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成田のオッサンのブログ一覧

2012年02月20日 イイね!

築42年の団地

築42年の団地大規模修繕工事の打ち合わせで名古屋市内の築42年の団地を訪ねた。昭和44年に分譲した我社の住宅で、3階建てと4階建て、11棟の団地。その姿は我社の物件ながら、マンションとは呼びにくい。集合住宅とか共同住宅という呼び名が似合う。
一戸当たりの占有面積は50㎡台。今の基準からすればかなり狭い。しかし、当時はそんなもんだった。
住宅も枯れた風情なら、当然、入居者の高齢化も進んでいる。お会いした管理組合の理事長さんは4月で80になると言う。だが、住んでるのは老人ばかりでもないらしい。
当時、理事長さんはこの住宅を300万円で買ったと言う。それが今も300万円前後で取引されているらしい。この団地の住民は新築当初から住み続ける老人と、300万円で住宅を購入した若い夫婦の両極端に別れると言う。
300万円と言えば、もう車を買うような感覚。今の若者でも無理なく買える。しかも車のように一気にその価値が下がるわけではない。特にここまで古くなった住宅は尚更だ。10年住んで200万円でしか売れないとしても、その間、賃貸住宅に住んで家賃を払い続けることを思えば、かなりお得。なるほどなと思った。

狭さは決してデメリットではない。老人世帯や若い夫婦にとってはちょうどいい大きさ。大体、「夫婦と子供二人の標準世帯」ってものが今や幻想でしかない。名古屋市内で最も多いのは二人世帯で、次に多いのが実は単身世帯。

古くて狭い住宅だが、200戸以上の大団地。工事費は一億を超える。
ありがとうござます。
Posted at 2012/02/20 23:48:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 建築 | 日記
2012年02月19日 イイね!

箱を開けたら(9)・・・2匹のメカジキ

箱を開けたら(9)・・・2匹のメカジキこの「箱を開けたら」シリーズで、ソードフィッシュの比較記事を書く日が来ようとはねぇ。長生きはするもんですなぁ。

実機については説明の必要はないですよね? 有名な機体ですもんね。えっ? ある?
じゃ、いつものように、引用だらけの実機解説。
フェアリー・ソードフィッシュ(Swordfish:メカジキの意)は、1940年11月にイタリア海軍の要港であるタラントを夜襲し、イタリア艦隊に重大な損害を与えましたが、その名を後世に残すことになった活躍は何と言っても翌年のドイツの戦艦ビスマルク追撃戦での活躍でしょう。
まず、ビスマルクから説明しなきゃいけませんね。



ビスマルクの艦名は言うまでもなくあの”鉄血宰相”の異名を持つオットー・フォン・ビスマルクから取ったものです。それだけでもドイツ海軍のこの戦艦に対する入れ込みようが分かりますが、実際、当時のドイツの科学力の粋を集めた艦でした。



ヒトラーがビスマルクを視察したときの写真です。第三帝国海軍の象徴であったに違いありません。

1941年5月、イギリス海軍は自国戦艦を沈められた恨みを晴らすべくビスマルクを追いかけ、途中で見失うなどしながらも追いすがり、空母アークロイヤル搭載のソードフィッシュがビスマルクに対して雷撃を敢行し、操舵装置に損傷を与えてビスマルク撃沈に一役かったわけです。

複葉、鋼管構造、布張り、最大速度222 km/h。いくら大戦初期と言えども時代遅れの機体でした。しかし、使い勝手はよかったようで、後から登場してくる新型機を押しのけ、一部では終戦まで使われたようです。

で、やっとキットについて。

まずは、この古いキットから。
複雑な素性のキットのようです。ボックスアートの左上にはCOOPERATIVA Moulded in Russia と書いてあり、このCOOPERATIVAがメーカー名で、ロシアのメーカーのように思われます。ところが・・・






箱の側面に貼られたコピー用紙を見ると、MPMの名と共に Made in Czeck Republic と。
MPMは確かにチェコの模型メーカーですが、一体どうなってんでしょう?
気になって調べてみると、このキット、元々はイギリスのフロッグというメーカーの金型を使ったものらしい。で、そのフロッグのソードフィッシュは長らく決定版と呼ばれたものではあるらしいのですが。しかし、フロッグの金型って下手すりゃ40年位前?

