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2011年05月31日 イイね!

明日からブリジストンタイヤ価格値上げ。

明日からブリジストンタイヤ価格値上げ。明日からBS全店タイヤ値上げです。

残念ながら1割程度上がるようです。

予約して取り置きしていたRE11S・・・・

仕方なく払ってきました・・・

¥176000チーン・・・

秋位まで使うことは無いでしょう・・・

でも1割上がると¥20000位変わりますからね・・・

ご愁傷様でした・・・泣
Posted at 2011/05/31 22:10:30 | コメント(18) | トラックバック(0) | メンテナンス | クルマ
2011年05月30日 イイね!

おめでとう小林可夢偉!

おめでとう小林可夢偉!日本人歴代TOP順位を樹立!

モナコGP5位!

凄い集中力ですね!

尼崎の星!小林カムイおめでとう!!





小林可夢偉出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小林 可夢偉

基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1986年9月13日(24歳)
F1での経歴
車番 16
所属チーム ザウバー '10-
活動時期 2009-
過去の所属チーム '09 トヨタ
出走回数 27
優勝回数 0
通算獲得ポイント 54
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2009年ブラジルGP
初勝利 -
2011年順位 10位(19ポイント)
タイトル 0
(記録は2011年第6戦モナコGP終了時)

小林 可夢偉(こばやし かむい、1986年9月13日 – )は兵庫県尼崎市出身のF1ドライバー。

目次 [非表示]
1 初期の経歴
1.1 デビュー - 2001年
1.2 2002年 - 2003年
1.3 2004年 - 2005年
1.4 2006年 - 2007年
1.5 2008年 - 2009年
2 F1での経歴
2.1 2009年
2.2 2010年
2.3 2011年
3 評価
4 エピソード
5 レース戦績
6 F1での年度別成績
7 脚注
8 関連リンク
9 外部リンク


初期の経歴

デビュー - 2001年 [編集]9歳でカートを始める。少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナであると発言している。1996年にカートレースにデビュー、実績を積み重ね2000年には全日本ジュニアカート選手権のシリーズチャンピオンとなる。2001年は全日本カート選手権にステップアップし、ICAクラスに参戦してシリーズチャンピオンを獲得、またフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講しスカラシップを得た。

2002年 - 2003年
続いて4輪レースに出場することになるが、当時15歳であったためその前にJAFが限定A級ライセンス[1]を発行するのをしばらく待たねばならなかった。限定A級ライセンス取得後の2002年度、エッソ・フォーミュラ・トヨタ最終戦にて4輪レースデビューを飾る。2003年は本格的に同シリーズに参戦しランキング2位。

2004年 - 2005年
クラーク記念国際高等学校卒業後の2004年にはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位。

2005年度はイタリアシリーズに加えユーロシリーズも戦い、両シリーズともチャンピオンに輝いた。なお小林はヨーロッパのフォーミュラ・ルノー選手権においてシリーズチャンピオンに輝いた最初の日本人であり、ヨーロッパのフォーミュラカー選手権において日本人ドライバーがタイトルを獲得したのは2001年度に金石年弘・佐藤琢磨・福田良がそれぞれドイツ・イギリス・フランスのF3選手権でシリーズチャンピオンとなって以来のことであった。

2006年 - 2007年
2006年はASM Formule 3(現在のARTグランプリのF3部門[2])からダラーラF305・メルセデスでF3・ユーロシリーズを戦い、ランキング8位ながらルーキーカップを獲得した。またF3マカオGPにも出場しポールポジションを獲得する健闘を見せるが決勝は19位で終えた。この時のチームメイトはセバスチャン・ベッテル、このシーズンのチャンピオンを獲得したポール・ディ・レスタ、そしてギド・ヴァン・デル・ガルデであった。

2007年も引き続き同チームのF3ユーロシリーズに参戦。同年6月30日、フランスのマニクール・サーキットで開催されたシリーズ第4戦の第1ラウンドでポールポジションを獲得しそのままF3初勝利を果たした。チームメイトはこの年のF3チャンピオンを獲得し、後にルノーからF1デビューしたロマン・グロージャン、ウィリアムズからデビューしたニコ・ヒュルケンベルグがいる。シリーズ4位。同年11月よりフォーミュラ1チームであるトヨタF1からフランク・モンタニーに代わり、サードドライバーとして起用されることが発表された。

