
「でもこれからは、軽自動車に乗るのが一番いいんじゃないかと思うんだよね、黄色いナンバーくっつけてさ。その方が社会的にも大いに許されるってものだよ。だって考えてもみてごらん、自動車のように罪深いモノに今どき乗るなんて、本当は趣味でなければ許されないようなことなんだから。日本のメーカーがクルマを趣味の対象として見ていない以上、国産車は『自動車によく似たもの』でしかない。それなら地球環境のことを合理的に考えるしかないですよ。ミニバンなんてお互いに相手を大事に思っていないような夫婦が、家族の体裁を整えようとして買うためにあるんでしょ?乗ってしみじみするようなものではないよね」
二玄社「navi」、新潮社「ENGINE」の元編集長で現、GQ JAPAN編集長の鈴木正文さんは、2001年3月1日号の「ブルータス」でこう過激なことをおっしゃっています。いやいやマツダのロードスターやトヨタの86だって頑張っているよ、という反論もおありかと思います。でも一方で「自動車のように罪深いモノに今どき乗るなんて、本当は趣味でなければ許されない」という言葉がずっと頭から離れません。ミニバンは今は世界的流行のSUVになっているかもしれませんが。
納車前でクルマがないのにブログを書くという、フライング。ついでに、自分の自動車観を振り返りたいと思います。
小さい頃の記憶で、最初のガイシャは父の実家で見たイノチェンティ・ミニ・デ・トマソ。最初のスポーツカーは叔父が乗っていたs30のフェアレディZで、フロントガラスの助手席側に蜘蛛の巣みたいなひびが入っていました。福野礼著、岡崎宏司編『世界の名車グラフティ ポルシェ』(新潮社文庫)を初版で親に買ってもらい、ボロボロになってもいまだに手元にあります。小学生のころR32のGT-Rがデビューして、ショールームでカタログもらって、友だちに取られました。近所に住んでいたドイツ人牧師の家には、親戚が工場に勤めているというポルシェのカレンダーがかかっていて、水冷の944が輝いていました。大学1年のとき、初代アウディTTが鳴り物入りでデビューしたので、展示していた近くのディーラーへ見に行ったら、ドアには『お手を触れないでください』の張り紙が。
学生オーケストラを指揮していた某有名指揮者(故人)は、ポルシェ968(ティプトロ)と初代インプレッサWRXのスポーツワゴンに乗っていました。大学卒業後、マツダRX-8がデビュー。もちろん試乗に行きました。6速マニュアルのタイプSはモーターのようにスムーズに回りましたが、それよりも記憶に残ったのは、同乗したディーラー社員の言葉でした。「いずれ結婚して子どもができたらミニバンに乗りますよ」。何かの呪いかと思いましたが、子どもはなく、結局ミニバンを所有することのないまま今に至ります。
僕は団塊ジュニアの終わりの世代で地方都市に住んでいたので、情報源は主に雑誌でした。インターネットはありません。雑誌の中に最先端の風を感じ、スイス製高級時計や高級紳士靴の広告を横目に、精一杯背伸びをしていました。まちを歩いても目にすることのないクルマが、雑誌の中には当然のように存在していました。耳年増ならぬ目年増といったところでしょうか。なので、ガイシャに対する心理的抵抗は一切ありませんでした。
どれだけスポーツカーが好きでも、2人乗りは、非常時に困ります。友人2人を駅へ迎えに行ったとき、ピストン輸送になってしまうからです。かといって転勤族に足車を持つ余裕はありません。一方で人間2人と小型犬1匹の家族に4ドア5人乗りのクルマは過剰。何より、4ドアを見るとどうもオッサンセダンのイメージしか持てませんでした。高校時代、そこそこのお金持ちが住む住宅街でレジェンドクーペから降りる初老の男性を見てカッコイイと思ってしまい、それ以降、自分がオッサンになっても「4座2ドアクーペ病」が治らないのです。
奥さんにはご迷惑をおかけし通しですが、今週末にRSがいよいよ納車です。
Posted at 2021/09/20 19:35:15 | |
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