
自動車雑誌評論家を
ながらくやっていた私は
妙な記事を、憶えています。
確か、
動かない、硬いバリアに、
台車に載せた自動車を
時速60kmで、衝突させて、
自動車の衝突安全性を、テストしたときの話です。
ベンツ190E いわゆる、小ベンツだと、
死亡。又は、重傷。
ヴィッツだと、軽傷、又は中程度の怪我。
と言う様な結果が出たことがあります。
この理由は、当時、ベンツが、8~9年以上位の、
モデルサイクルで製品を造り、
トヨタは、4~5年間隔で、モデルチェンジを
行っていたからです。
マスゴミが、あおったためかもしれませんが
急速に、安全対策が言われて、衝突安全の基準が、
厳しくなっていった時期があったのです。
50km54km・・・・60km/hrまで
進んでいったわけです。
先にモデルチェンジを行ったヴィッツが、
先に、60km/hr衝突安全基準に、到達したからです。
ベンツは、モデルサイクルが長く、
不利だったわけです。
つまり、人の命より、銭儲けが大事、な、
自動車屋さんは、決して、慈善事業を行っているわけでは
御座いません。
ちなみに、それ以上の速度域になると、
人体に加わる衝撃力は、衝撃吸収ボデーや、
衝撃力制御シートベルト、拡張速度調節エアバッグ等
を用いても、減衰させることが、困難なのです。
狭い自動車の座席、という条件のなかでは。
写真は、本田 オデッセイ RB3の、ガソリン給油口です。
これから、この使用法を、ご説明いたしましょう。

レクサスのハイブリッドカーが
売れている。
と、マスゴミが言っていました。
レクサスは、わが田舎町には
販売店が無く、購入しようなどと
考えたことも、ないし、
お金もありません。
ハイブリッドカーは、どうして
ミニバン体型がないの?
ワゴンボデーはないの?
不思議です。
最近、単身赴任の、知人の引越しを手伝いました。
その知人は、セダンに乗っているためです。
オデッセイで、コタツや、掃除機、扇風機、等を、
何回かに分けて運びました。
しかし、40型?の液晶テレビは、
立てたまま、ヴェルファイアの後ろに載せました。
こういうときは、背高ミニバンが便利です。
写真はRB3の、ドアノブです。
降りるとき、中央よりの黒いボタンを押して、ドアロックします。
そのとき、周囲と、稲妻が飛びます。
バチバチ。痛いぞ、オデッセイ。
帯電防止シート生地に、してくれよ。本田君。

私が、R32型日産スカイラインを、
手放した後、日産の、業績は、
悪化していきました。
結局、フランスの、
ルノーの手先となってしまい、
高給取りの、ゴーンちゃんが、
やってきましたが、
コストをカットするだけで、
ヒット車を産み出すことは出来ませんでした。
かろうじて、高額エルグランドが売れて、
命脈をつなぎ、その後、エルグランドが古くなり、
今は、セレナが命綱に見えます。
主力工場であった、村山工場を閉鎖し、
他の工場に、集約されることになり、
村山工場勤務の方で、他工場への転勤を
指示され、自宅のローンや、親の介護等の問題で、
転勤不可能として、自殺された方もでて、話題になりました。
かって、トヨタと競争していた頃の勢いを
取り戻すのは難しいのでしょうか。
得意だった、絶壁インパネ、ピラーレスハードトップ。
ATミッションの、セカンドショック
(日産ショックとも言われ、セカンドにシフトアップするときに、
ガックン とショックがあった。)
懐かしく思い出されます。
ワンエイティや、シルビアが売れていた頃。
食う寝る遊ぶの、セフィーロの頃が。
若かあったあ、あのうころ~。(ふ、古い。)が、
懐かしく思い出されます。
フランス人は、ケチで、高慢ちきで、
日本人とは感性が違う。という印象がありますからね。
日産車を購入すると、おフランス国に、
銭を吸い上げられるのでしょうか?
男だったら 乗ってみな。
その時 精悍。
この後に続くのは?
答えの判る人は、年寄りです。
「日産スカイライン」です。
写真は、精悍な?
分厚い、本田オデッセイRB3の、ドアミラーです。

計算上は、
200ピョロリン単位を
超えるはずです。
実際には、メーター読みで
184ピョロリンを超えると、
エンジンの点火が強制停止し、
未燃焼の、なまガスが、排気管の触媒に
流れ込み、異常燃焼を起こし、
排気音警告灯が点灯するという噂でした。
触媒が傷むので、183ピョロリンを保ったまま、
高速道路を走り続けるのが、粋な走り方でした。
今日は、唐手の練習の日でした。
今度、地域のお祭りで、唐手の型の演武があるので、
その練習がありました。
祭りのプログラムに、G流唐手道演武。
と、載っていました。
頑張らなきゃ、我が家は、パパと、子ども1号、2号、3号
皆参加です。インフルエンザウイルスに負けませんように。
写真は、ヴェルファイアの2列目シートから、
前方のリヤモニターを眺めたところです。

とある、雨の日でした。
一人目の子どもが
お腹にいた、家内を
助手席に乗せて、
片側2車線の、大都市の、
街中を走行していました。
(マイ R32スカイラインは、社会人になって、無理をして、
すぐに購入し、その後、走行距離に応じて、
ショックアブソーバーや、コイルスプリング、を新品に交換し、
また、ブッシュ類は、サスペンションアームに
圧入してあるため、アームごと、何度か交換しており、
オリジナルのままで、何年も乗り続けるつもりでした。
9年目の車検を受けたばかりでした。)
その後、雨脚が強くなり、前方が見えにくい状況でした。
右側の車線を、軽快に流していました。
その時、何の前触れも無く、突然、視界が真っ白に
なったのです。何も見えません。
慌てました。なんとか、左に寄せて、
停車するまで、身が縮む思いでした。
エアコンが、突然死して、除湿が効かなくなったのです。
それで、エスティマを、注文して、納車されるまで、
代車を、トヨタカローラ販売店から借りました。
納車に2ヶ月の予定が、4ヵ月位掛かりました。
3ヵ月経った所で、
もうすぐ子どもが生まれるので、待っていられないので、
キャンセルすると、ブチ切れた義父が販売店に電話し、
吼えたら、それから、1ヵ月程で、納車されました。
客を、舐めきったトヨタカローラ販売店でした。
スバルレガシーを、試乗に行きましたが、
4気筒の割りに300万円越えと、高価なので、断念。
当時のフォレスターは狭すぎて、
ベビーシートを付ける対象にならず、
本田オデッセイは、V6 3000ccがありましたが、
クルーズコントロールが単純な構造でしたし、
その時点では、
もうすぐフルモデルチェンジすることがわかっていました。
実際に、オデッセイがフルモデルチェンジして後は、
2300cc 4気筒のみになってしまいました。
当時は、私も若く、ファーストカーとして、6気筒の、
パワーのある自動車がよかったのです。
2代目V6 3000ccエスティマは、
レーザーレーダークルーズコントロールが新装備され、
とても、魅力的だったのです。
写真は、RB3オデッセイの、リヤハッチドアを開けて、
なおかつ、全てのドアロックを解除するボタンです。
この位置には一個だけです。
今日の、お勧め書籍は
今野 敏先生の、「武士猿」です。