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だいこん@F39のブログ一覧

2018年11月28日 イイね!

ぎょうざ倶楽部2019

ぎょうざ倶楽部2019 「餃子の王将」のスタンプカード。
 来年分の「ぎょうざ倶楽部」の権利を獲得するためのラリーが、今年は例年より少し早めの6月下旬にゴング(http://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS00845/8d8ef220/0f98/4d6e/ae51/b18c5bb2cd05/140120180619467012.pdf )。
 当然今回も参戦したものの、随分時間をかけて、のんびりとスタンプを集めてしまったことが反省点。
 もう少し余裕を持って終わらせたかったな(笑)

 スタンプ50個でもらえる賞品は「ペアマグカップ」「目覚まし時計」「餃子返し」のいずれか1つ。
 コンプリートでの達成を目前に、まぁもらうなら「ペアマグカップ」かなと思っていた。
 10月後半と11月後半の「スタンプ2倍押しキャンペーン」という名のカンフル剤を活用しながら、本日めでたくスタンプ50個に到達!!
 だいこんさんが入店するとよく焼きのコーテルが爆速で出てくる(笑)新松戸店で、嬉嬉として賞品と500円の割引券を手にするのであった(*´▽`*)

 今回の押印戦歴は以下の通り。

  1~ 3 セブンパークアリオ柏店
  4   京阪守口市店
  5~12 新松戸店
 13~14 印西牧の原店
 15~19 新松戸店
 20~26 鶴見店
 27   新松戸店
 28   新橋店
 29~38 牛久栄町店
 39~41 新松戸店
 42~46 つくば赤塚店
 47~50 新松戸店



 股にかけたのは僅か8店舗という省エネラリー。これも反省点の一つと言えよう(ちなみに昨年は11店舗)。

 今年は年明け早々に「ぎょうざ倶楽部」のグレードアップスタンプラリーが始まってしまい、終わってみれば年がら年中「王将=スタラリ」という状況である。
 来年も、年明け早々にスタラリが待っていることも予想される(「ぎょうざ倶楽部2019」の割引率も今のところ5%止まりだし)。
 しかし、それでも・・・スタンプ集めるんだろうなぁ(汗)

 手元に収めたマグカップを眺めては喜びを噛みしめるのであった。
 ちなみに、今夜の晩ご飯は王将の自宅コーテル(=買い置きしておいた生餃子を家で焼く)!!(*´▽`*)
Posted at 2018/11/28 22:05:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 餃子の王将 | グルメ/料理
2018年11月11日 イイね!

東京メトロ6000系を振り返る

 営団・東京メトロ6000系が引退した(https://blogs.yahoo.co.jp/daikon_1980/43803585.html )。

 自身が幼い頃から地元を走っていた長老。
 その引退は、寂しいものがある。

 ざっと手元の写真を探したところ幾つか6000系の写真が出てきたので、回顧録として・・・。
 (過去にブログ等の記事に掲載したものもあります)


 祖師ヶ谷大蔵で撮影した6113F。フレーミングに難ありだけど(^^;
 「多摩急行我孫子87S」。前面LEDには、隙間なく行き先と運番が表示されている。
 40年選手が現代仕様に対応するための、目一杯の措置であることがうかがえる。
 120112撮影。


 我孫子で撮影した6102F。
 まさかこの編成が6000系現役最後まで残るとは・・・。
 夏場だから光線が粘ってくれた。
 120710撮影。


 綾瀬で撮影した6000系ハイフン車。
 脚光を浴びぬまま、しれっと05系に置き換えられてしまった・・・。
 今でもハイフン車は、人知れず活躍しているとのことですが。
 140115撮影。


 南柏で撮影した6108F。
 10連最後の田窓車として注目された編成。
 そのくせ側面が薄い記録だorz
 この頃から6000系の記録を真剣にしてきたが・・・玉数は思ったより少ないままだった。
 160111撮影。


 南柏~北小金で撮影した6119F。
 個人的に地味な編成だったが、マト110ラッピング編成狙いの合間にしっかり記録していたようだ。
 161221撮影。


 我孫子で撮影した6102F。
 6000系にとって最後の大ネタではなかろうか。
 行き先は「湯島」、そして運番は本来JR車で走る「11K」。
 突発的な運用変更のため、同業者はゼロだった。
 常時携帯しているコンデジで撮ったが、欲を言えば一眼レフで撮りたかった。
 180417撮影。
Posted at 2018/11/11 23:52:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 趣味
2018年11月11日 イイね!

