
飛行機がどんな物なのか見てみたかった宗一郎君は、親の財布からお金を盗み、夜中にこっそり家を出てアートスミスの大曲芸飛行を見に行きましたが、入場料の10銭が足りなかったので木に登って覗き見しました。
そんな宗一郎君、好きです(*´m`)♪
オートバイが転んでしまった原因は、ドライバーじゃなくて設計にある
そんな宗一郎さん、プロだなぁ~ヾ(≧д≦)b
無線機用のエンジンのバタバタから始まり、ドリームD型号の開発、高性能オートバイは作れても金儲けが得意じゃなかったので支払いに追われてました。
いるいる( ̄▽ ̄;)
E型で箱根の坂を登りきった時は嬉しかっただろうなー。まさに先の見えない登り坂だったもんね。
そして1958年、スーパーカブ誕生。今でも設計が殆ど変わってないとは驚きだね(*_*)
マン島TTレース、オートバイを作ってまだ10年しか経ってないのに世界への挑戦です。鼻で笑われました。
5年かけて作って参戦したけど全然敵わない、問題は馬力だけではなく運転のしやすさやブレーキ性能にある、しかし最後まで諦めず粘り強いレースを続け、最後にはチーム優勝を取りました。
そうして世界の頂点に登っていったんだけどね、やぱそーゆーの大事だなて思いました。みんな通る道なのかも。諦めずに頑張り続けられたのは仲間がいたからかな。
1963年、S500とT360と発売。歴史あるなーと思いました。F1に初参戦、しかし5年後休止宣言し、公害を減らす研究に力を入れます。
排ガス規制、触媒方式じゃなくエンジンそのものを作り直しました。
ヒントは、妻のさちさんが焼いた卵焼き「弱火でゆっくりとまんべんなく火を通せば焦げない」。
そーしてCVCCエンジンが完成し、シビックが誕生したわけです。
へーφ(..)シビックは卵焼きだよ←?
そして心置きなくF1に再チャレンジし、宗一郎さんが長年抱き続けてきた夢が現実になっていきました。
覗き見していた少年が、世界の頂点へ。現状に満足せずに、諦めず常に新しい事に挑戦し続けた彼と彼を引き継ぐ技術者達の情熱が今の車達なんだなぁと、そんな長年の積み重ねで生まれた物に乗れる事はありがたい事だよね。作った人達の事、忘れちゃいかんのだ。
「機械を操る人間を研究しているんだ」
そんな宗一郎さんの通夜には、宗一郎さんと共に世界最速を夢見たたくさんの若者達が玄関に花束を置いていったそうです。
ちょっと感動した、いい話でした(Тωヽ)
一流のオートバイメーカーに勝負を挑む、勝てる見込みのないレースにあえて挑戦する事で自らの技術を進歩させた。
「人間というのは困らなきゃダメです。絶体絶命に追い込まれた時に出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えばたいていの事はできるのです。」
本田宗一郎

Posted at 2012/07/13 13:44:37 | |
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