この記事は、
問題の本質について書いています。
書いて良かったと受け取っております。
ネットがここまで発達する以前は、
自動車ジャーナリストと言われる仕事は情報発信だったと思います。
今は、ブログを始めとして双方向な情報インフラが先行して発達して
ブレーキの件も含めユーザーが情報発信をするケースが増えてきたように思います。
ユーザーが、ジャーナリストに求める情報の質が変化してきたのかな?と思う訳です。
これは何も、情報産業に限らす、全ての産業に波及していて
情報・製品・商品の出し手側全てにいえる事で
出し手の端くれの私も、悩みの種です。
良くも悪くも情報先行で、良いと「思われる」モノが良いのが現状です。
行き過ぎた顧客第一、顧客満足度は目先の良し悪しに収支し
結局は未来の大きな顧客利益を削ぐ結果になりかねないように思います。
只、イメージ優先で過剰反応する市場に、出し手の立場として真実を出しても
マイナス面だけを取り上げられてそっぽを向かれるのが落ちのように思います。
なので出し手はどう伝えればいいか悩むのが現状なのかと
モノづくりをおろそかにする事の行き着く先は
それに携わる人達が限りなく要らなくなる事になりかねない
モノが溢れた今の日本では、ちょっとピンとこないかもしれないけれど
更にそれが進むとモノづくりの仕事そのものが
疎かになって、結局はモノづくりで生きなくても済む人も要らなくなる。
結局人間そのものが要らなくなる。
(すでにその兆候はありますが)
癒しと言われる仕事や情報で人間は食べていけません
実体のあるモノづくりと言う仕事があって
それを購入する環境があって初めて人間は生きていける
そう言った意味において、その板ばさみ(間を取り持つ)自動車ジャーナリストのポジションは
とても大変だと思います。
情報発信をする一般ユーザーと同じ事を発信していたら
自動車ジャーナリストと言う仕事自体の存在価値は無いわけで
視点が違うからこそ、その情報に価値があり
また一般ユーザーの視点があるから今回のような新しい問題点も
発見?なのかな
できた訳で
それを気付かなかったと叩くのは本末転倒、お門違いも甚だしい
医療事故等も同じだし、又その問題はTVドラマ等でも指摘されている。
(TVドラマの結末にならないのは現実を見れば明らかでしょう?)
医者不足にしたのは半分はユーザー(患者)の責任だと言う事を自覚しないと
又上記とその前の「人が要らない」部分にも関連するが
だからと言って外国人労働者を「安易」に(余りにも安易に見える)
入れるのは当に目先の解決のみで
結局は労働者の価値の基準そのものを
一気に下げる事にしかならない
以前トヨタの某初期型と後期(フルモデル前)モデルをバラしましたが、
そこはもう、技術者の苦労の塊りが刻み込まれていました。
初期型は直前まで金型等の改善の跡、改善指示の書き込み
チェック、記号
「血の通った作品そのもの」でした。
後期方は、無駄や隙の無いまさにトヨタのイメージそのもの
そんな技術者の見えない苦労の上に今の自動車産業のボトムアップは行われている訳で
フィーリングを重視するなら、新型車に乗るべきではないとも思います。
サーキットやジムカーナを走ってみなさい
ABSのフィーリングは限界を高めるのと引き換えにある種、無味になり
(今の高性能ブレーキは切ったらフィーリングがダイレクトすぎて集中力が持たない)
又車種によっては、ジムカーナの切り替えしなどパワステの反応が鈍くなる状況があり
逆に切るきり始めは、ハンドルが固まってる
これなんかは緊急時ハンドルが効かない訳で
ブレーキと同じ次元で語れば
世界のパワステ装着車のほぼ全てが改善対策の出せないリコールにもなりかねない
又この論理は対岸の火事ではなく
いつこちら側に火がつくか?
問題は問題として冷静に対処し
又ユーザーも冷静な反応をしないと結局割りを食うのは消費者だと言う事
を理解しないと、と思います。
業種は違いますが、出し手として今の市場はイメージ先行で
高スペックの製品を出してもランニングコストやそのリスクに見合った
利益は見込めず、スペックに出すキャッチーな目玉素材以外は
徹底的にコストを絞らないと
市場が求める価格には到底出来ない
今のデフレ傾向は円高の恩恵と言うより
下請け、孫請けの泣きの上にあるんじゃないかと思います。
PS癒しは日常にあるので、私はあえて必要無いですね。
人生厳しいのが当たり前
Posted at 2010/02/10 13:58:50 | |
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