営団地下鉄6000系、引退

 実を言うと、幼少の頃は営団6000系という車両が好きではなかった。
 ドアの窓が小さく、背の低い子供の頃の自分にとっては、外を見ることができない車両という認識があった。
 おまけに運転席真後ろにある窓もとびきり小さく、とにかく乗ってもつまらない車両、という認識だった。
 あの、列車が動くときに変な音のする千代田線には、乗りたくなかった。

 6000系のドア窓から景色が見られるようになるくらい成長した頃、自分の脳味噌もそれなりに成長し、鉄道好きとしても頭角を現していただろう頃だった。

 子供なりに何となく新しい技術が導入されているだろう、という認識があった。
 ブレーキの音も静かだ(終点の我孫子駅で「ピシャーン!!」って言わない)し、列車が止まっているときに車体が大きく揺れていることから、車体が軽いであろうということも何となく理解していた。
 後に「チョッパ制御」という言葉を覚え、やがてこの車両が日本の鉄道のパイオニアといえる存在だったことを知り、それから6000系に対する見方が変わった。



 ・・・ちなみにこの時点で小4(笑)



 地元路線で当たり前のように走っていた6000系だが、時が経つと共に変化が見られるようになり、それらもずっと記憶にある(とはいえ自分の世代だと非冷房の6000系はあまり記憶になく、それ以降の話になるが)。
 緑地の方向幕がローマ字入りの紺地のものになり、編成によってはLED化された。
 地味に帯も板からフィルムになったんだっけ。
 チョッパ制御からVVVFインバータ制御になったのは、驚きと共に何とも言えない寂しさを感じた。独特の音が聞けなくなり、独特の焦げ臭さもなくなった。
 田窓は1段下降窓へ改造され、やがて窓が大きいドアに交換される編成も出てきて・・・。

 16000系が登場してから、6000系のカウントダウンが始まったのは言うまでもない。
 廃車、そして第二の人生で海外に渡る編成が出てきた。
 5年前から毎日電車で通勤しているが、常磐線内で6000系の姿を見ずに終える一日も、ちらほら出てきた。
 6000系にとっての救いは、後継者の16000系が先輩と同じようにローレル賞を授かったことだろう。

 さて、6000系の活躍の場がいよいよ縮小されてきた。
 小田急線内への乗り入れができなくなり、常磐緩行線への乗り入れも朝方にちょろっと松戸まで来る程度になってしまった。
 厳密に言うと、自身の地元では6000系が見られなくなった。
 その合間に209系1000番代が引退することが決まり、常磐緩行線が俄に騒がしくなってきた。



 地元を走っていた6000系、やはり営業運行最終日には行かねばならない。



 そう決心するのは当然のことだった。

 人が多く集まると、色々とお騒がせする輩がいるのはわかっていた。
 それでも自分なりに、最後の6000系の活躍を見届けたかった。
 写真撮影は期待していない。どうせ人がいっぱいで、まともなものは撮れないだろう。
 そして、やっぱりまともには撮れなかった(汗)



 6000系1次量産車の6102F、多くのファンに見守られ綾瀬駅に入線。


 撮影もそこそこに、車内へ移動する。
 新製時には非冷房車だった名残の扇風機が、元気に動いていた。もう、これだけで感動。
 7人掛けだけど実質6人掛け(苦笑)のフカフカの椅子に、幸い西日暮里から座ることができた。


 今どき、こういう形の吊革もなかなか見られなくなった。


 個性的な袖仕切り。
 ちょっとの間6000系を見なかっただけなのに、妙に懐かしく感じた。


 子供の頃、憎たらしくてしょうがなかった窓の小さいドア。
 これが6000系の個性のひとつなんだけどね。

 いよいよ霞ヶ関から綾瀬まで、最後の運用に就く。
 営団ロゴの復活は、感涙に値する。
 何を誤ったか、最も混雑する先頭車両に乗車してしまった。
 それでも大手町で座ることができて、開き直って最後の6000系で居眠りでもしてやろうかと思ったが・・・まぁ、これだけ興奮している状況だったらできるわけない(笑)

