2015年01月01日
明けましておめでとうございます。
地震により避難生活を続けており、ネットも自由には使えず中々こうして情報を発信出来ませんでした。
今妻の実家にてパソコンをお借りしてブログを書いています。
11月22日に結婚式がありました。
式事態は?無事に?終わり、とても充実した式を行うことが出来ました。
自分は当日ふつうに家に帰る予定でいたのですが、叔母から強く「どこかで泊まっていきなさい」と言われたので、松本でホテルを探しましたが案の定空室はありませんでした。
仕方なく近場になりますが、大町市のホテルに宿泊することになりました。
そして寝ようかなと布団に入って暫くすると大地震が発生しました。
ホテルは6階だったので非常に大きく揺れました。
揺れが納まるくらいに携帯から緊急地震速報が鳴り響き、更に外からサイレンが鳴り響き「大地震です。大地震です。」と不気味なアナウンスが・・・
そしてホテルは停電・・・
正直かなり焦りました。
自分の父は当時家に戻っていたので慌てて電話するもうんともすんとも言わず・・・
いろんな人から心配のメールを戴いたようですが、届いていたり届いていなかったり・・・
電話は繋がりませんでしたが、ライン通話は繋がったので、叔母と連絡がとれました。
父が一時的に家の電話に繋がったようで、どうやら相当家がひどい状態らしく、父はタンスに挟まれ閉じ込められていたようでした。
自分達は動くべきかとどまるべきか悩みましたが、心配だったのでホテルをチェックアウトして近くの叔母の家に行きました。
いろいろ話を聞くと、そこらじゅうで家が倒壊している、道路の陥没が発生しており白馬には現在行けない。
という状態でした。
国道が通行止めみたいな話しもありましたが、陥没によってパンクなどが理由でしょうか、渋滞によって通れないような感じだったようです。
自分は父と自宅がどうしても心配で家に戻ろうと思いました。
ですが、妻を連れていくのはさすがに心配だったので、自分と叔父2人で行くことにしました。
美麻方面からは帰れるんじゃないかと思い、美麻方面へ・・・
するとお土産屋さんのあたりで通行止めにあいました。
仕方なく旧道へ・・・
回り込み美麻峠の出口でまたストップをかけられました。
事情を話すとなんとか通してくれました。
美麻トンネルは完全に停電していてとても不気味でした。
暫く行くと車が止まっており通れないような感じでした。
後ろから緊急車両の音が近づいてきたので、慌てて路側帯に避難しました。
すると後ろから10台くらいの様々な緊急車両が走ってきました。
前に詰まっていた車はみんな少しずつ避け、緊急車両が全て通り終わって自分も歩いて様子を見に行ったら道路が盛り上がっており、片側車線が通れないような状態でした。
渋滞が落ち着いて自分達も家のほうへ・・・
辺りは停電して、サイレンは常に鳴り響き、道路はところどころ盛り上がっていてふつうには走れませんでした。
そして灯油の臭いも・・・
何とか自宅に戻ると父はすでにもうおらず・・・
念のため付近の方々がまだ残っていないか確認しようと軽く見回りをしたら一人残っていて少し話しを・・・
もうほとんど避難しているようでした。
家に戻ると400リッターの灯油タンクが階段下まで転がっていて灯油が少しこぼれていました。
家から貴重品だけでも取り出そうと中に入ると・・・酷い状態でした。
よく父はこんな状態で生きていたなと。
暗くてよく見えませんでしたが、家そのものが傾いて家具はひっちゃかめっちゃかでした。
倒れた家具を押しのけなんとか貴重品を救出・・・
家の中にいるのは危険と思い急いで外に出ました。
叔母の家に戻りました。
帰って家族会議・・・
次の日すぐに家に戻って明るい状態で見てみようということになりました。
2時間ほど寝てすぐに家に・・・
道路はそこらじゅうで通行止め。
事情を話してなんとか通してもらいました。
明るい状態で見ると本当にひどい状態でした。
周りの家はみんな壊れていて目の前のテニスコートは大きな地割れがありました。
家から荷物を取り出したり付近の人から話しを聞いたり・・・
ヘリがずっと飛び回っていて、知らない人やテレビ局の人がたくさん来ていました。
国の人?が家の危険度判定に来たり・・・
地震保険の人も損壊度を見に来たり・・・
親戚の人達や知り合いが見に来たり・・・
父の携帯電話は鳴りっぱなし、そのたび事情を1から説明でなかなか話しが進まず・・・
3日くらいは状況の把握で不安な日々を過ごしました。
そして自分の家の裏が山なのですが、山に亀裂が入っているようで、非常に危険な状態ということがわかりました。
