2013年09月27日
どうも、
東北楽天ゴールデンイーグルスが初優勝。
一方、私が応援する中日ドラゴンズはBクラス。
周りの人から見た以上に、心底落ち込んでいるYSUです。
みなさんいかがおすごしですか?
さて、
前回の「しまむら土下座ツイッター」の話の中でドラマ「半沢直樹」について(あんなの真剣にみて感動しちゃってる奴って馬鹿じゃないのかと思う)と話したが、そう思う理由について詳しく述べていなかったので改めてここでぶちまけようと思う。
自身、池井戸さんの本は何冊か読んだしドラマの方も全てではないが何話か見た。
そんな立場からすれば、最近のテレビドラマにしてはちゃんと作っているという意味で高く評価できる作品であるかとは思う。なにしろ最初にアイドルタレントの起用ありきのキャスティングではなく、演技力重視で演劇界や歌舞伎など各方面で活躍する実力派の役者さんの演技がぶつかり合う。それだけでも見る価値のあるドラマだと思う(もっとも上戸彩の起用は疑問なのだが、、)。
でもね、「半沢直樹現象」とも言えるこの人気を分析した各方面の記述が気になって仕方が無い。
多くの「自称:評論家」という方々の大半が「半沢直樹=時代劇(勧善懲悪)」という図式で語っている。そして、日本人好みの痛快エンターテイメントだから支持されたんだと結んでいる論評がほとんどだ。ホント、みんな判で押したように、、、、
でもね、本当に「半沢」=「勧善懲悪の時代劇」なものかねぇ、、という疑問が、、、、
勧善懲悪がテーマの時代劇と言えば、普通は皆さんは何を思い浮かべますか?
「水戸黄門」
「暴れん坊将軍」
「大岡越前」
「遠山の金さん」
「鬼平犯科帳」
などなど、、、、、ってとこでしょ!
これらの主人公って、確かに「庶民の味方」ではあるんだけど絶対に庶民では無いんです。将軍様やお奉行様とか皆えらいひとばかりです。彼らが身分を隠して悪を暴くってのが「様式美」として存在するのが時代劇です。そう考えると時代劇に近いのは「ウルトラマン」とかのヒーロー物なんだよね。主人公は悪に対抗する力を持っていることを視聴者は知っているし、それを最初から振りかざすことなく見るものをハラハラドキドキさせておいて最後には勝つ。言うなれば「予定調和」の美しさなんですわ。
そう考えると「半沢直樹」に時代劇らしさは微塵も無い。半沢自体は戦う相手に比べれば社内の地位は低い。勝ち目の無い無謀とも言える戦いを仕掛けているようにも思える。どっちかと言えば高倉健や池辺良あたりが出てた「ヤクザ映画」の方が似ているのではないか(もしくは最近で言えば「Vシネマ」)。理不尽な仕打ちに耐え、絶体絶命な境遇になるんだけど立ち向かう。最初は仲間だったのに平気で裏切る奴が出てきたり、逆に義理や人情に惚れて敵対勢力から寝返ってくるやつがいたりする。絶対に無理や~とか、こいつ頭おかしいだろ~って状況なんだけど、その真剣な演技を目にすれば細かいことなんて吹っ飛んでしまう。そしてその迫力は不利な状況すらひっくり返してしまう。そう考えると「半沢直樹」=「ヤクザ映画」なんだよなぁ。
くしくも、ドラマ「半沢直樹」の原作「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」の続編にあたる「ロスジェネの逆襲」の中に「これは現代の侵略戦争だ。」というセリフが出てくる。そして、これこそが銀行業界出身の作者:池井戸潤氏の考える金融業界の本質の部分を象徴している。強烈な縄張り争い、内部抗争、そして「やられたらやり返す」。信用、安心という事が表向きでは重要視される金融の世界にあって、実はそういうキレイごとばかりでは無いと言うメッセージが見えてくる。そう考えれば、現実のサラリーマン社会ではありえない序列を無視した復讐劇というものが起こる背景が理解できると言うわけだ。
と言うことはね、
「半沢直樹」を見て、感動しただの共感しただの言ってる御仁は「ヤクザ映画」見て「かっこえぇ、俺も健さんみたいになりてぇ」と言ってるのと同じなんですわ。それでもピンと来ない人は「北斗の拳」に置きかえても良いですぞ。「勧善懲悪の時代劇」なんてきれいごとを言うのはやめにしたらどうですか?そういう思慮もなしにボケ~っと見てても、あなたは誰とも戦うことは出来ませんよ。
その昔、
アメリカの映像エンターテイメントと言えば西部劇だった。
インディアンをカウボーイが次々と撃ち倒していく。
それこそが「自分たちは強いんだ」という米国人の自尊心を維持するために有効であった。
しかし、時代が変化しインディアンに対する人権問題なんかに配慮し、今では「戦争映画」なんかに形を変えて我々日本人をバンバン殺しまくる映画が定期的に作られるようになったわけですね。
日本におけるヤクザ映画も同様です。
ならず者の「力」にあこがれる一般人の心の闇の部分を満たすための娯楽としてヤクザ映画は一定の需要があります。しかしながら近年の反社会勢力を美化するのはいかがな物か?という風潮もあってVシネマなど限られた範囲でしかヤクザやチンピラを主人公にした物語は映像化されなくなってきた。そういう意味で「西部劇」→「戦争映画」にシフトしたアメリカの映画界と同様に「ヤクザ」→「金融業界」に舞台を移したという考察はあながち見当ハズレではないのではないか?
そんな風に考えると、ドラマ「半沢直樹」がキモチ悪く見えてきた。
もちろん、池井戸氏の作品はこれからも読むだろうし、今まで読んだ作品も多くが面白かった。
池井戸氏が半沢シリーズに隠した本当のメッセージが何なのか?
それは受け手にとっていろいろであるというのが本当のところだと思う。
ただ、そういうメッセージを感じることも無く表面だけをなぞっていくのは本当に作品を楽しんでいるのだろうかという疑問が残る。
てな感じに思えば思うほど、
あのドラマは「演技力抜群の俳優さんたちの『顔芸』を楽しむ番組」としか思えなくなってきましたわ。
個人的には「反社会勢力」の連中は大嫌いだし、そういう類の生き物を称賛するようなマネはしたくないからね。
追伸。
最終回の大和田常務の土下座シーン、、あれは無いわ~。
あの演技を絶賛する声も聞かれるけどね、
ホントに「やりたくも無い土下座」をさせられる者のキモチが出ていない。
多分、役者さんがこれまでの人生経験で重ねてきた物が薄っぺらいからなんだろうけどさ。あれじゃぁ、「生まれたての子馬」だよ。
それまでの多くのシーンで「さすがだな」と思わせてきた素晴らしい演技がぶち壊しになった瞬間だった。
さらに、追伸。
ロスジェネは、やはり「劇場版:半沢直樹」なんだろうな、、、
Posted at 2013/09/27 11:39:22 | |
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