胴体と主翼等のパーツ。
さすがに寄る年波には勝てず、変形やバリが目立ちます。でも年月を考えればこんなもんでしょう。









上記の側面の紙には Upgraded kit と書いてあります。その Upgraded てのはこのことを言ってるんでしょう。
主要なプラパーツとは別の袋に、Mk.Ⅲ用のプラパーツ、エッチング、レジンパーツが入っていました。







これらのアクセサリーパーツを使い切れば、コクピットはこうなるらしい。ま、簡単じゃなさそうですが。
因みに買ったのは数年前で、お値段は1500円。このお値段なら文句は言いません。



















続いて、出たばかりのエアフィックスの1/72 ソードフィッシュ。

おそらくは、イタリアのタラント夜襲を再現したCGですね。結構、大きな箱です。旧式複葉機と言えども三人乗りの攻撃機ですから、零戦などの単発戦闘機に比べるとずっと大きい。その最新のキットが1521円。日本のメーカーでは絶対にできない価格設定。



最近のエアフィックスのキットは単調なやや太目の筋彫りで全体が覆われていることが多く、それがこの古い機体には合わないんじゃないかと危惧されていましたが、なかなか表情豊かなモールドです。この辺が自国機に対する愛でしょうか。







このキットの組説。エッチングやレジンを使わなくてもこの再現度! やはり自国機への愛情か? しかし、完成後はほとんど見えないのでは? 









そしてこのキットの見せ場は、主翼を折りたたんだ状態を再現できること。1/72のキットでは初めてのことだと思います。

冒頭で言ったように有名機ですし、いずれは形にしたいんですが、翼間の張線というハードルが・・・。模型暦は長い方だと思いますが、私、まだ張線はやったことがない・・・・。

Posted at 2012/02/19 00:14:05 | コメント(4) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2012年02月08日 イイね!

箱を開けたら(8)・・・1/72のT-33

箱を開けたら(8)・・・1/72のT-33随分と待たされましたが、やっとPLATZからも出たんで、今回は、以前に泡盛おやじさんとお約束した、3社の1/72のT-33を比較したいと思います。

まずは、今更説明の必要はないかも知れませんが、実機について。

T-33は、アメリカ空軍初の実用ジェット戦闘機P80から発展した、初の複座ジェット練習機です。T-33は6,557機以上が1948年から1959年にかけて製造されるベストセラー機となり、世界30ヶ国以上で使用され、航空自衛隊では1954年(昭和29年)の創立当初からF-86Fと共にアメリカから68機の供与を受け、翌1955年(昭和30年)からは川崎航空機によって210機がライセンス生産され、老朽化した1980年代後半から順次退役が始まり、後継機の川崎T-4への置き換えが進められていき、2002年までに退役させる予定でした。
しかし、1999年(平成11年)11月22日、入間基地の航空総隊所属の1機が墜落し、乗員2名が殉職、墜落時の送電線の切断により約80万世帯が停電するという事故が発生し、残存していた8機全機に対し飛行停止処分が課され、翌年2000年(平成12年)6月に全機除籍されました。
この事故で殉職した、中川二佐および門屋三佐は、近隣住民への被害を避けるべく限界まで脱出せず、川原に誘導した後にベイルアウトしたものの、そのときには既に高度が足りず、地上に激突死したものと見られています。
とにかく、長らく使われた名練習機と言っていいでしょう。何せ50年以上使われた機種ですから。

では、3社のボックスアートから。

この薄汚れたボックスアートは、実際に私が持ってるキットのボックスアート。もう何十年前に買ったものか定かではありません。まあ、30年以上前は固いですね。いくらだと思います? 250円ですよ、250円!