 霞ヶ関から綾瀬へのファイナルランはあっという間。
 撮影地が限られている中、荒川の河川敷には多数のファンが三脚を据えて撮影に勤しんでる、そんな様子が車窓から見られた。
 ホームの狭い綾瀬駅、一気に6102Fの乗客が吐き出される。
 多くのファンに見守られ、6000系は北綾瀬まで回送されていった。



 当たり前のように見ることができた6000系。
 地元を走っていた定期運用の旅客車両で、遂に自分より年上の車がいなくなった。
 中には既に自分より年下の車も引退しているわけで、いよいよ地元路線の刷新が終わってしまったように感じる。
 寂しさを感じるのは、鉄道ファンの性とも言えよう。



 有り難う、6000系。
 いつかインドネシアに会いに行けるように頑張るからね。
Posted at 2018/11/11 22:48:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 趣味
2018年11月08日 イイね!

最終学歴は誰のもの

最終学歴は誰のもの 不肖、実を言うと18歳にして、巨額の借金をすることになりました。
 その金額、240万円。
 当時18歳の身ですから、想像できないくらいの金額。
 到底すぐに用意できる金額ではありません。



 しかし、高校生だった自分が、自分なりに考えて、返済の日が霞んで見えるような金額のお金を借りる決心をしました。



 貸し主が提示した条件は、社会人になってから毎月13333円ずつ返済するように、とのこと。
 回数にすると180回払い。15年ローンということですね。
 幸いにも無利息でいい、とのことでした。



 借りたお金を何に使ったか。
 それは、学費・・・いわゆる「奨学金」です。
 無利息、つまり幸いにも「第一種奨学金」で借りることができました。



 ところで・・・
 社会人になってから、クルマを買うのにローンを組みました。
 5年ローンを組んでクルマを買ったら「自分のクルマになるのは5年後だね」なんて、冗談半分で言ったりするじゃないですか。
 で、ローンの支払いを終えると「これでようやく『自分のクルマ』になったよ」なんて言ったりして。

 この理論に当てはめると、奨学金で大学に通い、奨学金で大学を卒業した身としては、さしずめ「大卒が自分の学歴になるのは15年後だね」といったところでしょうか。
 きっと日本には「自分の学歴」を手にするまでに、卒業してから時間を要する人が少なからずいると思います。 



 2018年10月27日。
 奨学金の最後の口座振替を終えました。
 それから数日後、自宅に一通のはがきが届きました。
 「日本育英会」改め「独立行政法人日本学生支援機構」から届いた隠蔽はがき。
 開けてみるとそこに「返還完了証」という文字がありました。



 15年間、当たり前のように毎月27日に引き落とされていた13333円。
 翌月からは、その引き落としがありません。
 何だかまだ実感が沸かないですね、と思えてしまうくらい、長い年月支払いを続けていたことは確かなようです。
 借りたものを返しただけのことではありますが、「返還完了証」を手にして、あらためて「最終学歴は自分のもの」になったことを感じました。



 最終学歴は国立大学や六大学のような秀でた大学もなければ、知名度も決して高くない大学です。
 当時そういうものには参加しませんでしたが、合コンではさぞかし振り向かれもしない大学でしょう(笑)



 しかし、あることには名実共に突出している学部・学科であり、そこに属している身として熱心に勉強したことは今でも自負しています。



 そもそも、18歳のはな垂れ小僧が240万円の借金を決意した理由のひとつに、「『4年間』という時間を買う」というものがありました。
 元来、親父からは「大学は楽しいところだ」という教えがあり、憧れもありました。
 楽観的な性格なので、自分ならきっとその場で楽しく過ごせるだろう、という根拠のない自信もありました。
 結果的には思っていた以上に貴重なキャンパスライフを過ごすことができ、それは今でも密かに誇りに思っています。



