沼田城は、鎌倉時代からの此の地方の領主沼田氏の12代、万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)によって、天文元年に築かれたと云う。天正年間に武田氏に属した真田昌幸の侵攻により、沼田氏は滅亡。一時、北条氏の領地となるも、小田原の陣以降は真田氏の領地に戻り、初代城主真田信之によって五重の天守閣が築かれた。併し、真田氏五代で改易となった為、天守は破棄される。以降、沼田城は天領、本多氏、黒田氏、土岐氏の領地となるが、天守が建造される事は無かった。(参考文献:沼田市HP)
名胡桃城に行ったからには、沼田城にも寄らないと!と云う事で行って来ました。矢張り、此の2つの城はセットで訪れるのが定石です。
現在は、沼田公園として整備され、色々と運動設備があるのですが、丁度此の日は、中学生のテニスと剣道の試合や、消防隊のラッパの練習で、駐車場が空いてないわ、ラッパの音が五月蝿いわでのんびりと散策出来ませんでした。

天守跡。殆ど遺構らしき物は残ってない上に、現地案内板も充実しているとは云えず、あまり良い城とは個人的には思いません。

本丸跡に残る西櫓台の石垣と石段。

復元された鐘楼。

平八郎石。平八郎と云っても、初代城主信之の岳父本多忠勝ではなく、沼田平八郎の事。真田昌幸が、謀殺した沼田平八郎の首を首実検する為に置いた石だそうです。

国の重要文化財、旧生方家住宅。沼田藩の薬種御用達を務めた生方家の旧宅。元々は市街地にあった物を維持保存の為に沼田公園に移築されました。写真では分かりませんが、屋根は板葺きで石が乗っているのが面白いです。

国の登録有形文化財、旧土岐邸洋館。上記の旧生方家住宅とともに二の丸跡にあり、各100円で見学出来ます。明治の廃藩置県で沼田藩最後の藩主となった土岐氏が、大正時代に渋谷に建築された物を、平成になってから土岐氏より寄付され、移築されました。外観は洋館で、内部は暖炉もありますが、他は殆ど和室です。はっきり云って沼田城の遺構よりも、2つの建物の方が魅力がありました。
本日は此れ切り。
Posted at 2009/07/18 23:27:33 | |
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