ほーはい、ほーはい、ほぉー
田舎が恋しいです。
東北へ帰りたいです。
夢のようなGWだったな。
「くまみこ」と「ふらいんぐうぃっち」観て東北での日々を思い出しております。
田舎はクソ。
だがそれがいい。
さて東北シリーズ最終日。
1日目はココ→
ほーはい
2日目はココ→
ほーはい
3日目はココ→
ほー
…の前に。
日曜日に名古屋で「熊本地震復興チャリティ」があるってんで行って来ました。
入場料の収益が全て義援金になるそうです。
何もできませんが少しでもお役に立てればと。
私の住んでいる愛知から見て、熊本とは反対側で起きた東北大震災が起きてから5年が経ちました。
周りではもう余り話題にも出て来なくなりました。
現地から遠く離れていると実際そんなもんです。
でも遠く離れていても毎日気にしている人も居ます。
毎朝の通勤時にFM放送を聞いているのですが、15分くらいのコーナーで現地の復興事業に携わっている方の話や、高校・大学生の故郷への想い等をインタビュー形式で伝える番組があります。
2年か3年くらい前から聴き出した…とゆうか習慣のようにラジオを入れているので自然と耳に入ってきています。
毎朝色々な話を聴かされていると、やはり気になる物です。
実際現地はどれくらい復興しているのかとか。
…とまぁ、前置きが長くなりましたが東北旅行の最後は被災地を訪れる事にしました。
頭の中では「5年も経っているのである程度は街の形が…」と思い浮かべながらのスタートです。
※被災地の写真が出てきます。ご了承の上お読み下さい。
最終日は雲は多目ですが晴れ。
カンカンに晴れていないのがクマーにとっては最適なので助かります。
花巻の道の駅マックスバリュを早朝に出発して最初に訪れたのは、震災で大きな被害を受けながらも復旧された三陸鉄道南リアス線「恋し浜駅」です。
ホームの両端がトンネルとゆう山間部にある駅です。
高台にあるホームからは海岸線が見渡せます。
とてもキレイな眺めですが、良くみると2階建ての家より高い壁のような建造物が…。
しかしイケメンがおるんやでw
この日は平日でしたのでホームには通勤通学の乗客がチラホラと。
2日目に訪れた五能線驫木駅は1人降りただけ(車両には1人だけ)でしたが、コチラの方は利用客はそれなりに多いようです。
山の中でしかも丘の上にあるとゆう、運動不足の俺のヒザを殺した駅「恋し浜」。
駅の目の前に1軒の家がありましてね。
周りには何も無いのでホントにその1軒だけ。
列車が到着する直前にその家から1人のお姉さんが慌てて駅へ掛けてきたんですよ。
そして階段ダッシュ。
あ、ダメ、ヒザが殺されちゃうぅぅぅ。
みたいな光景を見てたら、自分の家専用の駅みたいで少し羨ましいかも…と思いましたわ。
恋し浜駅から大船渡市街を抜けて海が綺麗に見えるポイントへ向います。
山の中でもバイパスが整備されているので移動はスムーズに出来ます。
そうゆう点ではここら辺より交通事情は良いです。
「穴通磯」
並んで穴が開いているのも面白いのですが、岩がミルフィーユのように何層にも重なって出来ているのに目が惹かれます。
そう、アレや、テトリス。
GWとゆう事で他府県ナンバーも多かったです。
このS402は多摩でした。
そう言えば青森では尾張小牧とか名古屋を何台も見ました。
お前らわざわざこんな遠くまで何しに…(呆れ
そして大船渡の隣、陸前高田へ。
海に近付くと必ず現れるこの標識。
山間部を抜けて見えて来た光景に非常に戸惑いました。
剥き出しの土の山しか見えない。
は?え?何これ?…と。
そしてその山の中にポツンと現れた団地が1棟。
4階部分までが向こう側へ抜けています。
津波到達ラインを示しています。
良く見ると5階も破壊されています。
TVや伝聞で理解はしていたものの、実際に目の当たりにすると衝撃でした。
ここは元々どんな場所だったんだろうか。
平地にある広い整備されている道路なので街があったのだろうが…
「道の駅 高田松原」の跡地。
上の写真にある道路沿いにありました。
内部は破壊されていては立ち入る事は出来ません。
隣接して追悼施設があります。
おおよそ曲がる訳無いだろうと思われる柱がグニャグニャになっていたり、3~40センチはあろうかと思われるコンクリートの壁が突き抜けていたりと…。
向いにあるGSの看板。
あの高さじゃどうにも…
「奇跡の一本松」
保存に関して様々な問題があったそうです。(詳しくは
ウィキさんへ)
かなりの高さで真下から見上げたら首が(汗
目の当たりにした被災地の現状にショックを受けながらも…腹は減ります。
この忌々しいKYなストマックめっ!