 日本人は、何事にも「借りる」という行為に抵抗を感じるものだと思います。
 しかし、借りなければ実現できないこともあります。
 いつでもクルマをキャッシュで買える人なんてなかなかいないでしょうし、ましてやマイホーム購入なんて、だいたいの人は途方もない年月の住宅ローンで手にするわけです。中には借金をしてまで起業する人だっているのですから。
 そして、そこでだいたいのケースで発生するのは「利息」。
 個人的に、この利息というものは「金で時間を買う行為の対価」だと思っています。



 たとえば、高卒で就職して毎月13333円を貯金して、15年後に大学受験をして、大学に入る。
 これが現実的でしょうか。
 社会人を経験した33歳が、その立場をかなぐり捨てて大学受験をして、学生になることが、果たして現実的かつ理想的なのでしょうか(人によっては結婚もしている年齢でしょう)。



 ・・・何だか、自分で面倒くさい方向の話にしてしまっていますね(汗)



 話を戻しますが、これまで自分は、学歴というか、学生時代に経験したあらゆることに、些かの誇りを持っていて、その思いを胸に秘めていました。
 その思いをようやく、自力で、自分のものにした、という思いです。



 これで、ようやく最終学歴は自分のものになりました。



 大学に進学したことに、言うまでもなく後悔はありません。
 その経験が、経済的な意味でも完全に自分のものになったことは、この上ない喜びです。
 38歳になりますが、自分の中ではここで一度卒業式、という気持ちです(^^;
 今は学閥社会とは縁遠い仕事をしていますが、それでも密かに誇りに思っている自身のキャンパスライフ。
 ようやく自分のものになった、と噛みしめている今日この頃です。
Posted at 2018/11/08 21:57:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2018年11月06日 イイね!

両神山登山

 標高差、凡そ1100m。
 山行に要した時間は凡そ9時間。
 最近の登山の中では、抜きん出てタフな山行となった。
 まだまだ未熟な身としてはなかなか辛い点もあり、課題が山積みといったところだろうか。



 秋の行楽シーズンの中でも紅葉が見頃ということもあり、両神山を目指す登山客はピークの時期だ。
 駐車場のスペース確保と登山道の混雑を避けるためにも、早朝アプローチは必至であった。
 埼玉県内在住のパーティーメンバーは早朝出発で日向大谷口の駐車場に向かい、千葉県内在住のメンバーは小鹿野町の旅館に前泊した上で、当日早朝に駐車場に向かうことにした。

 だいこんはどうしたかというと・・・前日は朝から町屋での現場仕事。
 仕事を終えて帰宅してから旅館に向かい前泊すると、晩ご飯に間に合わない。
 かといって早朝出発現地集合にすると、登山口までの移動時間がなかなかのものなので、ちょっとしんどい。
 結局、仕事の現場には自家用車で向かい、仕事を終えてから千葉県在住のメンバーと旅館で遅れて合流して素泊まりすることにしていたのだが・・・日頃の努力が実ったのか、現場仕事が早く終わった。
 宿を予約してくれていたCLに「予定より大幅に早く旅館に着くことができそう」という旨を連絡すると、CLが気を利かせてくれて旅館に電話をしてくれた。
 すると、旅館からの返事は、晩ご飯を1人追加で対応してくれるというではないか!!
 こいつはツイてるぞ。
 晩ご飯が楽しみ。その一心でアクセルを踏み込んで、町屋から小鹿野町へ向かうのであった・・・。
 (その道中、銭湯にも立ち寄った〔https://blogs.yahoo.co.jp/daikon_1980/43795715.html 〕。時間的には十分すぎる♪)

 19時ちょい過ぎ、この日の旅籠「秩父小鹿野温泉旅館梁山泊(http://www.rzp.co.jp/ )」に到着。
 CLをはじめとした千葉県在住のメンバーも、数分前に着いたばかりだった。

 用意されていた部屋がビックリ。
 前泊メンバー5人(男性3人・女性2人)で一棟貸し切り!!
 その一棟に部屋が2つあり、晩ご飯もそこに運んできてくれるというではないか!!
 晩ご飯はワンドリンクサービス!!
 しかも、ワンドリンクではビールも選べるとのこと!!
 料理は猪鍋をはじめとした和食料理!!茶碗蒸しもそばも付いてきて、量も十分!!
 これで素泊まり+2000円!!
 どんだけサービスいいんですか(*´▽`*)

