
みんから仲間のブログを見て梅の花を見たくなり
多摩サイ沿いの府中郷土の森へ見に行くこととした。

朝10時に自宅を出て国立方面へ
以前何度か訪れたことのある
鉄道総合技術研究所へ
ここの町名は新幹線ひかり号にちなんで
光町と名付けたとのこと

正門の向かいの国分寺プラザには0系新幹線が
この新幹線は951-1形と呼ばれる試作電車です。

その後国立市内を通り
国分寺に向かうとたまらん坂.と呼ばれている坂が
ここは一橋大学の学生がたまらんたまらんと言って登っていたことに
由来されるらしい
今は亡き忌野清志郎さんの曲多摩蘭坂が
有名です。
坂を上り途中から府中方面へそう熊野神社古墳へ向った

熊野神社境内の本殿北側にある小山が古墳だ
大化の改新のころ出来た上円下方墳であり
埋葬されているのは皇族との噂が?
古代ロマンを感じます。
西府から中河原ここから多摩サイを走り 郷土の森の隣の金塚桜広場にある円筒分水へ
ただ規模が小さく まるで公園の噴水のようちょっとがっかり帰って調べたところモニュメントとして
作られたとのこと さて向かいの交通公園にはD51があるでは???

気分を変えて分倍河原へ

ここは室町時代新田義貞が鎌倉幕府軍と戦い勝利し
鎌倉幕府を滅ぼした歴史的に重要だった戦場とのことです。

熊野神社を見学のあと 白糸台の掩体壕です。
掩体壕とは戦時中、爆撃から飛行機を守るためにつくられた防空壕です
今では、ほとんどのものは取りこわされて残っていないのですが、、白糸台にあるものは
所有者が個人で補修を続けていたそうでその後市の史跡に整備、公開されたそうです。

この掩体壕、他に調布飛行場の隣の「武蔵野の森公園」にもあるらしいので行ってみることにしました。
掩体壕を利用した飛行第244戦隊は三式戦闘機「飛燕」を軽量化しB29へ体当たり攻撃で戦果をあげた
部隊です。掩体壕には飛燕が描かれており当時を忍ばせます。

調布飛行場掩体壕を見たあと 府中市浅間町にある旧陸軍燃料廠の
府中通信施設へ 戦後はアメリカ太平洋空軍第5空軍司令部が
おかれていたらしいその後返還された土地は公園など 返還されなかった場所は
そのままアメリカ太平洋空軍の管轄地に でもどう見ても 廃墟のようですが
このアンテナが萌えますね。

帰り道は府中街道をから五日市街道にでて玉川上水を通り自宅へ戻った。
今回のベストショットは浅間町の道路脇のウメでした。

郷土の森に行きましたが ランドナーの置き場所と 入場料の関係で通り過ぎてしまいました。
走行距離42km
Posted at 2014/03/10 22:03:00 | |
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ランドナー | 日記