亀岡市の無免許で車を運転して小学生や保護者をはねて死傷させた事件で、容疑者の18歳の少年は「危険運転致死傷罪」ではなく、「自動車運転過失致死傷罪」の容疑で送検だそうです。
危険運転致死傷罪を適用するためには要件として、「アルコールや薬物の影響」、「制御不能になるほどの速度超過」、「運転技能が未熟であること」、「赤信号を完全無視、かつ、重大な事故を生じさせるほどの速度超過」等の要件を満たしていることが条件とされているようです。
今回の事故で危険運転が認められない理由として、アルコールや薬物は検出されず、速度も破損状況等から制御できない速度とは言えず、運転技術が未熟であるという要件も「単に無免許というだけでは運転技術が未熟であるとはいえない」という理由だそうです。
免許って、自動車を運転するための技術や知識を有していない人が自動車学校に通うなどして、技術や知識を習得して、試験に合格し、技能、知識、身体的にも運転する条件を満たすことによって運転を許可されるっていう運転する条件を満たしている証拠ではなかったんでしょうか?
自分の免許制度に対する認識は間違っていたのでしょうか…
今回、運転技術が未熟とはいえない理由として、無免許で車を何度も長時間にわたり運転していて、運転技術は相応にあったという判断も働いたようですが、何の為の免許制度なんですか…?
今回の法解釈の仕方って簡単に言うと「結果として事故っちゃったけど、無免許でもたくさん運転して練習してたから運転上手にできるよね~?今回は長時間運転して疲れて居眠りして人をはねちゃったけど、スピードはそんなに出てなかったし、酒も飲んでない、薬もやってない。だから無免許だけど運転上手だから危険じゃない。だけど、居眠りとかしちゃった部分の過失はあったね。」ってことですよね。
こんなの被害者・被害者遺族の誰が納得できますか。
たしかに、次々に起きる事件や事故に対して、裁くために後出しジャンケンで法律を無理やり作って裁くというのはあってはいけないことだと思います。
その事件や事故当時は取り締まる法律がなくて法を犯したワケじゃないから。
法律を作ってるのは未完成な人間で、その人間が作ってる法律も未完成なものだから、起きてしまったことを反省して、ちょっとでも完成に近づけていこうというものが法律だと思います。
でも、今回の事は無免許運転=運転技術が未熟でなかったら、どういう状態が未熟といえるのか。
運転するための資格を有してないのが危険じゃないなら、何が危険なのか。
自分としては全然納得のできる解釈ではありません。
今回の事は誰が巻き込まれてもおかしくなかったことで、もし自分や自分の大切な人が巻き込まれてもこの国の法律は犯人を適正に裁いてくれないということです。
このニュースを見て自分の思ったこと書き殴ってしまったため乱文申し訳ありません。
最後になりましたが、被害者の方々のご冥福をお祈りたします。
Posted at 2012/05/14 11:36:09 | |
トラックバック(0) | 日記