飯山御大のブログより。
【転載開始】
「評論(批評)」の虚しさを悉皆したうえで、
「評論」を社会的価値のあるジャンルにまで高めたのは小林秀雄だった。
批評し批判し非難することの虚しさは、
それが自己満足でしかないからである。
つまり、批評し批判しても、一切何も変わらない。
ブログにも、安倍や金正恩や中国や韓国を批評・批判・非難する文章が散見されるが、
それは単なる憎悪感の表明でしかない。
私も、本ブログにおいて、批判や批評をする。
しかしソレは、安倍や金正恩や中国や韓国の「情勢・状況」を見極めた上で、
私自身の行動の指針(判断基準)とするためである。
薩摩川内原発について言えば…、
私達が、いま、「反対!」をいくら叫んでも、何も変わらない。
だから、私は、いまは、「反対!」を言うだけの行動」はしない。
私がすることは、薩摩川内原発の「今」と「将来」を見極め…、
鹿児島から(私が)逃げるべきかどうか? これを判断することだけだ。
香港はEー。「反対!」を叫べば、政治が(多少は)変わるのだから…。
日本は…、何も変わらない。年を経るたびに、どんんどん悪くなっていく…。
【転載終了】
Posted at 2014/10/02 16:48:19 | |
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