2011年3月11日から3年たちますが・・・・
震災は風化している。これは断言できるかな。
だからあえて、忘れないうちに書いてみようかなと思う。
自分の北東北沿岸関係各所が、上から 青森県八戸市 岩手県久慈周辺沿岸 宮城県石巻雄勝町、仙台市
まぁご存じのように最悪なわけで、
3月11日都内で地震発生直後から慌てる慌てる。
自分の会社の中は飛び交うコピー機、吹っ飛ぶ書類、倒れる書類棚
鳴りまくる携帯、それに緊急地震速報 外の防災無線も鳴りまくり・・・・・
テレビ見ながら呆然、、高校卒業後北海道から仙台市内に就職、よく遊んだ場所が流され、
仕事で行った場所、設置工事した防災無線、インフラ 全部流され・・・・
昔の同僚はどうしているのか、などなど考えながら都内と現地の仕事場等に指示与え、安否確認
都内事務所で悶々としていました。
当日中に北海道含め状態が確認でき、石巻だけがどうしても・・・・・・・・
動くに動けなく、2週間後やっと携帯電話で連絡が取れ一番被害が大きく、
「生きてる!生きてる!何にもなくなったよ!」と普段厳しい職長が、情けない声で。
地震で停滞していた仕事処理しながら、都内も燃料不足でしたが、取引しているスタンド、
ドラム缶の会社、知り合いのスーパー、電器屋の協力の下、何とか4月1日トヨエースバンに満載、夜9時に東北道。
走り慣れた東北道 波打って走れない。自衛隊警察消防トラック、親族元に向かう荷物満載の軽自動車、乗用車大群。
どう考えても、通常の時に高速道路に入ったら捕まるレベルの積載量の乗用車多数。
場所によってはスピードが50キロも出せない。
100台以上並んでいるが、燃料もSAでこまめに並んで給油、
道路の状態から仙台南部道路に入りその時に絶句と実感。
松島の山側で降り、よく遊んだ裏道で北上し、北上川方面へ
裏道なのに自衛隊がガンガン走っている。
そのまま避難所へ 朝8時やっと目的の職長と合流。
話を聞き、地元の消防団ですら燃料がなく10キロ先の沿岸まで自転車や歩いて捜索しに行ってると聞き
微力ながらドラム缶1つを渡し、もう一缶は社員と避難所の連絡車とかに給油、
基本は軽トラと燃費のいい荷物の積める車に限定する。
職長の自宅へ荷物を探しに行くことに。
地元の人も最近自宅に行き来できるようになったらしい。
沿岸に向かうにつれ悲惨な状況。
北上川の堤防は決壊し、橋は流され、川の上に自衛隊が鉄板で仮設の道路を造り。
その周りにはパンパンに脹れあがった牛の死骸が、無数にあり・・・
残った堤防の上には、自衛隊全国各地警察、消防車が排水作業と不明者の捜索。
我が地元北海道の消防車も多数、あの大川小学校の脇で交差点の道路に担架に乗った遺体が並んでいる
その脇を通り山を越え雄勝町へ・・・
入った瞬間 がれきの山。がれきが町の一番奥までギュッと押し込まれてる状態
道路は、自衛隊が瓦礫を左右に寄せて道路を確保している
人もまばら、そう、燃料がないから来られない。
自衛隊と警察消防が手探りで行方不明者を捜している。
そこそこ大きい町なのだが50人くらいしか見えない。
何か、別世界に来たような不思議な感覚
学校の上には2階建てくらいの住宅が原形をとどめたまま引っかかっている。
公共施設の上には大型バスが乗っかり
七十七銀行、病院、等々廃墟状態。
山の上の木には椅子やら、プレハブ物置が引っかかり
理解するのに少々解析必要だった記憶がある。

何だかんだ言っているうちに職長宅に到着。
堤防から5メーターくらい。
それを知っていたので、絶望視していたのがなんと!
