上高地

標高3000メートル級の穂高連峰そして焼岳、霞沢岳などの名峰に囲まれ、
日本有数の大自然に抱かれた上高地。
※発展の軌跡
明治以前、上高地に出入りしていたのは、樹木の伐採のための、木こりがほとんどでした。明治になり、地元島々の上條百次良は許可を得て夏の間だけ、松本周辺で集めた牛や馬を、徳本峠を超えて、上高地で放牧を始めました。いわゆる上高地牧場の始まりですが、場所は、小梨平、明神、徳沢の3箇所、特に徳沢は徳沢牧場とも呼ばれていて、残雪の山々を背景にした牛や馬の放牧は、古きよき時代の牧歌的な光景の一部として、訪れる登山者に親しまれました。
大正4年6月に焼岳が大爆発を起こし、流れ出た土石流が梓川をせき止め、そこにできた池は大正池と命名され上高地の風景のひとつに加わりました。上高地ホテル(現在の上高地帝国ホテル)の建築にあたり、釜トンネルを通り大正池まで資材を運び、そこから建築現場まではまだ道路が開通していなかったために、大正池を小船で運んでホテルを建てました。
昭和2年は上高地にとって重要な年でした。文豪芥川龍之介が3月に彼の代表作の一つである小説『河童』発表、上高地と河童橋を登場させました。7月には鉄道省(現在のJR)が後援し東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部に於いて、投票数では天竜峡に大差をつけられたものの、上高地が第一に推されました。この月に芥川龍之介は自殺し、8月になると、昭和天皇の実弟秩父宮殿下が上高地から奥穂高岳に登り槍ヶ岳への縦走が行われ、連日新聞の話題となりました。さらに理学博士中井猛之進は、国立公園選定の準備調査の中で、上高地の河原で日本で初めてケショウヤナギを発見した年でもありました。この年を境に観光客は大幅に増加しました。
上高地一帯が国立公園に指定されたのを機に、上高地の牧場は閉鎖され、河童橋までバスが運行されるようになり、誰もが気軽に行くことが出来る観光地として、またマイカーの普及も拍車をかけ年々観光客の数が増えてきました。上高地の駐車場は常に一杯のため、道路は駐車禁止にも拘わらずどこでも駐車をしてしまうような事態に陥り、昭和50年ついにマイカー規制を実施。その後、徐々に強化し、現在はマイカーの通行が全面禁止となりました。安房トンネルの開通と共に益々国道158号線の交通量と上高地への観光客が多くなってきたのにともない、上高地への新たな交通手段として沢渡から上高地まで、トンネルによる登山鉄道計画が進められています。
ネットより抜粋
住所: 長野県松本市安曇上高地
電話 : 0263-95-2405
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