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『ファレル』
私のまたいとこに、ファレルという男がいた。重いてんかんをわずらっていて、実家の奥の薄暗い小部屋に寝起きしていた。当時はこれといった治療法もなかったので、職にはついていなかった。週に二度、一ブロック半先の「ブルーグラス・グリル」まで歩いてストロベリーパイを買いにいくほかは、家から出ることもまれだった。
子どもの頃、ファレルとは年に一度だけ顔を合わせていた。クリスマスの日に一家総出でプリマスに乗り込み、彼の家にフルーツケーキを届けに行くのだ。ファレルはいつも奥の部屋から出てきて、こちらが気恥ずかしくなるほど一生懸命に、私たちと世間話めいたものをしようと努力した。そうやって話し出すと、恐ろしく長い話しになってしまうことがよくあった。本人は面白いと思っているらしく、ゲタゲタ笑いながら話すのだが、私には何が言いたいのかさっぱりわからず、いつも途中から上の空だった。話を聞きながらドアのほうに目をやって、早くあそこから出て行けたらいいのに、と思っていた。やがて父が両手でポンと膝をたたいて立ち上がり、「さて、そろそろ失礼するかな。これからまだ何件も回らなきゃならんのでね。良い新年を!」と言う。それを合図に私たちは、コートやら帽子やらマフラーやらを茶の間の馬簾織りのソファからそそくさと取り上げ、それきり次のクリスマスまでこの家を訪れることはなかった。
大きくなるにつれて、私はますますファレルの話をいい加減に聞き流すようになった。彼の話し声は、母親が大音量でかけっぱなしにしているテレビの音にまぎれて、右の耳から左の耳へ抜けていった。私にとってはそれはもう、今後一年の解放を約束する嬉しい膝ポンの音がするまでやり過ごすべき雑音のひとつに過ぎなかった。
そのうちに、年に一度のこの行事も途絶えてしまった。私は大学に進み、卒業してまた故郷に戻ったが、今さらあの家にフルーツケーキを届けに行く義理も感じなかった。そうなってしまうと、ファレルはもうこの世に存在しないも同然だった。いつしか彼は私の中で、生身の人間から、子どもの頃の遠い思い出に変わっていった。
だから、あの晩ひどく恐ろしい夢を見て目を覚ましたときは、なぜ彼が出てきたのかと不思議でならなかった。夢の中で、ファレルは広い道路の反対側に立っていた。四車線の車の流れの向こうから、大げさな身振りで、しきりに私に向かって手招きしていた。顔は全く無表情だったが、何かとても大切なことを伝えたがっているということは、はっきりわかった。私は通りを渡ろうとして、何度も足を踏み出しかけた。
ところが、渡ろうとするたびに車がやってきて邪魔をした。クラクションが鳴り響き、トラックや自家用車や大きな黄色いバスが猛スピードで目の前を通り過ぎた。向こう側に行きたいのに、どうしてもそれができない。そこではっと目が覚めた。
次の朝、父から電話があり、前の晩にファレルが急死したことを知らされた。
死の間際にファレルの想いのようなものが私に届いた、と言ってしまえばそれまでだ。だが、それならなぜ私は道路を渡れなかったのだろう? 死者と生者の間には深い淵のようなものがあって、たとえ夢の中でも、生きている人間は決してそれを越えることが出来ないのだ-----できればそんな風に思いたい。だから私も、ファレルが最後に伝えようとした話をついに聞くことができなかったのではないか。でも、もしかしたら、と私は思う。遠い昔、果てしなく長く感じられたあのクリスマスの日々に、私は自分と同じ生きた人間を、実家の奥の薄暗い小部屋で一生を送った一人の人間を、無視することがあまりに巧くなりすぎてしまったのではないだろうか。
ステュー・シュナイダー
ケンタッキー州アッシュランド
NPR - Weekend All Things Considered: National Story Project
www.npr.org/programs/watc/features/1999/991002.storyproject.html
Posted at 2009/06/21 22:06:41 | |
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