 そして用意された料理がこれ。ドンッ。



 ・・・えっと、今日何しにここに来たんだっけ?(笑)
 食後に温泉入って一杯やったら、もうまったりして、飲み過ぎたから明日は帰るだけ・・・とかにならないようにしないと(汗)



 起床事故は無事回避し、500起床。
 600に旅籠を出発し、両神山日向大谷登山口にある駐車場を目指す。
 秋山登山のピークシーズン。駐車場が確保できるかどうかで明暗を分ける今回の山行。
 前泊で早朝に出発した甲斐があり、どうにか無料駐車場にピットイン。
 枠内駐車、最後の1台が自分だったぜ(汗)


 当日朝に登山口に向かっていたメンバーとも無事に合流。
 初顔合わせのメンバーもいたのでお互い自己紹介をしたり、準備運動をしたり、ザックと靴紐をしっかり締めて・・・いよいよ登山開始!!
 登山口には登山届のポストが用意されているので、持参した登山届を投函。
 現地で書く人のためにペンと届出の用紙が用意されているのは珍しくないが、そこに老眼鏡まで用意されているのには驚いた(笑)


 登山道は樹林帯が多く、狭い。
 昔の人が箱根の峠を越えるのはこういう狭い道を通っていたのかな?という雰囲気の道だった(←何じゃそりゃ)。
 そのため、登山道のいたるところに「滑落注意」を促す看板が立っていた。



 登り始めて早々に、紅葉が眩しい。
 当たり前のことだが、快晴の登山は気持ちが良い。
 吸い込む空気も心地良く、長い山行に挑むには弾みがつく。



 清滝小屋までは要所休憩を挟み、順調に進む。
 秋山ならではというのだろうか、木の葉に隠れて木の根や浮き石が存在するので、注意深く一歩一歩足を進める。
 清滝小屋から先はつづら折りの登山道と、数ヶ所の鎖場が待っている。
 自身にとって初めての本格的な鎖場だったが、注意深く岩に手足をかけていけば登れるところだったので、まずは怪我をしないで済んでひと安心。
 今後の登山ではもっと過激な鎖場を経験するかもしれないので、経験としては程々でよかったんじゃないですかね。



 清滝小屋から先は、歩いて登るというよりも技術的に登る、という印象だった。
 そのせいか、両神神社に着いたのも思いのほか早く感じた。
 下山の頃に腕の筋肉痛が出てきたので、後にいつもと違う技術を要求されたことを肌身に感じるのであった。




 両神神社でひと休みして、いよいよ山頂へのファイナルアプローチ。
 30分足らずで頂上に到達したが・・・いやいや、狭い山頂に人多すぎ(苦笑)
 ピークでの記念撮影もちょっとした列ができてしまい、親切心で見知らぬ登山者のカメラのシャッターを切ってあげたりしていたので・・・まぁ、それなりに盛り上げてきましたよ(笑)
 我々パーティーでの記念撮影も首尾よく済ませ、腹ごしらえの場所を求めてすぐさま下山開始(^^;
 食事の場所を求めて、両神神社まで下りるしかなかった・・・(^^;

 大混雑の山頂を避けて、両神神社でお楽しみのランチタイム♪
 だいこんはいつものように、山専ボトルに入れてきた熱湯を使ってインスタントの味噌汁をいただく(*´▽`*)
 そして、なぜかここではご馳走に化けるコンビニのおにぎり(*´▽`*)
 いや~、山行で食べるご飯って、どうしてこんなに美味しいんでしょうね~!!!♪♪♪

 今回のパーティーメンバーではガスを持参している人が何人かいたのだが、中にはラーメンを作って食べている人もいて(驚)
 これ、めっちゃ楽しそう!!!やってみたい!!!
 今度石井スポーツに行ったら、調理器具も見てみよう。次回の山行では持って行きたいぞ(^o^)
 ・・・普段は家でもラーメンを作らないような人間なのに(汗)



