
RockとかPopsで60年代から70年代というと、大多数の人はビートルズであったり、ディープパープルやレッド・ツェッペリンなんでしょうけど、僕はどうしても彼らの音が好きになれなくて、思春期に取り残されてしまった気持ちにさせられました。
そんな中で巡り会ったのがTOTOでした。友人の家で聞かせてもらったファーストアルバムTOTOが衝撃的でした。ともかく音がすばらしい。楽器一つ一つの音がしっかりと自己主張をしているものの、まとまりのあるサウンドで、当時最先端のシンセサイザーを使ってサウンドに華やかさを演出していました。
しかし、なんと言っても圧巻なのがジェフ・ポーカロのドラムでした。それまで聞いたこと無い、絶妙のグルーブ感で、リズムを刻むだけではなく、まるで歌でも歌っているかのようなドラミングに衝撃を受けました。デビット・ハンゲイトの囁くようなベースと絶妙のマッチングで、TOTOサウンドの土台を固めていました。
そんな彼らが、なんと、岡山は倉敷市民会館でコンサートをしたのです。当時大学1年生の僕は、とにかくあらゆる手段を講じてチケットを手に入れて、友人と二人で行きました。2階の一番後ろの席でしたが、全然関係なく、もう、最初っから最後まで立ちっぱなしでした。同じ時期の武道館ライブのビデオがよくテレビで流されていますが、来日の最初の公演だった倉敷の方が、明らかにボーカルもサウンドも高品質でした。
そんなTOTOですが、1992年にジェフ・ポーカロが自宅で急死してしまいます。これには本当にショックで、しばらく音楽を聴く気になれないくらい落ち込みました。ジェフ・ポーカロが38才でした。70年代から80年代のウエスト・コースとサウンドを牽引していた一人と言っても過言ではない彼の、本当に早すぎる死でした。
そして今、ポーカロ3兄弟(ジェフ・ポーカロが長男)の次男マイク・ポーカロが筋萎縮性側索硬化症と戦っています。そのマイクが、日本発売のアルバムに震災へのメッセージをよせているのです。泣けました。
「In The Blink of an Eye 1977 - 2011」まさに、彼らにとって「瞬く間」なのでしょう。そんな彼らと出会えて、彼らの音楽と共にいられてたことを、僕は幸せに思います。
このアルバム、ベストアルバムですが、レコード盤しか無かった頃のアルバムの収録曲がリマスタリングされていて、当時のCDよりも明らかにいい音で聞くことができます。
Posted at 2011/05/30 17:56:55 | |
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