続いて、昨年出た、チェコのSWORD社のキット。
後でご説明しますが、レジンパーツとエッチングパーツが付属してると言うのに、私は2098円で購入。非常にお買い得感が高いキット。この頃は既にPLATZからも出ることが分かっていたため、あえて値下げして勝負に出たんじゃないかと勝手に推測してます。





3つ目は、つい最近購入したばかりのPLATZのキット。発売予告を何度も延期してやっと先日発売。SWORDのすぐ後だけに、SWORDを超えてくるかが注目でした。PLATZって中国製だとばかり思ってたんですが、一応 made in Japan になってますね。金型は中国? 1848円で入手。まあ、こんなもんでしょうか。

次に各社のシートとコクピットを見てみましょうか。

ハセガワのシート。シンプルな形、バリと突き出しピンの跡。歳月を感じさせますね。でも3社の中でパイロットフィギュアが付いてるのはハセガワだけ。まあ、あまり褒められた出来ではありませんが。







SWORDのシートはレジン製。ちゃんとシートベルトまで表現されてます。これを見ちゃうと、ハセガワなんて作る気になりませんよね。因みに中央に写ってるのは主脚の収容庫。左はキャノピーの下フレームです。







上のレジンパーツのほかにこのカラーエッチングまで付いて二千円ちょいですから、お得ですよね。
プラパーツの計器盤にはちゃんと計器類のモールドもあって塗装でも行けるんですが、組説はエッチングを前提に描かれています。
実は、PLATZから、別売りですが、まったく同じカラーエッチングが発売されているようです。どうなってるんでしょう? 商売敵のSWORDからのOEM? 



PLATZのシートとコクピット。それほど凝ったシートじゃありませんね。計器類はモールドされてます。計器類のデカールもあるので、それでもOK。









最後発のPLATZに敬意を表して、もう少し詳しく御紹介します。
3社のうち、PLATZだけが、胴体が前後に分割され、胴体内部のリブが表現されているのがお分かりいただけるでしょうか。私はこの先、エンジン付キットか別売エンジンが出るのではないかと疑ってるんですが、どうでしょう?





PLATZのデカール。さすがに国内メーカー。部隊マークの種類やコーションデータが充実してます。







レジン・エッチングを駆使した細部はSWORD、リベットも表現された機体表面の感じはPLATZが上回っていると言えるでしょうか。あとはそれぞれの好みの問題になるでしょう。

こう書くと、ハセガワの出番は全くなくなったかと思われるでしょうが、そうでもない。うまい人が作れば、前世紀のキットもこうなる。みん友の 泡盛おやじさんのT-33

沖縄の南西航空混成団支援飛行班所属機だそうで、垂直尾翼のシーサーがいいですね。よくぞここまで! 







Posted at 2012/02/08 00:39:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2012年02月04日 イイね!

名古屋の街角から(4)・・・日本初の?

名古屋の街角から(4)・・・日本初の?タイトル画像は、名古屋市緑区にある名鉄自動車学校。仕事で現場に行くときに通る幹線道路沿いにある、自動車教習所です。でも、その自動車教習所、よく見ると他とはちょっと違う施設がある。






何だか分かりますか? この施設の屋根に見える部分は、単なる屋根じゃありうません。よく見ると段々になってませんか? 実は、かつてはスタジアムの観客席だったんです。
それも、日本で最初にプロ野球の試合が行われた、鳴海球場の名残り。
「名古屋の街角から」第4弾として、この施設が何であるか、「日本最初の○○野球の試合が行われた場所」の「○○」を皆さんに当てていただこうかなと、さっきまで考えてました。

ところが、このブログを書くための資料を集めようと、Googleで「プロ野球 発祥の地」で検索してみると、鳴海球場が出てきません。私だけでなく、この地方の方々は、この現在は自動車教習所になっている、かつての鳴海球場が日本で最初にプロ野球の試合が行われた場所と聞かされ、それを今も信じている人が多いと思います。これは調べてみねば! 

調べてみると、日本で最初と言えなくもないが、かなり限定付きの日本最初であることが分かってきました。

「プロ野球 発祥の地」で検索して、割と頭のほうに出てくるのは、千葉県習志野市と東京都港区芝浦です。
まず、千葉県習志野市の由来は・・・(以下、よそからの引用部分は青字で表示します)

1934年にアメリカのメジャーリーグが来日することになり、全日本チームが結成されました。 そのチームが「大日本東京野球倶楽部」という日本初のプロ野球チームとなり、1935年にアメリカへ遠征する際に「東京巨人軍」、つまり現在の東京読売ジャイアンツになりました。 その全日本チームの最初の練習地が谷津球場というところなのです。 ここは現在バラ園になっていて、「巨人軍生誕の地」として石碑が建っているそうです。

