2013年01月06日
本年もよろしくお願いします(^○^)/
Posted at 2013/01/06 13:04:50 | |
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まじめ話 | 日記
2012年03月11日
今日は3月11日。
色々な人が色々な事を思うでしょう。
自分はこの1年間がとても長く感じました。
色々な事がありすぎたから。
何があったか忘れないように書いて行こうかなって思います。
3月11日 14時46分
私は職場で働いていました。
1階にある閉ざされた広い検証室で二人で作業中。
初めはいつもの規模の地震だと思い、気にしなかったのですが。
しばらくして、尋常じゃない揺れが・・・
とっさに検証していた車の中に乗り込みました。
すぐに部屋の電気は切れました。
検証室は窓が無いので、真っ暗になりました。
あちこちで配管が外れるよう音、プシューっと何かが噴き出す音。
そして、地震の地響き轟音。
揺れの大きさに外に出ることも出来ず、車の中で二人でただ耐えていました。
とっさに車のルームランプを付けると、同僚の恐怖の顔。
「これ、ヤベーな。これ、ヤベーぞ!」
それしか言えない状況。
4階建ての建物が崩れ落ち、屋根が落ちてくるのではないかという恐怖心が地震の間ずっと私たちを襲っていました。
しかも、車に乗ったせいで、揺れが増幅し掴まっていないと耐えられません。
激しい揺れで、外に出るなんてことは出来ませんでした。
6分後・・・
車から出て、持っていたライトで辺りを照らしながら出口へ向かいます。
ガソリンの臭い、リフトから落ちている車が見え、
その後出口の扉を開ける。
すると、辺りは真っ白。
扉の向こうは、さらに部屋がありそこの天井が至る所に落ちていました。
その砂煙で視界が遮られ足元に瓦礫が広がる中、外に出る出口を目指します。
外に出ると、とても眩しい光と共に、おびただしい人が走って避難していました。
私も走って避難場所へ。
2時間ほど、会社で待機していたでしょうか。
ようやく、帰宅命令がでました。
幸い、自転車で通勤していたので、渋滞にも巻き込まれず家に帰れました。
携帯で嫁さんとも連絡が付き、とりあえず安心して家へ向かいます。
嫁さんは、アパートから脱出し、車の中で過ごしていました。
とりあえず、家の中を確認しようと扉を開けるとこのような状況です。
目につくものすべてが倒れていました。
余震もまだまだ続いているので、部屋の中では危なく
お風呂に水だけ溜めて、とりあえず車の中で過ごすことにしました。
車のテレビを見ると、私の住んでいる地域は震度6強でした。
少し余震が落ち着き、周辺を歩いて確認しに行くことにしました。
瓦の屋根は落ち、倒壊寸前の家、水道管が破裂したのか水があふれた大渋滞の道路。
やはり、電気が止まっているので、自販機もコンビニもやっていません。
不覚にも、まさかこんな大地震があるとは思わずに
防災用の食料を備蓄していなかった私は、どこかお店が開いていないかとさまよいました。
大型スーパーはどこも閉まっていましたが
近くの商店がお店を開いていました。
いつも通るけれど、利用したことのないその小さな商店で
ポテトチップスとチョコレートを譲ってもらいました。
余震が怖いのと、部屋がグチャグチャで入れないので
その日の夜は、車の中で過ごしました。
余震が起こると目が覚めるので、ほとんど眠れず・・・
夜が明けて、12日。
お腹が空いた私たちは、近所を歩いて開いているお店が無いか見に行きました。
すると、お昼過ぎに近所のホットもっとが店先で青空店舗を開いていました。
電気が使えないので、ガスで作れるハンバーグとから揚げのみの販売でしたが
温かい食べ物が入手出来て、とても美味しかったのを覚えています。
この日は、とにかく家の片づけと、地震の状況をテレビで見ていた一日でした。
これが震災直後のミニモ周辺の状況です。
次は、その後の一年を振り返ろうかと思います。
Posted at 2012/03/11 10:32:40 | |
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まじめ話 | 日記
2012年02月19日
ちょっとテレビを見ていて思ったこと。
不況が長引くなか、平凡な容姿、平均的な年収、平穏な性格を求める女性が増えている。
っていう特集。
特に最近は公務員の相手を求める女性がさらに増加しているらしい。
ある女性は、安定を求めているだけで良いの?もっと上を目指したいとか、挑戦しないの?