2008年 - 2009年
2009年GP2ドイツGP2008年はGP2にアジアシリーズも含め参戦。3月23日、GP2アジアシリーズのマレーシアGPにて日本人初優勝。さらに4月27日、ヨーロッパに戻って行われたGP2本戦の第1戦スペイン・レース2でも日本人初優勝という快挙を遂げた。

2008年-2009年シーズンとなったGP2アジアシリーズに、トヨタからのサポートを受けて参戦。2008年12月6日、ドバイGPにて08/09シーズンで初優勝。さらに2009年1月24日、バーレーンGPのレース1で優勝し、日本人初の連勝。2位に13ポイント差をつけランキング首位で挑んだ3月25日の最終戦、バーレーンの第1レースで4位入賞したことにより、第2レースを待たずしてアジアシリーズチャンピオンを獲得した。F1直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得したのは初めてである。


F1での経歴

2009年
2009年日本グランプリ2009年10月2日に開幕したF1第15戦日本グランプリで、トヨタF1チームのレギュラードライバーであるティモ・グロックが体調不良により金曜フリー走行を急遽欠場したため、リザーブドライバーであった小林がその代役として出走した。翌日はグロックが復帰したものの、そのグロックは公式予選でクラッシュして脊椎を負傷したため、次戦以降を欠場することになった[3]。これにより、小林は10月18日の第16戦ブラジルグランプリでF1デビュー、日本人としては18人目のF1ドライバーとなった。

そのブラジルグランプリでは、予選11位を記録。決勝ではポイント首位のジェンソン・バトンを18周に渡り抑えて、一時3位までポジションを上げたが、惜しくも入賞に一歩とどかず9位完走だった[4]。

次戦のアブダビGPも参戦することとなり、前戦同様バトンをオーバーテイクして、一時3位を走行していた。予選12位から1ストップ作戦を成功させ、チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。1ストップ勢での上位浮上は小林ひとりであり、2007年の佐藤琢磨以来、2人目となる完全日本製パッケージ[5]でポイント獲得をした。

この2戦の活躍で、来シーズンのトヨタF1チームの正ドライバーの座を確かなものとした。しかし、そのアブダビGPからわずか3日後の11月4日、トヨタF1チームがF1から完全撤退することを発表し、2010年以降は他チームにシートを求めることとなった。


2010年
2010年のへレス・テスト
2010年ドイツGP2009年12月17日、ザウバーとのレギュラードライバー契約を発表し、撤退したトヨタを離れ2010年シーズンから新天地でのフル参戦が実現した。チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ。第15戦シンガポールGPからデラ・ロサに替わりニック・ハイドフェルドがチームメイトになった。

序盤戦はスタート直後の接触事故やマシントラブルにより結果を残せなかったが、トルコGPでは10位入賞し、チームのシーズン初ポイントを獲得した。中盤戦以降はマシンの改善もあり、コンスタントに入賞圏内を争うようになった。

ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、セーフティーカー出動の混乱を巧みに乗り切り、レース終盤の53周目までタイヤを交換しないという策に出る。その53周までのレースの大半を3位で走行し、レギュレーション上のタイヤ交換義務でソフトタイヤに履き替え9位でレースに戻り、新しいタイヤのグリップ力を活かし残り2周でフェラーリのフェルナンド・アロンソを、ファイナルラップの最終コーナーでトロ・ロッソのセバスチャン・ブエミをオーバーテイクし7位入賞を果たして、その印象的な走りは評価された。終始4位に抑えこまれていたマクラーレンのジェンソン・バトンも、インタビューで小林の走りについて"Brilliant!"(素晴らしい!)と称賛した。

続くイギリスGPでも6位入賞。ハンガリーGP予選ではピットレーンの赤信号無視でペナルティを受け23番手に降格。決勝ではスタートで順位を上げ、セーフティーカー出動も味方して9位入賞を果たした。