練習地では、ちょっと「日本で最初にプロ野球の試合が行われた球場」としての資格はないですね。

次に東京都港区芝浦の方はと言うと・・・

当時の学生野球、特に大学野球の選手はスターとしてもてはやされるようになっており、その人気に溺れて学業をおろそかにしたり不祥事を起こしたりする選手が増えていたため、早稲田大学野球部部長の安部磯雄らはこの状況を憂いていた。ここで、早稲田OBであった河野安通志は、学生野球の腐敗は問題だが、かといってを押さえつけるようなことをしては「角を矯めて牛を殺す」ことになると考え、学生たちの模範になるようなプロ球団を作ることで学生野球を浄化しようと提唱する。こうして、1920年、東京府東京市芝区(現:東京都港区)の芝浦に日本運動協会(商号:合資会社日本運動協会。以下、「協会」と表記)が設立された。

上の習志野よりもこちらの方が古いですね。では日本運動協会の試合はどうかと言うと・・・

1923年(大正12年)、早稲田大学からも勝利をあげるなどチーム力も向上し、6月21日には京城(現:韓国ソウル)で日本で2番目のプロ野球球団である天勝野球団と対戦する。この、日本初となるプロ球団同士の試合は、初戦は6-5で天勝が、2戦目では3-1で協会が勝利し、1勝1敗の引き分けとなっている。この後、8月30日に芝浦球場で3戦目が行われ、これは5-1で協会が勝利した

何と、日本のプロ球団同士の最初の試合は、ソウルで行われたんですね。でも、同年に芝浦球場でも試合は行われてますから、「日本で最初のプロ野球の試合が行われた球場」はこの芝浦球場ってことになります。

じゃ、名古屋の鳴海球場は何なのか?ってことになりますね。Wikipediaにはこう書いてありました。

1936年(昭和11年)2月9日からの3日間「巨人軍渡米送別試合兼金鯱軍結成記念試合」として東京巨人軍対金鯱軍の試合を行い、金鯱軍が第1戦に勝利した。これは、現在のプロ野球組織に属する球団同士が行った初めての試合である。

日本運動協会と天勝野球団は解散してしまったため、「現在のプロ野球組織に属する球団同士が行った初めての試合である」って条件付であれば、鳴海球場が日本で最初になるってことなんですね。これで、何とか鳴海球場の「日本初」の面目は保たれたのかな? ちょっと苦しいか? しかし、史上初のジャイアンツ Vs. ドラゴンズ戦は、ドラゴンズの勝利だったんだ。

ついでに鳴海球場の歴史を振り返りますと・・・、

「東の神宮、西の甲子園に負けない本格的な球場を」という概念の下で設計され、1927年(昭和2年)10月17日に完成した。約20,000人収容のスタンドと、両翼106m、中堅132mという現在の野球場の国際規格(両翼約100m、中堅約122m)を遥かに上回る広大なフィールドを有していた。メインスタンドには後に鉄傘が設けられ、甲子園のアルプススタンドに倣って「伊吹スタンド」と命名された。
当時職業野球の公式戦は後楽園球場と阪神甲子園球場、阪急西宮球場の3球場を中心に開催されており、その後鳴海球場で戦前に行われた公式戦は1938年(昭和13年)4試合、1940年(昭和15年)8試合の計12試合にとどまった。戦争が激化すると、球場は日本軍に接収。金属供出のため鉄傘は取り外され、スタンドは弾薬庫となった。戦争終結後は米軍に接収され、進駐軍のレクリエーションに使用された。
名古屋鉄道(名鉄)が運営管理を行っていたが、1958年(昭和33年)限りで閉鎖された。


あまり、盛んに利用されていたとは思えませんね。確かに、今でこそ幹線道路沿いでそこそこ建て込んでいる場所ですが、建設当時は回りは畑か山林だったのでは?と思えるような場所です。
しかし、あのスタンドが一時は日本軍の弾薬庫! これからも何度も元鳴海球場の横を通ると思いますが、今までとはちょっと違う感慨を持って見ることになりそうです。

こちらで、自動車教習所内の記念碑的なものが見られます。↓
日本プロ野球発祥の地
Posted at 2012/02/04 14:02:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 街角風景 | 日記

プロフィール

「@finding0111 いや、家族がどうせ行くんでしょって言うもんだから、つい。」
何シテル?   11/19 12:28
昔、メルマガで漫画のコラムを書いてました。
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