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『グラッパ山 』
1917年6月、私の父は卒業式を待たずにグリンネル大のキャンパスを去り、シカゴの赤十字救急隊に加わった。出動可能な傷病兵運搬車は既にあらかた海外に送られていた。隊員たちは陸軍の新兵と同じ教練を受けた後、傷病兵運搬車での訓練を全く受けることなくヨーロッパの戦地へ送られた。
父の行き着いた先は、北イタリアはグラッパ山の麓だった。父たち運転手は原始的な傷病兵運搬車を何台かあてがわれた。野営地の周りを何度か回っただけで、彼らはイタリア兵たちがオーストリア=ハンガリー帝国と激しくぶつかり合っている峠を目指して山を登った。道はヤギの通り道と大差なかった。下り坂で車の制御もろくに利かないことを知りながら暗闇の中を走ることもしょっちゅうだった。
11月の攻撃は一進一退が続いた。そのうちにやっとフランスとイギリスから増援隊が到着し、敵軍はアルプスの冬が本格化する頃に押し返された。
敵は再び塹壕を掘り、春には新たな攻撃が開始された。現在の記録では、この2度にわたるイタリアでの衝突の損耗人員数は、15万人以下と推定されている。
負傷者があまりに多かったため、山嶺の医療施設はパンクした。イタリア軍司令部は、敵の負傷兵は無視してイタリア軍負傷兵だけを運びおろすべし、と言う命令を衛生兵たちに伝えた。この方針転換は救命隊員たちには不評で、私の父の不満は特に大きかった。人の命を救うためにはるばる来たというのに。
その命令が下ってからまもなく、父はオーストリア軍の兵士を助け起こし、傷病兵運搬車へ運ぼうとした。イタリア軍兵士が、止まれ、そいつを下ろせ、と命令した。「嫌だ」と父が言うと、イタリア兵は「それなら俺はお前を打つ」と言った。そうしてライフルを構えて狙いを定め、アメリカ人の傷病兵運搬車運転手は負傷した男を抱えてただ立っていた。永遠とも思われる間、彼らは向き合っていた。どちらも20代前半で、戦争に巻き込まれるなんて考えてもいなかった若者たちだった。
どれくらいの間そうしていたのか、それはわからない。やがて二人は笑いだし、イタリア兵は父に行けと合図した。まだ笑いながら、父はオーストリア人を山の麓に運んでいった。
メアリ・パーソンズ・バーケット
ミシガン州ポーポー
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NPR - Weekend All Things Considered: National Story Project
http://www.npr.org/programs/watc/features/1999/991002.storyproject.html
Chris Cornell - Seasons
Posted at 2009/04/07 00:31:21 | |
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