母国日本GPでは予選14位から、他のドライバーがソフトタイヤでスタートする中、ハードタイヤで走り出した。ハイメ・アルグエルスアリを14周目、エイドリアン・スーティルを18周目にヘアピンで抜き、全53周レースの38周目にピットイン。ソフトタイヤに履き替えると、アルグエルスアリをアウト側から45周目、ルーベンス・バリチェロを48周目、ハイドフェルドを49周目に同じヘアピンで抜き、計5回のオーバーテイクをした[6]。そして2度目のアルグエルスアリをオーバーテイクする際に接触したことでマシン左側のディフレクター、サイドポンツーンの損傷に加えてフロントウィングの一部まで欠損している状況にも拘わらず7位入賞を果たし、観客を熱狂させた。なお、小林自身は何回オーバーテイクを行ったか記憶していないと語っている[7]。続く韓国GPでは8位、ブラジルGPでも10位と3戦連続入賞を果たした。

この年は決して競争力の高いマシンではなかったものの、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位。又、チームメイトと比較してもデ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分している事になりベテランドライバー相手にも遜色ない結果を残した。

しかし、カナダGPではスタート直後に10位までポジションを上げたが、ニコ・ヒュルケンベルグをオーバーテイクしようとした時にオーバーランしてしまい、フロントウィングを壊しリタイア。シンガポールGPでは、周回遅れがいる中ミハエル・シューマッハをアウト側からパスしようとしてシューマッハと接触、シューマッハをピットインに追い込むなど、粗さも目だったシーズンとなった。

2011年
2010年9月7日、ザウバーは小林を残留させることを発表し、2011年も引き続きザウバーから出走する[8]。チームメイトには、新人のメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレスが起用されている。

開幕戦オーストラリアGPでは入賞圏内である8位でゴールしたが、レース後の検査でリアウイングに違反があったとして失格処分となった。第2戦マレーシアGPでは、マーク・ウェバーやミハエル・シューマッハらとの接戦を繰り広げ見事7位入賞。前戦の雪辱を晴らし、第3戦中国GP、第4戦トルコGP、第5戦スペインGPまで3戦連続で10位入賞を記録し、日本人F1ドライバーの中で最もポイント獲得している佐藤琢磨の記録「44ポイント」と並んだ。又、同じく佐藤が記録した日本人による連続入賞記録(2004年イタリアグランプリから2004年ブラジルグランプリまで)である「4戦」も並んだ。翌第6戦モナコGPで自己最高位となる5位入賞を果たし、中嶋一貴以来日本人ドライバー2人目のモナコグランプリでのポイント獲得となった。同時に日本人獲得ポイント記録と、日本人連続入賞記録を更新した。

評価
日本企業の支援を受けてF1に昇格したという点では、F1ブーム期以降の日本人ドライバーの系譜に連なる。しかし、トヨタのF1撤退で後ろ盾を失いながらデビュー2戦のパフォーマンスを評価され、2010年のレギュラーシートを確保するに至った。起用を決めたザウバーチーム代表のペーター・ザウバーは「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」と評価した[9]。

F1ジャーナリストの今宮純は「小林はマクラーレンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた[10]」と話している。元F1ドライバーの片山右京は「僕らの夢が動き出そうとしている」とコメントを残した。

マシンの空力的性質上オーバーテイクが難しいといわれるF1において、積極的に追い抜きを仕掛ける姿勢は評価されている。一方で、接触する場面もあることから海外を中心に「危険な走り」であると指摘を受けている。本人も接触の多さやアグレッシブ過ぎる部分については認めつつも、他車を巻き込んでのリタイヤは無いので危険ではない。安全だと主張している[11]。

F1デビュー戦の2009年ブラジルGPでは、後方から迫るバトンに対して蛇行で牽制するようなブロックをみせた(通常は一つのコーナーに対してワンアプローチしか認められない)。チャンピオン争いをしていたバトンは可夢偉の走行に過剰に反応し、無線で自分のチームに抗議するよう求めたが「ルーキードライバーの(少々過剰な)行為」にクールになるように窘められている。また、ピットアウト直後に中嶋一貴をブロックして接触し、中嶋はクラッシュした。レース後には全世界のファンの投票で選ばれる「マン・オブ・ザ・レース」に選出された。

