2015年09月03日
夏休みの自由研究
うちの子たちが通う小学校の「自由研究作品展」を見てきました。学校の体育館に多くの作品が展示されており、大変見ごたえがありました。低学年の工作なんかはお家の人と一緒に頑張ったんだろうなと思われる雰囲気を醸し出していたり、高学年ともなれば自力で一生懸命頑張ったんだろうなと想像される出来栄えだったり。壁新聞なんかは「よくぞここまで調べたなぁ」と感心させられる力作もありました。
で、自分の子どもの作品の目の前で他の来場者の方が足を止めて見ていたりすると嬉しくなっちゃう。はい、親バカです。
こういう夏休みの自由研究に於いて、昨今では「宿題代行サービス」というのが話題になってますね。学校に提出する夏休みの課題は代行業者に委託して片付け。自身は進学塾の課題などに取り組むというケースが多いようです。これに関しては賛否両論あるようです。賛成派の人にとっては、学校の自由研究なんて時間の無駄であり、そんな事に時間を費やすくらいなら進学塾の課題など子どもの将来の為に役立つ取り組みに充てる方がより正しいという言い分なんでしょう。でもさ、それって結局「何事もお金で解決」という価値観を子どものうちから正当化させてしまうって事でしょ。いや、それが正しいっていう教育方針ならそれはそれで否定はしませんよ。でも、僕はそれはおかしいと思うだけ。赤の他人がやった物を自分がやりましたって言ってウソをついてまで作品として提出するのであれば、それは今絶賛ブレイク中のパクリアートディレクター佐野研二郎と何ら変わらないですよね。家族が手伝うのと何が違うんだという声もあるかも知れない。ただ、「児童が家族の協力を得ていっしょに頑張った作品」と「家族が金を出して児童が作成したとして偽った作品」とでは全く意味が違うと思うのね。
何だかんだ言っても、全ての小学生の児童にとって一生に6回しか無い自由研究のチャンス。
この機会を
「たとえ上手くは出来なくても
自分の力だけで何かをやりきるチャレンジ」にするもいいし。
「家族と一緒に頑張って
かけがえの無い思い出」にするのもいい。
取り組み方はいろいろあっていいよね。
でもさ、代行サービス使いながら佐野研二郎ことトレース王子のことをメタクソにこき下ろしている人なんてのは鏡に向ってバカって叫んでいるのと同じだということに気づいていないんでしょうな。自由研究って宿題の本質ってば、与えられた期間を使って自分を表現するという、おそらく社会に出てから非常に求められるスキルを試される機会なわけですよね。そうしたスキルを磨かずに一体どんな大人になるつもりなんでしょうね、いや、当該保護者がどのように子どもを育てようとしているのかが疑問なわけですわな。
点数とかで計れない、
「個性」を育む数少ない機会に
それぞれの家庭なりに
真面目に向き合うことが大事だと思う。
とまぁ、
子どもたちが一生懸命頑張った作品をたくさん見てから、その後で「金と権力と欲望にまみれて盗作を繰り返す汚れた大人」のニュースを見ますとね、
いっそのこと子どもたちに絵を描かせたほうが、よっぽど素晴らしい作品が生まれると思うんだけどね。
まぁ、オリンピックの金のニオイに群がるキッタナイ連中の戯言に子どもたちの純粋な気持ちを巻き込むのは真っ平ごめんですけどねぇ。
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Posted at
2015/09/04 12:35:09
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