2011年04月09日
昨日、一昨日あたりあから花粉症の症状(とくに鼻水、鼻詰まり)が酷く、1日でテッシュ1ケース分くらい鼻を噛む状況が続いています・・・
しかも、最近になって食べ物の臭いや味がよくわからなくなってきてしまいました・・・。あのマクドナルドの濃い味つけでも辛うじてポテトの塩辛さが味覚と唇への刺激でわかるくらいで、匂いがよくわかりません・・・。コーラを飲んでも刺激があるだけで、味が良くわかりません・・・
今は、鼻詰まりが解消されつつあるのに、嗅覚が戻らなくて少し焦っています・・・。スースーしてるのに、臭いがしない・・・。酸味や辛味はわかるので、味覚は大丈夫みたいですが、嗅覚がないとこんなにも食事がつまらなくなるものでしょうか・・・?空腹でお腹いっぱい食べても、満足感が得られません・・・。食事が美味しくないというのは初めての経験です。
「人生の幸せのうち8割くらいが食事によるものではないか?」なんて思っちゃいました(笑)
また、鼻づまりのせいで耳詰まり起きていたようで、車のエンジン音や走行音、マフラー音が静かなので「調子がよくなったのかな~?」なんて思っていたら、あくびした瞬間、轟音に戻って笑ってしまいました。
少なくとも、2日くらい静かな状況だったので、ちょうどエンジン音やロードノイズ、マフラー音の周波数帯をシャットアウトする耳詰まりだったようです・・・(汗)
今までないくらいに症状がひどいので、月曜日にお医者に行ってくる予定です。
Posted at 2011/04/09 20:51:07 | |
トラックバック(0) |
独り言 | 日記
2011年04月03日
1日、2日(実際活動したのは1日のみなのですが・・・)と震災ボランティアに参加してきました。
東日本の太平洋側一体全てが被災地となり本当に大変な災害だと思います。僕は地震当日に東京にいたのですが、そこでも大きく揺れ、鉄道や道路も大きなダメージを受けました。その後の電力需要や原発問題など様々な副次的な被害も大きくなっていき東日本全体が各地域差がありながらも被災したと言ってもいいと思います。
そこで、地震発生から3週間がたち、ボランティアに参加することにしました。今までボランティアをやったこともなく、不安もあったのですが、春休み期間中で、このチャンスを逃すと後悔するかもしれないと思い短い期間ながらも参加することにしました。
1日目は茨城県の北茨城から福島県のいわき、須賀川市の様子を見て被害の大きさを実感しました。須賀川市では大学の研究室を通じた知り合いの方がいらっしゃり、お話を聞くこともできました。須賀川市では市役所の壁が崩れており、役所の機能を別の場所に移動しているということでした。中心部でも傾いたり崩れたりしている建物もあり、内陸部で津波の被害は無いとは言え、被害は大きかったです。
その後、遠方からのボランティアも受け付けている相馬市に向かい、途中川俣町で車中で仮眠を取り、相馬市の商工会議所に設置されたボランティアセンターで登録を済ませ、松川浦地区で床上、床下浸水をした民家の泥や家財道具の排出、庭の瓦礫の撤去作業などに従事しました。周囲は船が押し流されて家屋にぶつかって打ち上げられている様子やバスが湾の中にあったり、民家が湾に浮かんでいたり、想像を絶するような光景で、こんなことが起きるのかとショックを受けました。
ボランティア終了後に松川浦の北の地区から宮城の新地町周辺もすこし立ち寄ってきましたが、こちらはもっと凄く車や船だけでなく電信柱やガードレール、家や木全てが波によってさらわれてしまい、瓦礫のみの平野と化していました。常磐線の新地駅は駅車とレールも全て流され、電車もなぎ倒され、真っ二つに折れていたりと悲惨な光景が広がっていました。
恐らく、このあたりには行方不明の方々がまだ多く残っていると思うとやるせない気持ちになり、一人でも見つけられないものかと思いましたが、そう簡単にも行かず・・・
しかし、こんな状況の中でも生き残った人たちはしっかりと今を生きています。瓦礫の脇を車が通り、瓦礫に残された家財道具や大事なものを改修しに来たような人も見られました。床下浸水や床上浸水にあいながらも、生き残った人たちはみんな口々に「もっと酷いところもあるから」といい、黙々と家の片づけをしています。今後、仕事がどうなるか、家はどうなるか、お金の工面はどうこうなどは考えてられないような雰囲気を感じました。目の前にある泥や瓦礫を撤去することが、その人たちにとって今やるべきことなのだと思います。恐らく、目の前にある問題を一つ一つ少しづつ取り除いていくことが生きる希望になっているのだと思います。彼らも夕方になると避難所に帰るので、そこではまた違った思いがこみ上げて来ると思うのですが、自分の家に帰ってくるとそんなこと言っていられないほどやることがたくさんあるんです。非日常的だったことが今はもう日常的なこととして受け入れられ、少しでも普通に生活しようと努力している姿に人間の強さのようなものを感じました。
また、原発周辺の市町村(20~30キロ圏内)では避難している方がたくさんいると報道で見ていましたが、実際行ってみると普段通り生活している人もまだまだたくさんいます。このような人が孤立させず生計を維持するためにも、無用な風評被害や勝手な思い込みでの安易な行動は控えなければならないとつくづく感じました。
今回、初めてボランティアをしボランティアを通して被災地の一部を実際に自分の目で見ることができて、本当にいい経験になったと思いますし、自分もやるべきことできることをコツコツとやっていかなければならないことを再確認しましたし、それが復興への近道ではないかと思います。
Posted at 2011/04/03 19:05:16 | |
トラックバック(0) |
独り言 | 日記