2011年08月03日
9月23日に千歳でナイトミーティングが有りますよ

Posted at 2011/08/03 09:30:02 | |
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2011年03月21日
今回の地震について
皆様、私は無事に北海道に帰ってきました。
なんで福島にいたの?という声もありますが、ここに詳細を綴っときます。
8日~11日にかけて会社の研修で栃木にいました。
その間、岩手の幼馴染から連絡があり、急を要す内容だったので研修後の11日に北海道に帰る予定をずらし、岩手に行く途中で震災にあいました。
研修が終わったのは11日の11:30。それから宇都宮に行き、新幹線で盛岡に行こうと13:59発の新幹線に仙台の同期と一緒に乗り込み、福島駅に停車中のことでした。
私と同期はその新幹線の車内で発車を待っていました。
すると急に聞きなれない着信音が携帯から車内の乗客いっせいに鳴り、その後ゆっくりと揺れ始めました。
車内からは叫び声とともに停電になり、新幹線の車体がホームにぶつかる音が聞こえ、大きく揺れはじめました。
外を見ると、時計台、電柱、木、看板が大きく揺れている。車体も大きく揺れ、ただ事ではないと思いました。
非常に長い時間に感じました。
新幹線がひっくり返るほど大きく揺れ、死を覚悟しました。ここから新幹線ごと地面に落ちるかもしれない。落ちたら死ぬかな。どうやったら生き残れるのだろうか。そんなことを思っていました。
大きな揺れが数回あった後、アナウンスがあり、「落ち着いてください。落ち着いて行動してください。」との声。車内にはすすり泣く声が聞こえました。
ホームを見ると、黒い煙が見え、駅員が消火器を持って走って行く様子が見えました。
外は既に避難している人が見えました。
その後、しばらく待っていると、「落ち着いて行動してください。これから皆様には避難していただきます。」とのアナウンスが流れ、避難することになりました。
乗客は皆冷静に行動していて、終始スムーズに非難することができました。
ホームに下りると、エレベーターの壁にひびが入り、歪み、階段の外壁は剥がれ落ちて瓦礫が散乱していました。
案内表示の吊り看板も地面に落ちていました。
階段を下りると、避難する人でいっぱいの駅構内でした。
皆冷静に行動していてスムーズに避難できました。
構内の売店も商品が倒れ、散乱していて、天井からは壁が今にも落ちそうになっていました。
外に出ると既に数百人くらいの人が避難していました。
すぐさまPCを取り出し、ネットにつなぎ、情報を収集しました。
ここで地震の規模がわかりました。
街全体が停電になり、信号もストップしているのがわかりました。
同期と一緒にしばらく避難していると、ミゾレがふってきました。屋根のあるところガラスのあるところは危険と判断し、ぬれながら待っていると、避難した人が屋根の下に入っていくので、自分たちも屋根の下に行きました。
その後、駅構内に入ることができたので同期と構内に入り、避難していました。
携帯、メールはつながりにくく、ネットもつながらない状態。電気もなく、外はだんだん暗くなってきて、今の時刻は21:00。
同期が家族と連絡を取っていたので、仙台から救援にくるみたいだったが、信号がストップしていたため、どれくらいかかるかわからないということでした。
その後、小学校に避難します、と呼びかけがあり、行こうと思いましたが救援にくる方がわからなくなる可能性もあったので、その場にとどまりました。
救援者と連絡が取れず、寒いので一旦小学校に避難することにしました。
向かう途中、道路は損傷はなかったのですが、屋根瓦が落ちた残骸、壁が崩れた瓦礫があり、地震の爪跡が確認できました。
小学校に近づくと明かりが見え、ココだけは電気がきている様子。続々と避難している人が見えました。
小学校の体育館に入ると、既に避難した人が数百人いて、体育館がいっぱいでした。
しばらく待っていると救援者から連絡があり、着いた、とのこと。
当初は同期と一緒に仙台に行き、そこで避難しようと思いましたが、空港から離れること、仙台の方が被害が大きいことを考えると自分はココにいたほうが良いのでは、という結論に至り、残ることにしました。
ただ物資がないので、購入するため、救援者のクルマで空いてる店にいきました。
停電しているので、町並みは暗く、クルマのライトだけがある状態。
信号もなく、大渋滞。
