子ども手当ての内容がイマイチはっきりと定まっていないようですね。我家の次女は中二なので、対象者。
外国人にも支給するのはおかしいとか、いろいろと非難もあるようですが、おかしかったら徐々に直していけばいい。
遠慮はしません。高校生の長女の授業料無料化とあわせて、この際、もらえるもんはもっらときますよ。
ところで、「子ども手当て」の表記が、「子供手当て」ではないことにお気づきでしょうか? 決して子供にも読めるようになんて配慮じゃありません。わざわざ「子ども」と表記してるんです。
既にその理由が分かってる方は、福祉方面に明るい方なのかな?
なんでこんな話になるかと言うと、私がよく読んでるコラム、 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 の最新のコラム
「ファンタジーの「子ども」では夢は見られない」でも、これに関する話題が取り上げられたからです。
この人のコラム、長いだけで時々何を言いたいのか良く分からないこともあるんですが、ちょっと古い表現かもしれませんが、ウィットに富んだ文体で好きなんです。ときどき成る程!と思う切り口も見せるし。
で、この小田嶋隆さんも何も言われなければ「子供」と書くが、それに対して編集者が「子ども」と書き改めてほしいと注文が付くことが多いと言っています。
その理由。
1. 子供の「供」の字には、「お供」という意味合いがあって、結果「コドモ」を「子供」と表記すると、「大人に付き従う者」であるというニュアンスが生じる。
2. その他、「供」を、神に捧げる「供え物」と見る見方もある。
要するに、「子供」の「供」の字が、子供に対して差別的だってことらしいですね。
で、この小田嶋先生は、意地を張っても仕事にならないので、注文があれば「子ども」に書き直しているとのこと。へタレですね。
私が「子ども」という表現のこだわりを知ったのは2年ほど前だったでしょうか。職場の後輩の女性から初めてその話を聞いたときには、正直、驚きました。そこまでするか!と。同時に「クッダラネー!」とも思いましたね。
そのときもう一つ聞いたんですよ。「障がい者」って表記についても。普通に書けば「障害者」ですが、それをわざわざ「障がい者」と書かなければいけないと言う人達がいるらしいです。
「障害者」の害のマイナスイメージがいけないってことらしいですね。
これは、もうクダラナイを通り越して、気持ち悪いって領域に入ります、私としては。
上記コラムには「子ども」に対する反論も載ってます。
と、ある時、童話作家の先生(かなり有名な作品を書いているちょっと有名な先生)から、メールをいただいた。前半部分は、いつも原稿を楽しく読んでいるというリップサービスで、後半(←たぶん本題はこっち)は「子供」の表記について、メディア側の強要に負けてはダメだぞ、というお叱りの言葉だった。
以下、内容を列挙する。
1. 「子供」の「供」は、単に複数形の名残り。たいした意味はない。
2. こういう文字を取り上げて問題にしたがるのは、子供を利用したおためごかしだ。
3. 差別の無いところに差別を言い立ててそれを問題視する連中は、差別をネタに何かをたくらんでいる。油断してはならない。
4. 表現者が表記について妥協するということは、武士が刀を捨てるのと一緒。許してはならない。しっかりしなさい。
5. なによりもまず漢字とかなを交ぜて書く「交ぜ書き」は絶対に醜い。書いてはならない。
やはり偉い先生は違う! 筋が通ってるねぇ! 私としても、2.3.4.については強く支持いたします。特に3.が臭い。
差別が言い替えや表記替えで解決するなら、とうの昔に解決しとるわ!
(4.についてはインテルのこともあった後だしね、偉そうですが)
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Posted at
2010/04/15 23:45:20