久々のブログ。スーパーカー世代なら、一度は口にした車の名、『たいれるP34』ミクシーでもちょっと(我々世代に)話題になりましたが、京商から1/18のP34のダイキャストモデルの新発売のリリース。『タイレルP34』いや~、久々にこの名を聞きました。小学生のときの、『第一回 F1日本GP』のコーフンが蘇る。当時、テレビにかじりついて見ましたが、富士スピードウエイは生憎の雨。放送も水煙と水蒸気で真っ白な画面で、今のようにリアルタイムでのリザルト表示もなく、ナニが何だかよく分からなかったことを思いだす。だけど、誰ぞが、1976年の映像を you tube、にアップしてくれていたんだね!当時ガキだったボクに、何だか理解出来なかったレースだったけど、水煙の中を疾走するP34の勇姿だけは、覚えていた、記憶の通りの姿だった。今にして思えば、選手権は最終戦だったけど、多分にエキシビジョンレースの様相もあり、マシン、ドライバーのスポット参戦もあった頃の、実におおらかな時代。一時、星野の3位走行もあり、見ていた当時よりコーフンしました。そんな星野も、途中からペースダウン、タイヤ交換でピットに入っても、スペアのタイヤすら事前に用意されておらず、あえなくリタイアという場面も。当時の日本人ドライバーにとって、F1の世界なんて、夢の又ゆめ、いまより遥か遠いトップカテゴリーであったのだろうケド、そんな少ないチャンスをモノに出来なかった星野の悔しさは、想像以上だったことだろうなァ。最近F1人気も下火になり、かくいうボクも最近疎遠でしたが、当時の映像を見ていると、昔のような『おおらかな』F1の姿もまた有ではと思う。トップチームの、既得権益に走り過ぎる現状の参加規約と、レギュレーションよりは、もっと門戸を大きく広げた体制にならないものかな。