ようやく開いてる店(電気が来てました)に行くと、レジに長蛇の列ができていました。
研修で買っていたお菓子はかばんにある、飲み物もある、後は、、、何が必要だろうと考えても何も思い浮かびませんでした。
体育館で携帯の充電をしようとコンセントを確認しましたが、既に順番待ちの様子だったので、3つまたのコンセントだけ買いました。
小学校にクルマで送ってもらい、お互いの無事を祈りつつ同期と別れその後は一人で避難することとなりました。
コンセントの前に移動し、3つ又を取り出して充電しつつも、何もできないまま情報が来るのを待っていました。
このとき23:00を過ぎていたと思います。
携帯の充電が切れる人が続々といたので、順番で充電することとなり、その管理をしていました。
その後、生命のパンという食料と毛布が配られました。
のち、水の配給があり、乾パンが配られました。
電話もつながりにくく、メールもできない。ネットもつながらない。
そんな状況のなか、毛布に包まり、眠れぬ夜を過ごしました。
12日朝になると、菓子パンが配られ、その後、号外が配られました。
その号外で津波があったことがわかりました。
市の職員の呼びかけでタクシーの乗り合いで各方面に向かう人を募る掲示板が作られました。
しかし、タクシーがいつ来るかはわからない、とのこと。
空港は福島空港から臨時便が出ていること
羽田は動きつつあることの情報は北海道の友達から聞いていました。
ただ、そこまでいける道路が通行できるかは不明でした。
昼にJR東日本福島駅長ら数人が来て状況説明にきましたが、
復旧の目処がたたない。代替バスも手配できない。とだけの情報しか伝えず、周りからは不満の声が上がりました。
一瞬暴動になるかと思いました。
一旦JRの人はその場から引きましたが、30分くらい後に再び来て、
福島駅は構内の安全が確保できず、復旧の目処が立たないこと
仙台駅は天井が落ちたこと
新幹線が脱線したこと
在来線も土砂崩れで埋まった箇所があること
駅間で止まった電車内に取り残された客を救援のためにバスを手配したため、こちらの人を乗せるほどの台数のバスが確保できないこと、
道路も安全が確保できない、信号もストップしているため、バスを手配する目処がたたないこと、
を説明すると周りから納得の声が上がりました。
宇都宮から上野までの電車が復旧しつつある情報を得ました。
昼にはバナナ半分が配られました。
時折号外も配られました。
町のところどころで電気が復旧している情報、コンビニやらが営業していること、ガソリンが5Lまで給油制限があることの情報が入りました。
隣の人2人が茨城から救援者を呼んでいることを聞き、東京まで乗せていってくれる、ということの話がありました。すごく感謝しましたが、
目の前に学生らしき女性が1人でいるのが気になり、声をかけてみると東京でひとり暮らしをしているらしく、東京に戻る途中とのことだったので、その話は彼女に譲りました。
宇都宮までタクシーの乗り合いで行って羽田から帰るか、福島空港から帰るか、ココにとどまり、避難している人を助けるか迷っていました。
夕方になり、やっとネットとメールが復旧しました。
いろんな情報は入るけども、どれを信用していいのか混乱しつつありました。
親戚が陸前高田市に住んでいて安否確認が取れていないことがわかり、私がそこに行って確認しようかとも思いましたが、市の職員に確認すると、
どこに避難場所があるのかわからない
連絡もできない
今行ったら非常に危険だから行かないでください。自分のことを最優先してください。
といわれ、心苦しくも断念しました。
夜にはおにぎり2個が配られました。
夜1:00ごろ、隣の人の救援者が到着したとのこと。
茨城からココまで通常3時間くらいの道が12時間かかった、とのこと。
道は大混雑で橋が通れない箇所、うねっている箇所もあるが、なんとか通れる、とのこと。
その人らと東京で1人くらしの彼女を送り出し、朝にはどうにかなるだろうと思い、横になりました。
体育館にはちらほら隙間はあるものの、当初から比べると90%の人がいました。
13日、朝になり、タクシーの掲示板を見ると、福島空港行きの乗り合い希望の方がいたので話をしていると、そこに割り込んできた人が
自分も福島空港に行く予定。タクシーも手配して後5分後にくるから一緒に行かないか、とのこと。
陸前高田市のことを考えると躊躇しましたが、このチャンスを逃すともうないと思い、乗ることにしました。
