
そこは潮干狩りに行ったりした茶色い薄濁りの水辺であり、だだっ広いのだけが取り柄の埋め立て地で、速度に激情を迸らせる若者が夜に喧噪を繰り返したり、釣り人が時々流されて不慮の事故にあったり、夏に何処か遠くに行くあてもない親子が、校外授業などで行き飽きた博打の堂本が用意した善意の箱船の帰りなどに子供を放し飼いにするには適当な場所として前からそこにあった。
当時ワル餓鬼達はこう呼んでいた。「子どもだけで行ちゃあいけない13号埋め立て地」「ヘドロ公園。」
18×100+200=寛政12年からの200年の時の流れ。明治、大正、昭和。大政奉還は1867年10月15日徳川慶喜の強い意志により朝議よって成る。その父常陸水戸藩九代藩主徳川斉昭は1800年4月4日に生を受けている。その間ここが最初に江戸湾奥を守る品川台場として大砲が設置され最初の埋め立てが行われたのは1853から54年にかけて。景観が大きく様変わりしたという。でも街なんかあるはずもない。なぜってそれからしばらくは国防とやらの最重要軍事拠点であり、1915に東京市によって史跡公園として整備されるが、日中でも人気無く薄暗く、怖くて行けたもんじゃあなかったらしい。そのままポッカリと時の流れのエアポケットのように、都市開発とは無縁の大きな都会のゴミ溜、雑草生い茂る原っぱとしてひっそりと在った。
平成の訪れと共に徐々に肥大したメトロポリスの副都心として、都心唯一の広大な親水公園地域として整備されたそこはやがて「港区台場」なる住所が与えられ、特に目玉マークの放送局が来てからは一時トレンドセッターなる人々によってお洒落なウォーターフロント地区、日本のマンハッタン島なる冠を戴いて、そこに群れなす集合住宅は都内でも最高クラスの入居倍率と家賃を誇った。最初の黒船が鎖国の国へやって来て1年の間に予定の半分も砲台を設置できなかった僕らのご先祖様達がチョンマゲと髪結いを止めてから100年。様変わりするどころかたった数年で、埋め立て地のブタクサかき分け秘密基地を作り遊んでいたり匂いを気にせずハゼ釣りしていた広大な原っぱと浅瀬は巨大な街になった。
そして2000年代も最初の節目の10年を迎えようかというこの夏、高層建築の狭間を相棒のナイチンゲールの咆哮とともにとかき分け、僕は本当に大地に立ったガンダムを目指した。まぁ自力ではなく鉄骨製に支えられた最新テクノロジーの粋を集めたハリボテだけどぉ。でも実はそれもちょっと行き過ぎてないカンジがして微笑ましかったりする。着いてみるとビックリしたことに様々な世代の人々が居て、ひっきりなしに皆記念写真を撮っていた。携帯やもっと三脚なぞ使って本格的だったりと様々な趣向で。不思議とムービーをまわすひとは少ない。「歴史的瞬間」をおさえるにはやはり写真が持つ時間をパチリと一押しで刻み込む感覚のほうが、老若男女世代を越えお手軽感と特別感の双方で日本人の感性に合うらしい。
その場の主役、日本のアニメーション産業のマイルストーンのひとつ「機動戦士ガンダム」が生まれた1979年は僕が子供の頃。さっきも言ったようにそこは子どもだけじゃ遊びにも行けないちょっと厄介な水辺だった。だって、行くにしたって1時間に数本の都バスしかなかったから。
ガンダムが生まれて30年。丁度それは騒擾と幻想の時代であった総括流行の60年代が融け流れた後、高度経済成長から始まる一億の泡沫の夢が日本人としての矜持ともにグローバルスタンダードなる肉食系社会の彼方へ消え現在へと連なる、受容と変化と興亡の果てのカオスへとたどり着いた「誇大妄想の大日本帝国」ではないプレゼントされたリベラルに身の程をわきまえずハシャギ過ぎ自らを見失った「日本国株式会社」の〈認めたくはない若さ故の過ち〉の30年なのかもしれない。
「自由、平等、自己愛」の矛盾したリベラリズムが傍流のように氾濫した今、確かにここが「品川台場」と呼ばれたころとくらべると、僕等が紡ぐことが出来ず切れてしまった心の琴線と受けた疵は深いかもしれない。でもその分しなやかでタフにはなっているかもしれないとは思えないだろうか?
「君は生き残ることができるか!?」はガンダムの次回予告のキメ台詞だが、圧倒的に大きなリアルなガンダムを観たとき、こんなバカバカしいオモチャを真剣に起立させてしまう日本人がなんとなく可笑しくて、嬉しくて、この余裕を失わない限り本当のグローバリズムかもしれない「宇宙世紀」になっても、少子化に悩む僕ら日本人も大丈夫な気がした。どうやらその価値観も想いも都市と同じように見た目は様変わりしながらもタフイナーフに刻を嗣いでゆくのだろう。
景観、風景、デザインが今を生きるひとびとの美意識と知恵の結晶のヒトツとするなら、美しく力強い存在感は後生への活きたメッセージとして有効な遺産となるだろう。
ガンダムを強行偵察してちょっとばかし高ぶった気持ちと沸き上がる感情、徐々にそれら雑感と対峙する理性を鎮める為、東京のサイド7となった潮風公園を何かに吹かれるようにフラフラ、ブラブラ。爺さんとお婆ちゃんのころ一度焼け野原になった東京は彼らの復興の象徴東京タワーが見劣りする程に高層建築が林立する街へと変わり、その美しい姿を夜の水面に灯していた。
Posted at 2009/08/20 21:22:37 |
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