 腹ごしらえをして、両神神社での記念撮影もバッチリ終えて、長い長い下山の開始である。
 往路はピークまで4時間、ということは、両神神社まで下りてきているとはいえ、復路もそれなりに時間がかかるだろう。
 大方の予想通り、下りは3時間近く要した。
 ピストンとはいえ、登りと下りでは登山道の見せる表情は変わる。
 樹林帯が多い登山道では、午後はあまり明るくならない。
 15時を過ぎると薄暗ささえ感じるようになる。幸い出番はなかったが、秋山でヘッデン持参は必須だと思った。
 そして、痛みを訴えるだいこんの膝・・・。
 首から一眼レフカメラを提げて登山する身としては、やっぱりストックって邪魔なんだよなぁ・・・でも、やっぱり必要ですかねorz

 膝の痛みにはもうだいぶ慣れたつもりだったが、今回の山行は長かったのでなかなか辛いものがあった。
 嗚呼、結局まだまだ膝の痛みを感じないようにする下山は未熟で、今後の課題となってしまうのであった(涙)
 そうはいっても下手は下手なりに下山して、どんなに遅くても16時には下山しようと計画していたが、15:40に日向大谷登山口に無事到着!!
 いや~。ここまでタフな山行になるとは思ってもいなかった。

 山を下りたあとは、当然温泉。
 道の駅「両神温泉薬師の湯」のお世話になったのだが・・・ここの接客には実に多くの苦言を呈したい。
 近隣に競合がないから成長しないのだろう、高圧的な接客に心の底から嫌な思いをした。
 後に良い思いもしたのでペイ、ということで多くは語らないが、幸い近くには道の駅の模範とも言えよう「龍勢会館」もあるので、当該従業員は龍勢会館の爪の垢を煎じて飲むことを強く勧めたい。
 あと、カランが2ヶ所もぶっ壊れている温泉というのはいかがなものかと。だいこんさん、入浴早々カランの空き待ちでフル●ンで待たされましたから((((;゚Д゚)))))))

 山、温泉、ときたら、最後は腹ごしらえ。
 道の駅で「みち庭(http://www12.plala.or.jp/michiniwa/ )」というそば処のチラシを見つけたので、そこへ向かうことにした。




 だいこんは、せいろを大盛にしてもらい、そばがきのセットを注文。
 パーティーは各自で思い思いの品を注文していたが・・・ここではそばを注文するのがベストバイという結論にいたった。
 そばは本当に美味しかった。特に、スパイシーな味付けと相まっているカレー南蛮そばの味は特筆に値する(パーティー仲間から少し分けてもらったが、本当に美味しかった)。
 付け合わせで用意されていた梅干しも美味。そして、まさかこれが持ち帰りで売られているとは思いもしなかった。当然1パッケージ購入\(^o^)/

 腹ごしらえで完全勝利を収め、ここでクルマ毎に解散。
 だいこんは一人でマイカーを走らせてきたので、自由気ままに自宅へ向かう。
 関越道上り線は渋滞しているとのことなので、三芳PA小休止(ラジオで日本シリーズを聴きながら)。
 ダイエーが優勝を決めた頃に再びクルマを走らせ始めて、23時前に帰宅。

 8人という大規模パーティーでの日本百名山ピークハンティングは、無事成功!!
 自身の百名山登頂も、7座となった。



 【登山記録】
 両神山 標高1723.5m
 登山日 181103
 天気 快晴
  600 「秩父小鹿野温泉旅館梁山泊」発
  640 両神山日向大谷登山口駐車場着
  710 両神山日向大谷登山口発(標高630m)
  743 会所着
  748 会所発
  847 白藤の滝分岐点通過
  921 清滝小屋着
  941 清滝小屋発
 1034 両神神社着
 1047 両神神社発
 1114 両神山山頂着(1723.5m)
 1135 両神山山頂発
 1155 両神神社着 昼食
 1250 両神神社発
 1332 清滝小屋着
 1353 清滝小屋発
 1517 会所通過
 1540 両神山日向大谷登山口着
Posted at 2018/11/06 21:49:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 趣味

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