2009年アブダビGPでは再びバトンとバトルを展開し、デビュー2戦連続で「マン・オブ・ザ・レース」に選出。バトンを追い抜いたシーンが同サイトの「ベストオーバーテイク」のファン投票で1位を獲得した。
2010年日本GPではヘアピンへのブレーキングで5度のオーバーテイクを成功させ、ライバルや海外メディアに賞賛され、F1公式サイトのコメンタリでは「overtaking king Kobayashi」と絶賛された。レース後、イギリスのテレビ局BBCは小林に対して独占インタビューを行い、コメンテイターのエディ・ジョーダン、マーティン・ブランドルより絶賛を受けた。デビッド・クルサードはコラムにおいて「日曜に彼が見せたオーバーテイクは驚異的だった。アグレッシブでありながらコントロールされており、非常に素晴らしかった」と述べた[12]。また鈴鹿サーキットでは、2011年の日本GPにおいてヘアピンの観客席を増設し「小林可夢偉応援席」として販売したが[13]、通常発売期間を待たずして先行予約期間ですぐに完売してしまった[14]。
この2010年日本GPでのオーバーテイク時に接触し、サイドポンツーンのエアロパーツを片側だけ破損して無くすことになるが、その後自身のベストラップを刻み、テレビ解説をしていた片山右京に「彼は破損したマシンの方が速いんですね」と苦笑いをされてしまう。
2010年、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフやニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキやサム・バード、世界ラリー選手権(WRC)に転向したキミ・ライコネンらを抑えて、「AUTOSPORT Awards」のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。[15]

エピソード
可夢偉(かむい)という名前はアイヌの民族信仰で神とされる「カムイ」と、「偉大な夢を可能にする」という言葉の漢字3文字から命名された[16]。
実家は寿司屋を経営し、16歳からは家業の手伝いで寿司を握っていたことから、ファンサイトやメディアでは「可夢偉はシートを失ったら実家の板前に転職する」とネタにされたり、また自らも2009年のトヨタF1撤退決定の直後は「レースが続けられないなら寿司屋の修行をする」[17]2010年の参戦決定後も「ザウバーと契約していなかったら今頃寿司を握っていたでしょう」と冗談を言っている。実際のところ本人はエビやカニのアレルギー持ちで「触ることすらできない」ため、板前には「なりたくてもなれない」という[18]。ザウバーの公式HPでは「好物は和食、ただし生魚を除く」と記載されている。
子供の頃は最初からレーサーを志していたわけではなく、当初の夢はお笑い芸人になることだった。地元尼崎市出身のお笑いコンビダウンタウンを尊敬しており、2009年にフジテレビ系『すぽると!』に出演した際、自らの夢を「TVで浜田さんと共演する」と発言。後日その浜田がパーソナリティを努めるフジテレビ系『ジャンクSPORTS』で実現する。
少年時代に参戦したカート競技で父親自らが小林の車両のメカニックとして携わっていたが、実は両親はレースに全く関心がなかったという。また、自身で乗用車を2度ほど購入しているが、その両方の車を父親に売却されてしまった[19]。
1998年に放送されたTBSの30時間特別番組『テレビのちから』のコーナー「スーパーキッズ21世紀夢チャレンジ」にて、当時小学6年生だった小林は「天才カート少年」として紹介され、定岡正二や元F1ドライバー鈴木亜久里とカート対決を行った。鈴木とのレースでは勝利しながらもレース後目に涙を浮かべ、「悔しかった。遊ばれとった」と発言した。F1ドライバーになって以降もこの悔しかった心境を鮮明に覚えていると発言している。
17歳の頃に、尼崎市の広報誌のインタビューを受けた際、免許を取得した後に乗りたい車はという問いに対して、「速く走る必要も無いのでどんな車でも良いが、しいて言えば、いつも窮屈な車にばかり乗っているので、乗っていて楽な車が良い。」と語っていた。
TDP監督として小林を指導した関谷正徳いわく、「やんちゃな可夢偉と優等生の一貴のコンビだった」。小林はヨーロッパに渡る前、TDP関係者の知り合いの寺に送られ短期間修行させられた。
初めて出演したラジオが 2010年8月17日にUstreamで放送されたインターネットラジオ『タイムマシン部』であった[20]。なおタイムマシン部には後に中嶋一貴も出演している。
2010年の日本GP後にスポーツ紙や週刊誌においてタレントのあびる優との交際が報道された。この件について、あびるの所属事務所であるホリプロは「仲の良い友達の一人です」とコメントしていた[21]。しかし翌年の1月29日に小林との交際が順調であるかという質問を受けたあびるは「はい。(結婚は)するなら若いうちにしておきたい」と答えている[22]。
『すぽると!』内でセバスチャン・ベッテルがマシンに名前を付けていると言われ、自分のマシンに隣に座っていたアナウンサーの本田朋子の名前を取って「朋子」と名づけた。

