
連日、甲子園で高校野球をやってますね。
三重代表は1回戦で負けてしまいました。
お隣の愛知代表の中京大中京が今日2回戦ですが、1回戦で対戦したのは山口代表の南陽工業でした。
私の母校の野球部は三重では“古豪”と言われていまして、私が入学するまで毎回いいところまではいくけど甲子園には行った事のない、いわば三重限定の強豪校でした。
それが学校創立70周年の1978年、私が入学したその年に念願の初出場を果たします。
その甲子園での初戦の対戦相手が南陽工業で、ピッチャーはあの“伝説の”ピッチャー、津田でした。
津田投手の広島カープでの活躍はプロ野球ファンになら今さら説明する必要は無く、別名「炎のストッパー」。
私は単に応援に行っただけですが、こちらはヒット数本、相手にはホームスチールまでされるようななかなかしょぼい負け方で初戦敗退を喫しました。
味方の攻撃で湧いたのはライトフライぐらいだったかな~^^;
当時の応援はPL学園が一世を風靡していた「人文字」があこがれの形態でした。
初出場の田舎の学校です。
全校生徒で人文字をやる!と、何度も学校で練習しました。
ところが実際の甲子園では当然のように欠員が出て、その空き席には小学生等なにもわからない人も座っていました。
練習での体育館とは違い、カードを換える指示の声も球場の他の騒音で全く聞こえません。
あれは欠員も考慮した限られた人数で、無線を使いイヤホンからの指示で実行しないとできないことを現場で初めて知る破目になりました。
テレビでは一度も映らなかったそうです。
吹奏楽での応援もOBが大勢加わった言わば突貫吹奏楽部。
もう演奏に精一杯で、ヒットが出た時瞬時に演奏を切り替えて吹き鳴らすはずの曲が、だいぶ経ってから「えっ?いま?」みたいなタイミングで吹き鳴らされてもいました。
応援のバスも120台ほど出して、当時の新記録?のようなことも・・・^^;
結局、1回戦で姿を消したわけですが、70年目での初出場で寄付金がかなり余ったみたいで、そのお金で体育館を直してOBから怒られていたような記憶があります。
まあすぐに負けはしましたが相手ピッチャーが津田投手だったというのが救いと言うか、野球ファンには「あーそう!」と言っていただけるポイントにはなっています。
ある営業マンが山口出身の熱狂的カープファンで、この話しをしたら「おー!鳥肌立ってきたー!」と叫んでいましたから。
母校が甲子園で負けた時の相手ピッチャーが津田やった・・・と言っただけなんですけどね^^;
それだけ津田投手が凄い活躍をして、なおかつあの若さで亡くなったということなんでしょう。
うちの息子も私と同じ高校で3回ほど甲子園に応援に行きました。
あいつは勝った試合(9回裏逆転サヨナラ!)も経験し、甲子園にもいい思い出があると思います。
ちなみに画像は1996年の決勝戦、松山商-熊本工の「奇跡のバックホーム」のシーンです。
試合の流れ、両監督の采配等踏まえても何度見ても感動できる、まさに奇跡のプレイでしたね~
10CC 1978年発表のDreadlock Holidayです。
分裂後、初のNo.1ヒットソングとなりました♪
Posted at 2010/08/14 12:12:12 | |
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