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2008年11月30日 イイね!

History of EUNOS ROADSTER

History of EUNOS ROADSTERユーノス・ロードスターの開発ストーリーを記した書籍・雑誌は多数あります。

そこには数々の試練や興味深いエピソードが記され、開発主査や技術者、デザイナーなどの作り手の方々の熱い想いが私達ロードスターオーナーに届けられています。

来年で20周年を迎えるユーノス・ロードスター。今、あらためてその開発ストーリーをあくまで自分の中での整理のためまとめてみました。

ロードスターをより深く理解するためのアプローチの1つとしての『History of EUNOS ROADSTER』です。

私の所有する少ない資料の中から特に開発時期に関する記述かあるものから抜粋しました。ですので時期が記載されていなかった場合、重大なエピソードが抜け落ちている可能性も有ります。
識者の皆様、下記の年表に間違いや不足がありましたらご指導いただければ幸いです。

また、時間があればそれぞれのエピソードについての深い研究も行いたいですね…。




『History of EUNOS ROADSTER』



1978年      
平井敏彦氏マツダオート石川へ出向「…この体験がなければロードスターは生まれていなかったと断言していい。」


1979年春     
ボブ・ホール氏(米国「オートウィーク」誌の西海岸地域担当エディター)が山本健一氏(先進技術担当・当時)と会談、LWSを提案


1980年      
平井氏、広島へ帰任


1981年      
ボブ・ホール氏、マツダのカリフォルニアの研究所に入社

  
198○年      
田中氏と福田氏がボブ・ホール氏の案内で「コンクール・デレガンス」に出かける。ボブ・ホール氏はLWS論を喋りまくった。


1983年11月    
マツダの研究開発部門で「オフライン・ゴーゴー」なる奇妙な名前をつけたプロジェクトが発足した。
山之内氏はその中のもっとも有望なアイディアとして、LWSを選び、担当者として加藤昌勝氏を任命した。そして開発記号P729を与えた。


1984年4月     
デザイン第1回評価会 広島に東京、アーバイン(MANA)の代表がイメージスケッチ持って集まった。 東京の佐藤氏は「われ勝てりと思った」


1984年5月~7月  
MANA LWSデザインスタディモデル 1台目


1984年9月    
FF MR FRの3種のフルサイズモデルが完成し、広島本社で審査が行われた。ウィナーはFRであるMRAのロードスターである。佐藤氏は「われ敗れたり!」といさぎよく認めた。


1984年11月    
技術研究所に移った加藤氏は研究課題のひとつであったプラスチック製車体をP729でで使ってやろうと考えイギリスのIADに発注した。MRAのデザインと既存マツダ車の中古を3台送りつけた。この時、1台のプロトにV705という記号をつけた。


1985年の夏    
広島マツダ本社はV705とは別にMRAにおけるP729デザイン活動を再開する決定を下す。 この日はイギリスからV705が完成したとの通知があった。


1985年9月~11月  
MANA LWSデザインスタディモデル 2台目


1985年9月17日   
MRAのマーク・ジョーダン氏にとって忘れ得ない日となる。彼のデザインしたスポーツカーが始めて走るのだ。テストコースでV705と3台の競合車を走らせる。


1985年9月OR11月  
英国で出来た自走モデル(V705)をアメリカ経由で広島へ送ることになる。有名な「サンタバーバーラの大冒険」である。LWSの商品としての大いなる可能性を実証した。


1985年の暮れ   
P729のデザイン活動を再開したMRAのLWSデザインスタディモデル2台目が完成した。1ヵ月後には、量産の可能性の検討が始まった。マツダ経営陣に提出された製品化案を積極支持したのは、社長となっていた山本健一氏であった。


1986年2月1日   
平井敏彦氏をP729の主査に任命。というより、P729の推移を見ていた平井氏がぜひやりたいと申し出たのだ。加藤氏も平井氏を推薦し、1986年2月正式に主査が発令された。


1986年3月     
英国の開発委託会社との契約を打ち切る。その結果、開発の全てを社内へ持ち込まざるを得なくなったが、人的資源は不足していた。


1986年3月初め   
開発本部内6階会議室に居座りを決めて本格的な作業開始


1986年3月の終わり 
平井氏MANAへ


1986年4月~6月  
MANA LWSデザインスタディモデル 3台目

 
1986年5月    
デザイン部に所属する三次元測定室の片隅にあるスペースにしばらく間借りを決め込む。


1986年7月    
デザインセンター車庫の5階ワン・フロアを専有使用「リバーサイド・ホテル」と命名。


1986年の夏    
MRAの最終デザイン・3次モデルが広島に送り出された。


1986年7月ごろ  
田中氏はMANAの3次モデルのリファインから手をつけた。


1987年4月    
「最後の賭け」本プロジェクトとして最初で最後の本格的な市場調査。ロスアンジェルスの郊外のバサディナ市のコンベンションホールへ原寸大のプラスチックモデルを持ち込みフォーカスグループインタビューを行い予想を上回る好評を得る。


1987年9月    
デザインセンターへ最終モデルを展示し全社の関係者を前にデザイン本部長福田氏と平井氏が「本日をもってデザインは凍結された!これ以降のデザイン変更は一切認めない!」と宣言。


1987年10月1日  
最初の設計出図


1988年暮れ    
三次車両実験場の中にある総合試験路にてパイロット車の品評会。


1989年2月2日   
テネシー州ナッシュビルにて全米のマツダディーラーに対して初めてのお披露目。


1989年2月11日  
シカゴショー


1989年2月15日  
10時から横浜の技術研究所で急遽国内のメディア向け発表会を行う。


1989年3月31日  
量産開始


1989年5月    
北米で発売開始


1989年7月3日   
日本発表


1989年8月のある日
平井氏、7時過ぎマツダ本社の玄関の横を通ろうとすると床に座り込んでいる20数名の若者の集団に出くわす。


1989年9月1日  
日本国内発売開始





参考文献    


「デザインインタビュー」モーターファン別冊 『ニューモデル速報第73弾!!「ユーノス ロードスターのすべて」』三栄書房 1989年8月26日発行

         
山口京一「PROJECT 729」ル・ボラン別冊 『THE SWINGING TIME MACHINE EUNOS ROADSTER ユーノス・ロードスター』立風書房 1989年12月31日発行


山口京一「いまだから語れる「ER誕生物語」 スポーツカーの復活 ユーノス・ロードスター/MX-5」EUNOS ROADSTER MAGAZINE Vol.1AUTUMN 1995 辰巳出版 1995年11月25日発行
         

山口京一「マツダロードスターはこうして生まれた:開発秘話」別冊CG 『 ROADSTER WORLD マツダロードスターとその世界』二玄社 1998年3月1日発行
        

平井敏彦 他著『マツダ/ユーノスロードスター 日本製ライトウェイトスポーツカーの開発物語』 三樹書房 2003年1月15日発行



Posted at 2008/12/01 01:09:28 | コメント(9) | トラックバック(0) | History of EUNOS ROADSTER | クルマ

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