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ぜーたのブログ一覧

2023年02月04日 イイね!

マスクマン

屋外ではマスクはしなくても良い的な流れになってますね。

いつ頃からマスクを付けるようになったのか写真を見ていたら、戻っても戻ってもマスクをしている自分の姿が…。

そうです、私はコロナが流行りだす何年も前から、外出する時はマスクを付けるマスクマンだったのです。

風邪予防というか、花粉症予防でしょうか。

昔は年中酷い鼻炎だったのですが、ここ10年くらいは大した症状は出てません。

突然花粉症を発症する方がいますが、私はそれとは反対に治ったパターンですね。

喘息も殆ど出ることはないので、子どもの頃は、自分が歳を取って死ぬときは、喘息で肺炎を起こして死ぬんだろうなと思っていましたが、意外と糖尿病とかの方がヤバいのかもしれません。

喘息持ちの子どもは、歳を取るにつれ元気になる長生き体質なんてことを書いてある本を読んだことがありますが、本当でしょうかね。

いずれにせよ、マスクは外さない方向で行きそうです。
Posted at 2023/02/04 00:45:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2022年04月08日 イイね!

過去のブログから詩を探している

以前、mixiをしていた時の全データが保存してあるんですが、どれもこれも自分が書いたものとは思えないものばかりでした。

全く書いた事を覚えてません。

今でもアホな事ばかり言ってますけど、これでも随分まとも(?)になった方なんだと気付きました。

パッと目に付いたのが一つあったので、蘇らせます。

日付は2007年02月23日18:33になってます。





Dream Forever

眠いのはきっとお楽しみの始まりで、運転中に君に会えたのはきっと夢の始まりなんだよ。

晴れた日の午後、浮かれ気分で学校行ったらあいつがいた。

ただずっとあいつを見てただけだけど、それを今でも覚えてる。

同じ一日がやってきたり、時々違ったり、その中で何か見付けて、見付けた分何かを失って…。

電車のように通り過ぎた感覚を引きずり続けた一日もある。

過去も未来も存在しない。あるのは今だけ。

でも見えるのは過去と未来だけで…。

全てがひとつだったなら、ひとつだけだったのに…。

ひとつがふたつになったら、ふたつが生まれて…。

ふたつがみっつになったら、みっつが生まれる。

みっつがよっつになったら、君が現れてもういらないって言った。

でも今はもうそんな君はいなくなった。

よっつがよっつである証を見付けても、もうどうでも良くて、少しだけ投げやりになった。

半分だけ自分を許せるなら、残り半分はあいつに託してみようか?

始まった場所に戻りたがる自分に甘えてみようか?

それで何か見つかったらそのときは笑おうよ。

それで何も見つからなくても笑っていいよな。

安心できる場所があるから、きっとそう思えるんだろう。

オレのHOMEは一体どこへLinkしていることやら…。






何か…

すげえな。(ノД`)・゜・。

全く意味がわかりません。

ただわかるのは、本人に元気がある事ですね。

これにメロディを乗せるのは難しいそうですね。(^^;)




次は送信メールから出てきたやつ。

日付は2005-11-07 02-00 になってます。





「沈没船」


一人寂しい夜には、君の幻と遊んでいるよ。
いつまで経っても変われない僕にはもう…。

深く、深く、沈んでしまいたい。
戻ってこれなくてもいい。

飾りつけた過去に、想い出の音楽が流れてきて。
それは、それは楽しい物語。素晴らしい物語…。

心地良さだけが僕の体に響くよ。
浮かんでは沈むクジラのように進み続けて。

不意によぎる現実という曇り空。
そんなものは体を丸めて、目をつむり、見えないようにしてしまえ。

迷子になっていつまでもさ迷ってしまえ。
僕は何も知らない。

それでいい。

ソレガイイ…。





何か…

すげえな。(ノД`)・゜・。

こっちに方がそれっぽいですね。

中二病の部類だとは思いますが、こっちの方がカッコいい感がありますね。

メロディ考えましょう。
Posted at 2022/04/08 21:52:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2021年09月09日 イイね!

