
デジタル機器はその性能の高さから、あらゆる場所で使われる。
小型化により、その用途はさらに増えている。
もはや、その機器なしの生活とは考えられない。
先日出張により、久々に電車に乗る事があった。
その中の一人が気になった。
イヤホンでなく、ヘッドホンで音楽を聴きながら、iPadを弄っているサラリーマン。
少し猫背で、こまごまとパッドを弄っていた。
周りを見渡しても、みな同じように携帯をイジリ、音楽を聴く姿。
まぁ、いたって普通の光景だろう。
たぶん自分も東京のサラリーマンなら同じような日常を送っているだろう。
否定をする気もないし、肯定をするわけでもない。
おそらく、それが日常だ。
思うに、電車の中でそうするのには理由があると思う。
自分の空間を作りたいのだと思う。
電車という空間にはいるが、自分のワールドをそこで確立しているのだろう。
自分の好きな音楽を聴きながら、自分のしたいことをする。
忙しい現代の書斎はそんなものかもしれない。
自分も音楽は好きで、よく音楽を聴く。
もちろん例に漏れず、電車でも聴くし、クルマでも聴く。
ちゃんと聴くなら、静かなところで聴いた方がよく聴ける。
そう考えると、なんかムリしてる気がしてならない。
耳元で音が鳴るのは、いくら好きな音楽でも結構負担がかかる。
確かに電車などの騒音を聴くなら、好きな音楽を聴いていた方が気分がいい。
だが、やっぱり耳元では決していい状態とは言えない気がする。
致し方ない状態ではあるが、みんなムリしてるんだろうなと思った。
みんなやってるからとか、そんな感覚で日常的にそれを使っている。
おそらく、疑問にも持たないことだろう。
デジタル機器からの束縛。
現代人は、デジタル機器なしではもはや生活できないかもしれない。
自分もやはりないと不便だし、持っている。
だが、本当はそこから解放された方が「楽」なんじゃないかと思った。
すべてを無くすのはムリだろう。
やはり現代はそれナシでは生活できないから。
少しでも自分の空間を解放し、周りを受け入れた方が楽なんじゃないかと。
人ごみもそう、電車の音もそう、受け入れる。
その日は雨も降っていたので、こうも思う。
英國人のように、雨を楽しむ。
雨の英國では、そのため傘が豊富。
そんな遊び心のような、そんなマインド。
楽しんだほうが、楽(ラク)なんじゃないか?!
 
				  Posted at 2012/06/14 22:34:56 |  | 
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