津波が当たった角度が良かったのか、悪かったのか住宅建物は残っていた。
住宅前にあった二階建ての納屋は土台ごとそっくり持ち上がって住宅に当たりそう。
数百回の押し引き波に踏ん張ったみたい。
すごいな 積水ハウス と思わず職長と笑った。
職長も怖くてまだ自宅内の荷物をひっくり返していない。
知らない人の遺体が出てきたらと、ためらっていたみたいだが
自分と、山の上に住んで難を逃れた親戚が数人来たので、家宅捜索
まぁ色んな物があちこちから飛び込んできてるもんで、「うちのタンスじゃないな」
とか、「あっ こんなところに探してた物があった」とか
ゴソゴソ 大事なもを引き上げ、最後にノートパソコンを探していた。
無いな無いなと探し回っていたら、納屋の土台の下に引っかかっているではありませんか!
とりあえず救出。
ゴソゴソと片づけて、早々撤収 基本この地区には夜間立ち入り禁止のこと。
確かに暗くなると、すごく怖い訳で
避難所に戻り、避難所の中に入ってみると・・・
入り口には連絡、不明者捜しの掲示板、ホールには溢れんばかりの人。
でも、さすが日本人と言うか東北人、ルールがしっかり決まっていて風呂、食事、掃除、きちんとしている。
大きい避難所なので、物資が豊富に集まってきているが、行き渡っていない避難所に持って行くみたい。
この時もまだ孤立していて山を通っていく地区があるらしい
東京から単独登場したのが珍しいのか、東京の状態を話したりしてると座敷部屋で囲まれてた。
話を聞いていると、津波後に誰かが入って色んな物を持って行ったらしい。
夜、懐中電灯の明かりが見えたとか、火を焚いた後があるとか、話を聞くらしいが
鍋とか皿とか冷凍庫とかに入っていた食料品とか。
他にもあるんだろうけど、わからないと。
確かに来る途中、転がった自動販売機がこじ開けられたのを数台見たが、
食料、飲料 陸の孤島で救援が来るまで約1~2週間何もなかったわけだから
仕方がないと思う。
もちろん金品泥棒もいるらしいと話していたが・・・・・・
震災の当日の話も聞いていたが、悲惨すぎて悲惨すぎて
夜になっても悲鳴あげながら流される人、トンネルの中で数十人避難していたとか
子供が津波から逃げるのに木の上に上っていたが、翌朝木の上で凍死してしまっていたなど、
偶然TV番組の撮影できていたグループがその状態を撮影していたが、テレビで放送し無いだの
事実を報道して欲しいと言っていた。
TVや新聞、で報道されないととばかり。
報道はこの時原発だらけでした。
夕食の時間になったので、避難所駐車場に止めた車に引き上げ。
自分用に持参した食料を食べながら、先ほど発掘したパソコンをバラしてHDDを取り出してみる。
もちろん本体はダメなわけで、HDDドライブさえと思いながらも約3週間泥の中に埋まっていたわけで。
その場で電源入れるのは断念。
そうしていると、配給のお裾分け。

でも、すごい寒いわけで、余震もバリバリ
翌朝から家財道具なのの移動などを手伝って帰路に。
本当は松島、仙台市内を通過して帰りたかったが、危険とのことで断念
あまり気にしていなかったが、福島県に入ると周りの車の人がマスクをし始めている。
今更遅いだろうと、心の中で突っ込むが・・・・
東京に帰り、通常の仕事に戻るが、計画停電がどうのこうの、水がどうのこうの
さてHDDが動くかどうか・・ しっかり乾燥させるが、基盤が錆び始めていた。
賭に出てみた。電源を入れ・・・データーが見られた! 急いでデーターを救出成功
でも二度と電源すら入らなくなってしまった。
後日同じ型の中古のパソコンにデータを載せ替えプレゼントした。
長々書いたんですが、文章にまとめたことがなかったので記録みたいなものです。
画像は当たり障りがないところで