちがオーストリア=ハンガリー帝国と激しくぶつかり合っている峠を目指して山を登った。道はヤギの通り道と大差なかった。下り坂で車の制御もろくに利かないことを知りながら暗闇の中を走ることもしょっちゅうだった。
 11月の攻撃は一進一退が続いた。そのうちにやっとフランスとイギリスから増援隊が到着し、敵軍はアルプスの冬が本格化する頃に押し返された。
 敵は再び塹壕を掘り、春には新たな攻撃が開始された。現在の記録では、この2度にわたるイタリアでの衝突の損耗人員数は、15万人以下と推定されている。
 負傷者があまりに多かったため、山嶺の医療施設はパンクした。イタリア軍司令部は、敵の負傷兵は無視してイタリア軍負傷兵だけを運びおろすべし、と言う命令を衛生兵たちに伝えた。この方針転換は救命隊員たちには不評で、私の父の不満は特に大きかった。人の命を救うためにはるばる来たというのに。
 その命令が下ってからまもなく、父はオーストリア軍の兵士を助け起こし、傷病兵運搬車へ運ぼうとした。イタリア軍兵士が、止まれ、そいつを下ろせ、と命令した。「嫌だ」と父が言うと、イタリア兵は「それなら俺はお前を打つ」と言った。そうしてライフルを構えて狙いを定め、アメリカ人の傷病兵運搬車運転手は負傷した男を抱えてただ立っていた。永遠とも思われる間、彼らは向き合っていた。どちらも20代前半で、戦争に巻き込まれるなんて考えてもいなかった若者たちだった。
 どれくらいの間そうしていたのか、それはわからない。やがて二人は笑いだし、イタリア兵は父に行けと合図した。まだ笑いながら、父はオーストリア人を山の麓に運んでいった。

メアリ・パーソンズ・バーケット
ミシガン州ポーポー

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Chris Cornell - Seasons
Posted at 2009/04/07 00:31:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | All Things Considered | 暮らし/家族
2009年03月30日 イイね!

すべてを俎上に [All Things Considered]

すべてを俎上に [All Things Considered]『二つの愛』

1977年10月、僕は12才で、野球とコルビーに夢中だった。コルビーとはうちで飼っていた、ゆっさゆっさと歩く気取り屋の黒猫である。ある日の午後、それら二つの愛が奇怪な遭遇を遂げた。
玄関前の塀にボールを投げて遊ぶのにも飽きた僕は、プラスチックバットを庭に持ち出して、4つか5つあるボールを前へ後ろへ打ちはじめた。ボールは1つまたひとつと、古い梨の木の枝に引っかかってしまった。まもなく、残るボールはひとつだけになり、それもやがて同じ運命をたどった。僕はひどく落ち込んだ。あの木に登るのはちょっと無理だ。僕はジム・オトゥール・モデルのグラブをボールめがけて投げ上げた。グラブは木に引っかかった。今度はペラペラのバットを投げてみた。バットも引っかかった。次はスニーカーをなくす番かというところで、コルビーがゆっさゆっさと登場した。彼は首を傾け、しばし座り込んで、僕の情けない姿を観察していた。それから我がヒーローは毅然と木を上っていき、巧みにその一番奥まで進んでいって、人質となったスポーツ用品をひとつずつ器用に叩いてまわった。いくらかもしないうちに、唖然としている僕の手の中に、最後のひとつが落ちてきた。

ウィル・コフィ
イリノイ州ノースリバーサイド

NPR - Weekend All Things Considered: National Story Project
http://www.npr.org/programs/watc/features/1999/991002.storyproject.html




Mr.Children - タガタメ

Posted at 2009/03/30 01:09:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | All Things Considered | 暮らし/家族

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・カエルくんとは 1987y PORSCHE 911 3.2 Carrera。愛称、カエルくん。2007年12月に、友人のところから僕のところへ引っ越してきま...
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