そして雨予報・・・ブルーシートで亀裂に水がなるべく入らないようにしたようです。
そしてカメラを設置して少しでも山が動けばサイレンが鳴るようになっているようです。
そういうこともあり自分の家周辺は現在避難指示状態で今現在も完全封鎖されています・・・
暫くすると村や県が動き出しました。
こういう時ってほんとに遅いですね・・・
早かったのは二次災害の抑制と救助活動の円滑化などのための道路復旧ですね。
電気、ガスはすぐにストップにきました。
自分も二次災害が心配だったので一日目にすべての家電のコンセントの管理とガスを止めたりストーブを安全な状態にしたりしてきました。
国は今回死者が出ていないせいかほとんど動いてくれないようです・・・
県は災害復興支援ということで建物の復旧のレベルに対して支援金を支給すると・・・
村はがれきの撤去や解体をほぼ無料で行うと・・・
分譲地を用意するとかいう話しも長野市とかだけで白馬周辺にはない・・・
断層のほぼ真上ということで土地価値がほぼなくなってしまったような状態なので不動産会社も買い取ってくれない状態なのに村も買い取ってはくれない上に固定資産税は変わらず取るという・・・
正直いってあんまりじゃないかな?と・・・
ご近所の人達は80過ぎのおじいさんおばあさんばかりです。
ローンも組めないし身寄りもない・・・
その人は一体どうすればいいんでしょう?
地震保険に入っていなかった人も大勢いるようで、今も不安な生活を送っている人がたくさんいます。
自分の父が地震保険に入ってくれていましたが、地震直後「半額しか下りない」「あなたには保険下りません」とかふざけた対応されました・・・
国が全壊判定しているんだよ?
なんで?
保険会社いわく「柱が折れていようが屋根が無事なら全壊にはなりません」と・・・
じゃああんたここ住んでみろよって本気で思った。
家の下の地面がまるごと動いていて、家が半分割れているような状態だよ?
リフォーム出来るとかっていうけど、建築会社の人が「どうやってすんの?」って言ってました。
こういう時のための保険じゃないの?なんのために高いお金払っているの?
ほんと意味分かりません。
色んな人から散々文句言われたんでしょうか?
全壊判定になりました。
じゃあ最初から全壊にしてよって・・・
他にも色んな人から色々言われました。
「あなたは直接被災したわけじゃないんだから被災者じゃないんだ!いつまでも被災したつもりでいるんじゃない!」とか・・・
もうね、地震とかより人に疲れました。
今回地震があまりにも局地的すぎて、周りの人達からすると関係ないんだよね。
責めるつもりもありませんが、なんか少し寂しいなと思いました。
そして状況の把握も終わったので、自分は暫く叔母の家に避難していました。
ですがやはり近しい人であってもお互いにストレスを感じてしまい、いろいろありました・・・・・
なんとか大町の雇用促進住宅に住めることになり、現在そちらに避難しています。
まだまだ本来の生活にはほど遠く、見通しも立たないので不安な生活を送っています。
妻も嫁いできていきなりの地震・・・祖父の他界・・・避難生活とストレスも相当溜まっています。
とても可哀想でなんとか支えるように自分も頑張っていますが・・・
テレビでどこまでの情報が流れたのでしょう?
あまりテレビが見れていないのですが、現場はまだまだ酷い状態です。
人が死んでいないせいか、あまり大きく取り上げられることがなくなっているように感じます。
今回被災して本当に心から東日本大震災などに被災されて頑張っている方々を心から尊敬します。
本当に凄いですね・・・
自分もくじけていられません。
それにしても結婚式のあとに自分の家が全壊になるとかってほんとレアだよね。
なかなかないよね。
もう笑うしかないよね。
結婚式記念日とかしていいのかな?
結婚記念日は6月なんだけど・・・
色んな意味で忘れられない結婚式になりました。
遅くなりましたが当日出席して頂いたみなさんありがとうございましたm(_ _)m
いろいろ大変ですがなんとか頑張っております。
当日結婚式じゃなければ妻はタンスの下敷きになっていました。
当日大町のホテルに泊まれていなければ白馬には行けませんでした。
近々家を建て直すつもりでいたので、それが少し早くなっただけ・・・
そう考えれば少し気持ちも楽になります。
最後に一言・・・・・
・・・・・誰か俺にお札を貼ってくださいwww
Posted at 2015/01/01 12:22:53 | |
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