との問いに
「失敗したらどうします?やはりどうなるか分からない世の中なので安定を求めます」
だそうです。
まあ、分からないでもない。
自分もその人と変わらない年代で、バブルの頃は殆ど知らないし、生まれてずーっと不況と言われてきた世の中を育ってきたので。
挑戦して、敗れた者に待っているのは、負け組の烙印と困窮した生活・・・
彼、彼女らは実際にそういう人が周りにいるのだろうし、そういう情報も蔓延している。
自分も一寸先は闇、そう思ってしまい躊躇や恐れを感じることもある。
それだけ、世の中は当てにならないモノ。
そういう意識が、今の若者にはある。
空しい世の中といって、全てを社会のせいにしてしまうのは簡単だ。
でもそれでは何も解決しないことも、皆分かっている。
だから、自ら防御をして、先述のような女性が存在する。
一方、もう一つのテレビを見ると、挑戦する女性がいる。
イモトアヤコがアコンカグアに挑戦して、あと200mという所で登頂を断念したってやつ。
テレビで見ているだけでも、その山の過酷さと、大変な努力、常軌を逸した精神的苦痛がまじまじと伝わってくるような状況で。
それを乗り越えてすら、達成できない挑戦。
彼女はそれでも、挑戦を諦めない。
恐らく来年も挑戦するのだろう。
なぜ、過酷な山に挑み続けるのか?との問いに彼女はこう答えた。
「1年に一度、自分自身に挑戦をしたい。
そこで得られたものは、必ず自分の成長に繋がるから」
彼女は今回の失敗で、成功以上の何かを得たと思う。
どんなに、努力しても、周りの協力を得られても、失敗してしまった現実。
それを乗り越えられれば、更なる成長がそこにはある。
「失敗無くして成功なし」
昔の人は良く言ったものだ。
自分は、今の若者の安定志向に異論を唱えるつもりは毛頭ない。
その気持ちは良くわかるから。
でも、
上を目指して成長を続けなければ繁栄は無い。
最初のテレビの女性と、イモトアヤコ。
どちらになりたいと言えば、イモトアヤコだ。
だって、挑戦し続けた方が絶対楽しい人生じゃん!
たった一度、与えられた人生。
挑戦して、経験して、自分を高めて行きたい。
そして、楽しみたい。
「ああ、俺の人生やりたい事やったわ♪」
って死にたいじゃない(笑)
だから、明日も挑戦を続けよう。
Posted at 2012/02/19 23:45:22 | |
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まじめ話 | 日記
2011年03月12日
東北地方太平洋沖地震に完全に被災しました。
しかし、幸いに怪我もなく家族共々無事にいます。
職場ではすぐに家に帰され、帰ってみるとこの有様です・・・
震度6強の威力です。
幸い、地震の振れ方向がこの写真の奥行方向のためテレビとその隣の棚は倒れていませんが、
本棚、冷蔵庫、食器棚、全てがぐちゃぐちゃになりました。
先ほどようやく電気は復旧しましたが、水道は今だ断水状態です。
昨夜は車の中で一夜を過ごし、チョコとポテチしか食べ物が無い状況でした。
今日はホントに助かりました。
近所のホットもっとが自分たちも大変な中、臨時で営業してくれました。
お米は炊けず、ハンバーグとから揚げ、豚汁のみでしたが、氷点下の中一夜を過ごした身には暖かい食べ物を必死に出してくれる方が、本当に神様のようでした。
他にも営業してくれているコンビニや、商店、スーパーがありましたが、本当に感謝です。
今だ余震が常に起きているんではないかという、恐怖で熟睡は出来ません。
会社にいる時は、4階建ての1階にいて、絶対に潰れて死んでしまうと思いました。
でも、もっと酷い津波による被害で大変な目にあっている方も大勢います。
どうかその方の為にも、このブログを見て何でも良いので物資、支援を送ってあげてください。
よく被災地は大変だとかニュースで聞いて、人ごとのように思ってしまいますが、実際被災すると水も使えない、トイレも行けない、お風呂も入れない、食事も満足に取れない。電話もつながらない。
何より、いつ地震で倒壊するかという恐怖。
この大変さが、想像を絶するものだと現場に居ると感じます。
そんなブログを書いている最中にも余震が襲ています。
今日も防災袋を抱いて寝ることになるでしょう
Posted at 2011/03/12 19:57:25 | |
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まじめ話 | 日記