すでに時間が経ってしまいましたが、忌野清志郎氏の逝去に触れて想ったことを・・・。よろしければ少しお付き合い下さい。
高校生の頃、運動部に所属し模範的な生徒を装っていた私とは正反対で、おしゃれで要領がよく、きっと何人もの女の子と楽しく遊んでいたであろう帰宅部(?)のクラスメイトS君がいました。
S君とは同じクラスですが、接点は少なく必要以上の会話はしていなかったと思われます。
そんな彼と意気投合したのは、私が聴き始め、ライブを見て夢中になったRCサクセションを、彼もまた聴いていたことがわかってからでした。昭和56年の夏のことです。
私達は、秋の文化祭でRCのコピーライブを行なうため、バンドを組むことにしました。
もちろん、S君がキヨシロー(ボーカル)で私がチャボ(リードギター)です。
楽器のできそうな同級生をスカウトし、ベース、ドラムス、リズムギター、サックスのメンバーを加え放課後に音楽準備室で毎日練習しました。
今考えると高校生活で一番楽しかった時間だったかも知れません。
運動部の仲間としか付き合いのなかった私は、街で顔の広いS君と一緒に行動することによって、夜遊びを少し覚え、ファッションに興味をもち、少しづつ変わっていく自分を楽しんでいたようです。
自分と違うスタンスで生きるS君をキヨシローのような存在と考えていたのかも知れません。
そして、文化祭の当日がやってきました。ライブは体育館が会場です。
アルバム「ラプソディー」のコピーですから、「よ~こそ」から始めなければいけません。
私はチャボの真似をして舞台袖から出てくるなり「イエー!」と叫びました。すべらないかと心配していたのですが、返ってきた観衆の「イエー!!!」は想像を絶する大迫力でした。
何と、ほとんどの生徒が見に来てくれていたようです。その熱気に圧倒されるやら、嬉しいやら、あんな経験は人生で1度きりです。(^^)
「よ~こそ」の後は「上を向いて歩こう」と「雨あがりの夜空に」をかましました。
決して上手な演奏ではなかったはずですが、生活指導の先生にお褒めの言葉をいただくほど「若さにあふれた」ライブができたようです。私もその先生の歳くらいになってしまいましたが、きっと先生は我々の若さが羨ましかったんだろうなと思います。
高校卒業後、S君とは少しずつ疎遠になっていきました。同じようにRCサクセションも聴かなくなりました。レコードと久保講堂のライブLDは持っていましたが、CDを持っていないということは、大人になってから聴いていなかったのです。
流れてきたキヨシロー氏逝去のニュース、NHKで放送された特別番組を見て、若い頃を思い出したなんて自分勝手ですが、高校の頃聞いていた2枚のCDをネットで注文しました。(品薄で配送が遅れていて今日やっと届きました。)
あらためて聞いてみますと、色褪せないというか、サウンドや歌詞はあの頃よりもむしろ輝いて聞こえます。ロックンロールもブルースも実に真面目に作られていて正しい音です。彼のボーカルは、歌詞の字幕を見なくても聞き取れる美しい日本語の発音をしていると思います。(意味は別として)
また、誰も着ないような派手な服を着こなし飛び跳ねるように踊る彼のスマートさが かっこいいと感じていました。
やはり「かっこいい大人」とは彼のような人を指すのでしょう。高校の時、そこまで考えなかったけど、目標とすべき大人だったことは間違いないようです。
ライブに行ったとき「愛し合ってるかい?ベイベー!」とキヨシローに問い掛けられて、彼女のいなかった高校生の自分は素直に「イエー」と答えられませんでした。
でも今は自信をもって「イエー!」と言えます。
若干言わされている時もありますが...(^^;
キヨシロー!かっこいい~!そして有難うございました!
Posted at 2009/05/23 01:48:53 | |
トラックバック(0) |
音楽・ギター | 音楽/映画/テレビ