忌々しいと思いながら事前にリサーチしていたクレープ屋さんへ。
大船渡(陸前高田から引き返している)にある「ちっちゃなクレープ屋さん」とゆう小さなクレープ屋さん。
いやね、「椿のクレープ」とゆうのがありまして。
三陸産のワカメで作ったチョコやご当地のリンゴ等が入っていてとっても美味しいらしいのですよ。
紅色をした椿のようなクレープ生地でそれらを包んでいる…こんなのを知ってしまったら食べたくなるのは仕方の無い事。
とても楽しみ!
さぁ、中へ…
小じんまりとしてカワイイお店です。
店員はカワイイお姉さんが一人。
小物屋さんのようでメニュー表が無ければクレープ屋さんには見えないですね。
少しこそばゆい感じがしますが、良い雰囲気です。お姉さんカワイイし。
ま…オッサンが一人で入るのは勇気が(汗
それでは期待に胸ふくらませて椿クレープのオーダーを…
泣くぞ。
4月いっぱいで終了してしまったようです。
2日前に終わっていた(白目
次回への楽しみとゆう事にして定番のチョコカスタードを頂きます。
私くらいのクレーパー(クレープ大好き人間の事。私が今作ったから辞書には載っていない。)になるとコノ定番を食べるだけで店のレベルが分かります。
伊達にクレープ検定3級を取得していません。
(そんなの無いからな、今勝手に作ったからな)
これは美味いぞ。
生地は薄めだがモチっとしていて、カスタードの甘さもくどさが無いのにしっかりと甘い。
これは美味い。(お姉さんが作ってると思うと更に)
ココは(色々と)当たりだなと確信したので追加オーダーです。
定番メニューの次はご当地メニューを頂きます。
「三鉄クレープ」
三陸鉄道をイメージしています。
ウミネコのホワイトチョコが乗っているのが可愛らしいです。
2種類のジャムとクリームが贅沢に入っていて、コレもデラ美味いぞ。
2個目のコレをオーダーした時に「クリームはサッパリしたタイプのもありますよ。」とお姉さん。
口の中がくどくならないように気遣ってもらえたようです。
全く、最高かよ。
「最後にもう一つ…」
結局3つも注文して出て来ました。
オヤツにしては食い過ぎですが、甘い物は別腹。
…ホント、糖尿が心配(汗
お店の近くには「盛駅」とゆう駅があります。
JRと三陸鉄道南リアス線の2路線の駅です。
ホームは隣接していますが、駅舎は別々です。
JRの盛駅。
スタンダードな形をしていてシックな感じ。
悪く無い。
そして三陸鉄道側がコレ。
スタンダードな形の、駅前で地元商品を観光客に売る商店かと思ったわ。
最初は駅舎と気づかなくて前をスルーしましたからね。
その商店もどきの奥にあるホームへ。
イ○ンのラッピング車両。
強ぇぇな…イオ○…。
さて、昼食は三陸名物を頂きます。
三陸海岸と言えば…「牡蠣の養殖」です。
気仙沼にある牡蠣小屋を目指します。
採れたて新鮮な牡蠣を吐くくらい牡蠣を食ってやるぜ!
…マジで泣くぞ。
板戸が閉まり誰も居ないご様子。
平日だから?
GWだからやっているものとばかり…。
あぁぁ…ツメ甘すぎだろ…。
目の前に牡蠣がたくさんあるのに食べられないこの現状。
そう言えば話は少し変わりますが。
朝のラジオ番組の話。
津波で大きな被害を受けた漁業関係者の言葉が思い出されます。
「海にあんな事をされたから普通ならもう海とは関わりたく無くなると思うでしょ?でもこうやってまた海に戻っているのは…そう、海の恵の偉大さには敵わなかったって事だな!がはは!」
次こそは…(ギギギ
※結局昼食は、昼食の〆で食べようと思って買っておいたクレープで済ませました。ホント、カワイイお姉さんのクレープさまさま…
気仙沼の牡蠣小屋でチキンのクレープを食べた後は、南三陸町を目指します。
国道45号を南下するのですが、少しでも谷の部分になると津波浸水地域の標識とともに破壊された土地が現れます。
山を越え…谷が来るとまた被災地…の繰り返し。
気仙沼線清水浜駅。
高架だったのか、丘の上だったのか、それすらも分からず。
左側が海です。(海岸線からは150メートルくらい)
倒壊の危険があるようで立ち入りはできません。
支柱等が山側へ傾いています。
長いホームです。
3~4両くらいの列車が走っていたのでしょうか。
駅を出た部分の高架は残っていましたが、その先が崩れてありません。
人の声が(写真右端)…と思ったら、立入禁止区域へ入っている夫婦がいました。
関東ナンバーのエスティマの主でしたが…あぁゆう事を平気でする神経には(呆れ