レース戦績
1996年
SL宝塚シリーズカデットクラス(3位)
1997年
TOYOTA SL全国大会カデットクラス(優勝)
1998年
JAFCUP西地域シリーズカデットクラス(優勝)
1999年
全日本ジュニアカート選手権(ランキング5位)
TOYOTA SL全国大会SストックDクラス(優勝)
2000年 
全日本ジュニアカート選手権(シリーズチャンピオン・優勝3回)
鈴鹿カート選手権RSOクラス(シリーズチャンピオン)
2001年
全日本カート選手権ICAクラス(シリーズチャンピオン・優勝3回)
アジアパシフィック選手権ICAクラス(2位)
フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)受講・スカラシップ獲得
2002年
ヨーロッパカート選手権FAクラス(ランキング14位)
エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ<Rd.10にスポット参戦>(決勝DNF)
2003年
エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(#7 ウルトラフロースカラシップFT/FT30)(ランキング2位・優勝2回)
マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦
2004年
フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(ランキング7位・優勝2回)
マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦(18位)
2005年 
フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
フォーミュラ・ルノー2.0ユーロシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
2006年
F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(ランキング8位・最高位2位・Rookie Cup2006を獲得)
F3Ultimate Masters(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(決勝11位)
F3マカオGP(ASM Formula3 #6 Dallara Mercedes-HWA)(予選PP・決勝19位)
2007年
F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #2 Dallara F305 Mercedes)(ランキング4位・優勝1回)
F3マカオGP(ASM Formula3 #9 Dallara Mercedes-HWA)(予選7位・決勝13位)
2008年
GP2アジアシリーズ(DAMS #10)(ランキング6位・優勝2回)
GP2メインシリーズ(DAMS #10)(ランキング16位・優勝1回)
2009年
GP2アジアシリーズ(DAMS #8)(シリーズチャンピオン・優勝2回)
GP2メインシリーズ(DAMS #17)(ランキング16位・最高位3位)
F1世界選手権<Rd.16,17に参戦>(Panasonic Toyota Racing #10)(ランキング18位・入賞1回)
2010年
F1世界選手権(BMW Sauber Ferrari #23)(ランキング12位・入賞8回)
2011年
F1世界選手権(Sauber Ferrari #16)
Posted at 2011/05/30 00:55:28 | コメント(18) | トラックバック(0) | 日常 | クルマ
2011年05月29日 イイね!

珍しい車

珍しい車S15なんですけどね。

ターボ車ならなぁ。
Posted at 2011/05/29 17:54:39 | コメント(11) | トラックバック(0) | 日常 | クルマ
2011年05月29日 イイね!

飯食いに来たんですが?

飯食いに来たんですが?休みですか?
Posted at 2011/05/29 16:12:54 | コメント(5) | トラックバック(0) | 食べ物ネタ | グルメ/料理
2011年05月29日 イイね!

見事!

見事!ハズレ。

じゃあ、ドリームジャンボに胸膨らまします。

すでに膨らんでますが!

自爆!
Posted at 2011/05/29 15:54:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日常 | 日記

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