【回想】宣伝会場

そういや、私が小学生の頃だったと思います。

母がよく『宣伝会場』と言われる場所に行っていました。

閉店したコンビニの跡地等、あまり広くない建物を借りて、粗品を配り人を集め、商品の宣伝をし、高額な商品を売り付ける、所謂『催眠商法』と言われるものです。

勿論、母はそんな高額な商品を買う気も無いし、買った事もありませんでした。

宣伝会場に通う、たった一つの目的は『粗品を貰う事』でした。

洗剤だったり、ちょっとした食べ物だった事もあったかと思います。

しばしば母と一緒に私や妹も行く事がありました。

為になる話かと思えば、つまらない話を聞かされる、私にとって少し退屈な時間でした。

様子を見ていると、確かにお年寄りは高額な商品を買うんですよね。

サクラなのか、乗せられて買ってしまうのか、寂しさを紛らわす為に参加するお礼なのかわかりませんが。

どちらにしても、その頃の母はまだ40代だったと思うので、少し場違いというか、そんなに若い人でずっと通い続ける人は他にいなかったように思います。

ずっと買わないでいると、店のスタッフから嫌な対応されるとも言っていましたが、それでもしつこく行っていました。

粗品は貰うけど絶対に買わない、私が生まれてからはずっと専業主婦の母にとって、何かを稼ぐには打って付けの場所だったのかも知れません。

懸賞を頻繁に当てたり、何か貰えるイベントには必ず参加する、タダで物を得る能力は桁違いだった気がします。

母は車の免許も持っていないので、母と一緒に歩いてあっちこっち連いていっていたような気がします。

そもそも、我が家は放任主義だったので、私自身も好き勝手に出掛けて冒険・散策するのが好きでしたが。

今もあるんでしょうかね、宣伝会場。

あまり具体的な内容とか場所は覚えていませんが、確かに母は宣伝会場に通っていました。

時々、思い出します。
Posted at 2021/09/09 20:43:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2021年04月01日 イイね!

【回想】市営住宅

私が生まれ育った地区は1区と2区に分かれていました。

神社があって公民館があって古い町並みが並ぶ、いわゆるその地区の中心地が1区で、外れの市営住宅が2区という扱いになっていました。

今では子供が少ないせいか、そういう区別も無くなって一つになっているようですが…。



私の住んでいたアパートは1区だったのですが、すぐ側には2区の市営住宅がありました。

市営住宅の中心部には公園があり、遊具が設置してあって、子供の遊び場になっていました。

家の近くだったので、私はよく遊びにいっていました。

一人で行く事もあれば、母や妹と行く事もありました。

数回、『1区のもんは遊びにくんな!』なんて言われた事があります。

私は理由がわからず、気にせず遊んでいました。



何度か市営住宅に住んでいる同級生の家にお邪魔した事があるのですが、2階建てになっていて『いいなぁ』と思った事があります。

かなりボロボロの市営住宅なのですが、私の住んでいたアパートも負けずボロボロだったので、一時期、私は『市営住宅に住みたい』と両親に言っていました。

市営住宅は収入で家賃が変わるのでどうたらこうたら…、トイレが水栓じゃないのでどうたらこうたら…、と母から説明された気がします。



私が憧れていたのは何だったのだろうと考えてみました。

玄関は北向きで日当たりが悪い、古い団地のジメジメした独特の雰囲気、祖父母の家に遊びに行く時の通り道…。



いつしか憧れの対象は一軒家に変わって行くのですが、ボロボロのアパートに住んでいた私は独特の価値観を持っていたのかも知れません。

自分の家が貧乏だという認識はありましたが、他人の家の事は気にした事がありませんでした。

貧乏だとか金持ちだとか考える前に、おもちゃがあったり、テレビゲームがあったりする事が羨ましかった記憶があります。

当時の私にとっての娯楽はバッタを追いかけたり、トンボを追いかけたり、河原に石投げに行ったり、焼却炉でプラスチックを燃やして溶けるのを眺めてみたり、田んぼのあぜ道を冒険したり、と家周辺を探索する事だった気がします。

