
先日発生しました「東北地方太平洋沖地震」で、広範囲にわたり大津波警報が発令されました。
私の父親は現役の漁師で、地震当時は帰港しており釣具の手入れをしていたとの事です。
地震後、九十九里・房総へ大津波警報が発令され、生計の要である船の保護を最優先に考慮し、津波の本波が到達する前に船を出港させ、沖合で待機させたそうです。
「津波」は海底の地形の変形が無かったり、深い場所などでは目に見えて大きい変化はありませんが、その津波が浅瀬に乗り上げた津波の勢いは、行き場いを失い大きなうねりや波となって、地上を襲うのです。
本来であれば津波が発生した場合に高台へ避難しなくてはなりませんが、津波の規模によりますが、沖合(海底が深い)に出たほうが安全な場合もあるとの事です。
私の父親も例外ではなく、津波が到達する前に沖合に出るために、船をフルスロットルで出港させたそうです。
出港し、ある程度沖合に到着して津波の襲来に備えていると、沖合から白波を立てながら迫ってきたそうです。
津波が船の下を通過する時、魚群探知機の画面に今まで見えていた海底の画像が、5m程度さがったそうです。下がったのではなく、船自体が5m程度上昇したというのが正しいでしょう。
水深がある程度深い場所で5m程度の変化ですから、水深がもっと浅くなった場合、行き場の失った水のパワーが波となって陸上を襲うとき、はたして何メートルになるでしょうか・・・
また、インフラにも大きな影響が。
携帯電話・固定電話は回線パンクの回避のため、発着信制限がかけられ、海上の父へ連絡をとることが出来ません。そして、船には衛星携帯電話を常備してありますが、こちらも不通。
双方向通信に頼らなければ、漁業無線への通信を試みるも電波障害のため通信できず。なぜ、普段は通じるはずの漁業無線が通じないのか。
ザーーー・・・・ガーーー・・・・
地震による、地殻の変動に伴う妨害電磁波・妨害電波の影響なのだろう・・・
2日間帰宅するまで、父親の安否が分からなかった。
しかし、大津波警報・津波警報はなかなか解除されず、2日のあいだ船上で過ごしたそうです。幸いにも、船内にはカップラーメンや真水、発電機、電子レンジなどを常備していた為に食生活には不自由無かったとのことです。
船内には6畳ほどのキャビンがあり、ソファーで仮眠をとる事も可能だったそうですが、2日間全く寝れなかったそうです。
そして、今日の午後、津波警報から津波注意報になり、ある程度潮位の変化も落ち着いたということで、船の損傷も無く無事に帰港しました。
父親が無事に帰宅するも、すぐに漁港の復旧に向かうとの事。
漁港内では、出港避難しなかった船が何隻も転覆・沈没しているとの事。
父親に今日は食事をとったか確認すると、摂っていないとのことで、
僭越ながら、初めての手料理といえるものを作りました。
自分の為ではなく、他人のために。
美味しいと言って食べてくれましたが、不意に涙が。
帰ってきてくれてありがとう。
いつもは、口喧嘩の絶えない親父ですが、こうして無事に帰ってきてくれるだけ
本当に幸せだとつくづく思いました。
先日は「何シテル?」現状を報告いたしましたが、コメント・メッセージそして、
直接電話をくれた皆さま。本当にありがとうございました。
この2日間は父親不在のため、自宅でずっと一人でしたので、
皆さんのコメント・メッセージ・電話がとても心の支えになりました。
そして、今だにご家族と離れ離れになっている方々、被災されている方々、
心中お察しいたしますが、どうぞ希望を無くさず、がんばってください!
自分でできることと言えば、Carviewを通じて少額ではありますが募金を
させていただきました。できることは少ないですが、これでも役にたって
頂ければと思います。
Posted at 2011/03/13 22:02:49 | |
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