
こんばんは、久々にブログ更新。ですが今回も車ネタではありません。音楽ネタ。
毎日来る日も来る日も車触ってると離れたくなるんです。
別に嫌いなわけでないんだが、完全に仕事という見方しか出来ないのが本音、ここまでくると。だから家では、休みの日も車の話はしたくない、車の雑誌も置いてない。
ご安心を、完全に仕事として観てるからこそ皆さんの車を触る時は真剣になれるんですから・・・これはオレの本心だ!
だいたい最初から最後まで、入口から出口まで「おれは、車が好きでどうのこうの」って言ってる奴ほどいい仕事してないと思う。あくまでオレの考えだけど・・・・
そんなことはさて置き本題に行こうか。最近バンバンさんが立て続けにジェフポーカロが参加したアーティストの作品を取り上げられてるんで、オレも触発されちまったよ、バンバンさん(笑)
以前、矢沢永吉と私 というタイトルで永ちゃんからの影響されたこと書きましたが永ちゃんからは生きてく上での勇気、パワーを貰ってます。
ポーカロからは、ズバリ仕事への取り組み方、考え、すべてにおいてかな。
ではジェフポーカロというドラマー、ドラム職人について語りましょう。
1954年4月1日生まれ、父はジャズ界では著名なパーカッション、ドラム奏者のジョーポーカロ。その影響で3歳からドラムに興味を持ち5歳になる頃には既にタイムキープができていたらしい。やはりこの辺は血筋か・・・ 彼がプロとしてデビューしたのは17歳の時。このときまだ高校生で学校からも特例で早期卒業の許可を認めたとか。ソニー&シェールのツアードラマーに抜擢された他ジャックドーティのグラスオブ71ではジェフが敬愛してやまないジムケルトナーとのツインドラムで参加。その後スティーリダンのアルバム、「プレッツェルロジック」で次の「うそつきケイティ」では1曲を除いて他全曲プレイしている。このとき若干20歳か21歳。やはりタダもんじゃないです、この人は。
彼を一躍有名にさせたのは、まぁ皆さんご存じの通りボズスキャッグスの76年のアルバム「シルクディグリーズ」。ロウダウン、ウィ アオールアローンなどのヒット曲を生み瞬く間にジェフをスターダムへ。
特にロウダウンでのドラムはカッコよすぎです。その後自身のバンドTOTOでの活動はもとよりセッションドラマーとしての需要も相当なものとなり一時、特に70年代後半から80年代にかけては彼の名前が載ってないアルバム探す方が難しいくらいだったんではなかろうか。
彼のドラムは必ず誰かカンカの曲で耳にしているはずです。沢山のミュージシャンにジャンルを越えて愛され続けた彼も1992年8月5日、35歳の若さでこの世を去りました。当時私は高校生、新聞の三面記事の片隅に彼の死去の記事を見つけたときはショックでしたし忘れません。
そんな彼が参加したアーティスト、私が分かってるだけすべて書きたいんですが膨大すぎて無理なんで少しだけ書きます。
日本人
高中正義、竹内マリア、尾崎亜美、チャー、矢沢永吉、中村雅俊、岩崎宏美、河合奈保子、渡辺貞夫、シングライクトーキング、飯島真理、浜田麻里、葛城ユキ、上田正樹、杏里、南野陽子、渡辺美里、小田和正、オフコース、麻倉ミキ
海外
ボズスギャッグス、ボビーコールドウェル、レオセイヤー、ジャクソンブラウン、マイケルジャクソン、エリックカルメン、ジョーコッカー、エルトンジョン、バーブラストライザンド、アレサフランクリン、リッキリージョーンズ、ポールアンカ、ビルラバウンディ、ネッドドヒニー、ドナサマー、ドナルドフェイゲン、ロバートパーマー、ピータアレン、ダイアナロス、キャロルベイヤーセイガー、セリーヌディオン、ポールヤング、ブルーススプリングスティーン、ビルチャンプリン、マイケルボルトン、マイケルマクドナルド、デニースウイリアムズ、ランディニューマン、ポールサイモン、ライオネルリッチー、ランディクロフォード、ドンヘンリー、デビットギルモア、セルジオメンデス、スタンりクラーク、リーリトナ、ラリーカールトン、スタンゲッツ、ハービハンコック、ジョージベンソン、アルジャロウ、マンハッタントランスファー、ホール&オーツ、ビージーズ、アースウインド&ファイアー、ジャクソンズ、ピンクフロイド、エアプレイ、スティーリダン、トムスコット、アメリカ、ピータフランプトン、エリッククラプトン、ダイアストレイツ、トミーボーリン、ペイジズ、ポインターシスターズ、テンプテーションズ、マドンナ
などなどありすぎてつかれてきますわ~全く。
彼のドラムプレイの特徴として真っ先に浮かぶのは、絶妙なハネ具合、タイトさ、音色。ハイハットワーク、ロザーナに代表される片手16ビートのハーフタイムシャッフル。
しかし彼は決して自分の技量にうぬぼれませんでした。いつも引き立て役に周る所、その謙遜したところこそがいろんな人からお呼びがかかった理由ではないでしょうか。
愚かな注文でもしない限りは実に協力的であった反面、「自分」というものはどの現場にいっても崩さなかったようです。まさに完璧に職人、プロフェッショナルだったんでしょうね。
彼は自身がプレイする曲のラフテープをたったの1回だけ聞いてそれで全体のノリ、おかずをコントロールしてしまうそうな。譜面を見るのはその最初だけ、あとはすべて暗記。その後譜面をポイしてしまうそうな。堅苦しさよりもフィーリングを重視してたんでしょうね。
教科書どうりやってもうまくいく訳ない、いい物作れるわけない、「ロック」なんですよ、永ちゃんにしてもポーカロにしても生き様が。そしてオレも。
やっぱり「自分」っていうもんは譲れない。これは人の言う事をまったく聞かないといってるのではない!
「ロック」な生き方、ただそれだけ。
いまの世の中、「人がこうだといったからわたしもそうしなきゃ」そんな人多いんじゃない。
だから駄目になるんです、世の中。「独自性」がないから・・・
今日はこの辺で、さようなら。
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Posted at
2009/11/12 21:32:24