
昨日、映画『アイルトンセナ音速の彼方へ』を見ました。
自分はセナのファンでしたが、クールなアラン・プロストも好きで、当時、二人のバトルはホントに見ごたえがありましたね。しかしセナが死にプロストも引退して・・・以来、F1は日本GP以外あまり見なくなってしまいました^^;。
映画はセナのカート時代の映像から、1984年にトールマンでF1に参戦後の1年1年を記録フィルムで追いながら、本人と関係者の語りのみで描いたドキュメンタリーです。ドライバーミーティングでの選手同士やFIA会長とのドロドロしたやりとりなど、舞台裏の映像が満載で、アラン・プロストとの確執やライセンス停止事件の状況なども生々しく描かれ、見ごたえがありました。
印象に残ったのは、まず母国ブラジルで初優勝したさい、最終周回ではギアが壊れて6速のみで走りきったこと、そして、母国優勝を夢としてきたセナがゴールして絶叫を続けていたシーン。また極限状態で走りきり、全身の筋肉が痙攣を起こして失神状態になってマシンから出られなくなったシーン。ほんとうにレースにすべてを捧げていたセナの熱い情熱と執念に恐れ入りました。
そして、悪夢の94年のサンマリノGPでは、マシンの状態が不安定でいつになくナーバスなセナが、予選1日目のルーベンス・バリチェロのクラッシュ事故、2日目のローランド・ラッツェンバーガーのクラッシュ死亡事故をモニターで不安げに見つめ大きなショックを受けている様子が映し出され、その後に彼を襲う悲劇を思うと胸が締め付けられました。
映像を見る限り、セナのナーバスな状態は、決勝当日、マシンに乗り込むまで続いていた感じですが、これは大会関係者みんなが同じで会場全体が重苦しい異様な雰囲気に包まれていたそうです。そして、魔のタンブレロのコーナーへ・・・ほぼ即死状態だったそうですが、セナの主治医が『最後に彼は大きく息を吐いた。その瞬間、彼の魂が抜けていくのを感じた』と語っていたのが印象的でした。
また、当日、大会のテレビ解説をしていたプロストの様子も映しだされていましたが、本当にショックで信じられないといった表情でした。テスト走行時に、引退したプロストに対してセナが無線で『君がいなくなってさみしい』と話していたことを思い出し、涙が・・・。
そして、映画が終わり、アイルトン・セナ財団 管財人・アラン・プロストの名前が画面に映し出され、2人の絆が今も続いていることに感動.!
映画の帰り、セナの記念本を購入したのですが、特典としてセナゆかりの品々のレプリカがついていたので、少し紹介します。
1978年に開催された世界カート選手権用にブラジルで発行されたライセンス証明書
1988年5月のセナのスケジュール手帳。鈴鹿でのテスト走行予定が書き込まれています。
1993年、最後の日本GPで鈴鹿サーキットのコース図にセナ自身が書き込んだシフトポイント
さて、この映画、とてもおすすめですが上映館が少なすぎます。東京でも3館しかなくて、世界最速公開をしたのはいいけど見たくても見れない人がたくさんでは意味がないかと・・・。
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2010/10/10 00:35:04