拾い物の画像ですが、被災前の清水浜駅前だそうです。
高架の反対側からの写真でしょうか。
これが一瞬で…
悲壮な風景を見ながら市街地へ。
もうあれから5年です。
街の中心地はそれなりに復興が進んでいる…と考えていました。
これが現実です。
高く積み上げられた土の山。
奥の海岸線には10メートルはあるかと思われるコンクリの壁。
ラジオ番組で当時中学生だった女の子が言っていました。
「当時住んでいた所へ行っても…懐かしいとか感じないです。だって何も無いですし、見える景色は全く違いますし…。」
旧防災庁舎前に設けられた献花台。
想像と現実の差にしばし呆然としてしまいました。
5年とゆう時間は…まだ昨日であったかのような…そんな矛盾した時間感覚に。
残された石畳の形状から察するに公園か広場だったかのようです。
どこから流れ着いたのか大きな岩がいくつも転がっています。
この石碑も元々ここにあったのか、それとも流れ着いたのか。
刻まれている四季の詩がとても物悲しく感じます。
現地で案内をしていた方が、他地域から来た人が眉をしかめて苦しそうな表情を浮かべているのを見てか努めて明るく話されていたのが印象的でした。
「気仙沼線は恐らく復旧せずに、現状の代替バスのままになるだろな。線路跡にバスレーンを整備しているんですよ。」
一般道から高架への入り口にゲートがあって、バスのみが入れる仕組みなようです。
バスの箱に乗客が収まるのであれば、事故も渋滞もしない上に鉄道よりも維持費が少なくて済むこの方式になるのも理に適っていますね。
南三陸町で今回の三陸海岸沿いの日程は終了です。
大船渡、陸前高田、南三陸と見て来ましたが…「まだ5年」、これが全てです。
最後はこの大きな看板に釣られてみたクマー。
よくある国道の食堂です。
海岸線から1㌔山側にあるので被災せずに…
認識が甘かった…。
完全に水没したみたいです。
TVや新聞で視たのではどこか遠くの事のような気がして、その深刻さを理解しているようで理解していなかったと気付かされました。
ベタな言葉ですが「百聞は一見にしかず」です。
野菜が山ほど入った味噌ラーメン。
東北最後のご飯はこのラーメンでした。
お腹が苦しい(汗
さぁ…後は愛知へ帰るだけです。
帰りは宮城県石巻から高速に乗って東北自動車道を走り関東へ抜け、圏央道で八王子を経由して中央道で愛知へ…。
の、ハズだったんだけれども。
かつた「今どこにおるの?栃木?もう東京に近いじゃん。寄ってきなよ?来るよね?クロト君も居るよ?」
俺氏「いや、都内入らないしwもう流石に疲れて…」
1時間半後。
愛知では無いのは間違い無いようです。
見慣れた駐車場だな。
これが、ダイハツがつくったさいしんしきのおーぷんかー。
よく山口から無事に辿り着けたな(汗
夜風を楽しみにアキバへ来るとは思いもしなかったわい。
しかし…つい数時間前に居た三陸沿いとのギャップがな…。
段々と忘れていってしまうのも分かる気がしますね。
「東京の大学へ進学したのですが、そこで友達になった人(都内民)は皆震災の事はもうほとんど興味が無く忘れていて愕然としました。まだ何も進んでいないのに…。何だか悔しいとゆうか…」
こんな事を言っていた男の子のインタビューが思い出されます。
私もほんの一端を覗いた程度ですが、それでも少しは意識が変わりました。
この男の子は「少しでも震災の恐ろしさを知って今後に活かして欲しい」と現地を案内するツアーを始めたそうです。
ただ視るだけ。
文字にすると何も価値が無いようですが、実際に視ると得られる物はあると思います。
UDXで小一時間夕涼みしてから再び愛知へ走ります。
クマーは熟睡モードに移行です。
俺も早くベッドで寝たい…。
岩手県花巻のマックスバリュから始まった東北シリーズ最終日は、大船渡・陸前高田・南三陸から予定外の秋葉原UDXを経由して愛知に至る…1200㌔でした。
オレンジ色が4日目のラインです。
メーター上ではトータル2800㌔の旅行となりました。
2000㌔以上は一般道を走った事になりましたが、とても快適で気持の良いドライブでした。
三陸沿いはもう5年経ったら訪れてみたいと思います。
きっと今度こそは想像していたくらいの復興を遂げていると信じて。
とゆうワケで。
長かったこのシリーズもお終いです。
クマーもインテグラもお疲れ様でした。
クッソ長い駄文を読んでくれて●▽※zkxhのあだべ(津軽弁)
ありがとなw(標準語