2011年03月14日
大地震が襲った金曜日、私はいつものように、いつもの職場で仕事をしていました。
私の職場の建物は、老朽化していて、構造上も地震に強いとは言えないような建物なので、今までにない大きな揺れを感じた時には、周囲に「逃げるぞ!」と叫んで外へ避難しました。
全員の避難を確認し、建物に目をやると、降りてきた外階段ははずれる寸前、建物を支えていた柱には大きな亀裂。
「生きててよかった」
率直にそう思えるほどのダメージでした。
すぐに、自宅にいる妻に連絡をしましたが、なかなか電話は通じません。
それでも、比較的早く繋がり、妻と娘の無事を確認できました。
息子は保育園へ行っているので、連絡はつきませんが、避難場所にも指定されている、新しい建物なので大丈夫だろうと思いましたが、不安なのですぐに迎えに行ってあげるように妻に伝えました。
余震が続き、いつ倒壊するか分からない建物に戻って、コートなど持てるだけの荷物を取ってきましたが、中は、書類などが散乱し、見慣れた職場とは思えない有り様でした。
仕事を続けられないのは明らかですが、立場上このまま解散と言うわけには行かないので、被害状況の確認のため市内を巡回しました。
その後職場では、解散となりましたが、自宅最寄の避難所で避難者の誘導及び支援という支持が出ていたため、小学校の体育館へ向かい、指示通り避難者の支援にあたりました。
幸いにも、自宅周辺はほとんど被害がなかったため、避難された方も自宅に戻り、私も帰宅できましたが、時刻はすでに深夜でした。
地震時からの停電は復旧しておらず、寒さと不安に震えながら、眠れぬ夜をすごしました。
翌朝電気が回復し、初めてテレビで東北地方の被害状況を知り、愕然としました。
我が身に置き換えてみると、言葉も出ませんでした。
土曜日は自宅待機とされていましたが、午前中には非常召集の連絡があり、職場へ。
建物のダメージが深刻で、これ以上この建物で業務を続ける事はできないとの判断となり、別事業所の会議室へ移転する事となりました。
再びいつ倒壊するか分からない建物に入り、丸2日かかりほぼ全ての荷物を搬出しました。
そして今日、月曜日、新しい職場での業務初日でしたが、とても仕事などできる状態になく、1日中搬入した大量のダンボールの開封、片付け作業に追われました。
明日からは、なんとか通常業務へ戻れそうですが、停電もあるでしょうから、どこまでできるかわかりません。
実際に、被災された方に比べれば、たいした苦労ではありませんが、災害の恐ろしさを痛感させられました。
こんな時だからこそ、気持ちを強く持って、助け合い、支えあい、この困難を乗り切りましょう!
Posted at 2011/03/14 20:18:47 | |
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