市営住宅はそれにもってこいの場所だったのかも知れません。



懐かしいなぁと思うのです。

もう二度とあんな経験は出来ないなぁと思うのです。

大人になれば、知っている事が増え、欲しいものは買えば手に入り、子供の頃のような楽しみは無くなってしまいます。



私が生まれ育ったと言える場所は、市営住宅近くのあのアパートなんでしょうね。
Posted at 2021/04/01 20:31:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2021年01月21日 イイね!

1年

1年間生きられましたね。

私は鼻水を垂らしながら、泣いている最中です。



1月21日から、色々な事がありました。



電話。


無言の返事。


息切れ。



電話。

電話。

電話。

電話。

電話。



早退。


高速道路。


祈り。


救急車。


赤十字。


脳梗塞。


カテーテル。


失敗。


半身不随。


再発。


検査。


末期がん。


余命3か月。


手術。


成功。


要介護5。




あなたは小さくなってしまった『心』で、私を理解してくれていますか。

そして、あなたは言葉も失ってしまいましたね。



あなたの生物としての命が繋がっている証拠を見せるのが、私は楽しみでした。

いつも通りに、些細に、ただ笑って話してるのが見たくて、私はそれだけが頭の中にいっぱいでした。

仕事だって、あなたを安心させたくて、これから頑張るよって言いたくて、報告したんです。




いつも通りでした。

言いたい事を何でも言って、悪い言葉を使ったり、私が攻め立てても、それでも認めてくれる。

悩みもありましたね。

いつの間にか体もボロボロになってて、苦しかったね。



幸せな未来を夢見て、私はあなたを導いてあげたくて、色々な事を考えていました。

それでも、私は私の人生を歩み、あなたはあなたの人生を歩んでいる。

それを認めるしかなくなりました。



世は疫病が流行っています。

写真を届けたりして、私は気を紛らわせます。

横着してるのがいつもの私かも知れません。



ギブスで固定され、言葉は無くなり、痩せ細り、私は少し怖いのです。

あなたは変わってしまいました。

それでも頷いてくれたり、笑ってくれたり、心は減ってしまったけれど、無くなりはしなかった。




あれから1年。


1年経った。


それだけです。


時が経った。


時間が過ぎた。





私自身も助けられて、こうやって生きていられる。

感謝の気持ちなんか表さないのが、いつもの私です。





色々あり過ぎて、大変過ぎて、時間が過ぎて、忘れて。

それでも変わる前のあなたの姿を不意に思い出して、私は泣いてしまうのです。

ろくでもない人間の私ですが、そのろくでもない毎日が、私の些細な幸せだったのかも知れません。





1年経った。


1年経った。




何がありましたか。


自律神経やられましたか。


お金の話ですか。


残された人は孤独ですか。




一緒にラーメンを食べたのが最後でしたね。





世は疫病です。

流行りが終わったら、少し会いに行きます。

頷くあなたに、私は永遠と喋り続けようと思っています。





何も出来やしない。

誰かを導こうなんて無理なんです。





そんなもんなんです。



涙が枯れたら、晴れた心で思えばいいんです。

あー、1年経ったんだなと。




何かあったっけ。

もうこれが普通の毎日になるのだから。






動画でも寄せ集めようかな。

そうやって、適当に考えてるのが一番良いのかも知れません。
Posted at 2021/01/21 20:36:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記

プロフィール

「私は基本的に政治に無関心なので、政治に文句言うこともない。世の中は移り変わるのが当たり前なのだから、それに合わせて上手に生きていけたらと思うだけ。」
何シテル?   11/19 20:02
ぜーたと申します。 自動車が好きなのですが、日に日に弄る頻度は下がっています。 私が唯一登録しているSNSがみんカラです。 適当に思う事を呟いてい...
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