贅の限りをつくし、女をはべらすことも試みたが、それもまた虚しい。
知の限りを追求し、すべてを知ろうと試みもしたが、雲を掴むように得るものはなく、全てが虚しいと知った。
って感じの事を永遠と書いてある旧約聖書の一部です。何かに虚しさ、寂しさ、非充実感を抱いた時にこの書を読むととても慰められます。
かのソロモン王ですら充たすことができなかったことを、現代の矮小な自分がそれを充たすことは甚だ出来ないのだ、だから自分の不遇不満を棚にあげるな、と感じることが出来ます。
聖書ってなかなか面白いのですよ。新訳聖書のイエスについてのブラックユーモア溢れる解説書とかもまた面白けり。
最近はめっきり離れてたけど、古文、漢文とかも読みたいな。漢文はとくに、漢字の理解知識が深まるから楽しいよね。
態態とかフツーは読めないからわざわざ調べるとワザワザって読み方だったり、徐ろ がおもむろ だったり無駄知識が増えます。やんぬるかな~
はてさて、何を日記にしたかったのかは不明ですが、女はある程度充たされてますが只今僕は絶賛寂しがリータらしいてす。セックスじゃなくて恋がしたいです安西先生
それでは酒を煽ってねます。

Posted at 2009/11/09 00:47:41 | |
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