4人でタクシーに乗り込み、空港に向かいました。
道は通れるものの、うねっていて何回か天井に頭をぶつけました。
崩れてる家。陥没、地割れが起きた道路。土砂崩れで通行止めの道を迂回。
クルマの中で飛行機の空席の状況を調べると、通常便は今日明日と満席。
臨時便は公開してないため、直接いくしかない、との情報を事前に得ていました。
ですが、臨時便は4便ある、とか13便出てる、とか情報が交錯してました。
空港に到着。
料金は合計21600円。
空港に着くと、自衛隊と海上保安庁の人が待機していて、空港のドアには「断水中」の文字。
中に入ると、既に300人くらいならんでいました。
並んでいるとき、一緒に来た人が先頭の様子を伺うと言い、戻ってくると、
きょうの便は全部埋まったらしい、とのこと。
今日帰れなくても、明日でも明後日でもいい。とりあえず飛行機に乗れば、と思い、並んでいました。
情報によると、福島空港からは千歳行きと伊丹行きの便があるらしく、千歳経由伊丹行きと乗り継ぎで目的地に行く人もいるようです。
並んでいる最中、普通、臨時便は政府から要請があってからするものだが、今回はその要請がないらしく、ANA独自にやっていることで、明日、臨時便があるかはわからない、との情報。
よくわかりません。
並んでいると、続々と後ろに並んでくる人がいて、空港の端から端まで4列の行列になりました。
昼過ぎにやっとカウンターの前に着くと、15:50発千歳行きの臨時便が取れるらしく、すぐさま取りました。
やっと帰れる、と思いました。
後ろにある長蛇の列は空港の端で折り返していました。
15:20まで時間があるので、全く見れなかったTVを見てました。
津波でクルマが流される映像に驚きながらいつの間にか寝てました。
起こされて急いでお礼をいい、飛行機に乗り込みました。
飛行機からはヘリが7,8台見え、軍用機も見えました。
飛んでいる最中、地震の被害状況が見えないかと外ばっかり見てましたが、寝てました。
起きたのは飛行機が完全に着陸し、乗客が降りている最中でした。
空港について北海道についたことを伝えるため、電話をかけまくって久しぶりにご飯をたべました。
会社の方がお迎えに来てくださり、無事に家に帰ることができました。
本当にご心配をおかけしました。
心配してくださった方々、ありがとうございます。
情報が少ないなか、いろいろと情報を下さった方々、助かりました。ありがとうございます。
そして、まだ被災地にいる友達、避難場所にいる方々、行方不明の親戚、救出復興に尽力を注ぐ方々がんばってください。
大丈夫です。私たちがいます。
Posted at 2011/03/21 00:51:37 | |
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2011年02月27日
みなさん、いかがお過ごしでしょうか>?
自分は、仕事の毎日ですわww
車もプロジェクターにして、その光軸調整機構をなおさなきゃいけないのに、
まとまった時間が確保できませんww
まぁ時間が確保できても、やるかは・・・・wwww
みんカラをしていて、みんな車がすきなんだなぁwwと思う今日この頃w
オフ会したいwww
春にしたいwww
やってしまうよw
オフ会をwww
時間は未定w
後日発表しますw
参加台数、参加車両は無制限w
オレが主催だから拒否はしないw
いいでしょwwそれでwwww
わははwww
Posted at 2011/02/27 17:09:53 | |
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2010年11月30日
発注リスト
社外品後期仕様フロントバンパー(新品)
65G右ヘッドライト(中古)
S13,14,15用インタークーラー
56Φccflイカリング付ヘッドライト用プロジェクター×4
有機ELシート×3&バラスト×2
計11万
板金屋にお願いすること
コアサポート修正
右フロントフェンダー板金+塗装
フロントバンパー塗装
インタークーラー取り付け
合計いくらくらいいくかなwwww
Posted at 2010/11/30 01:21:13 | |
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2010年11月29日
昨日の気温低下でスリップし、ガードレールと20kmくらいでお友達になりましたw
フロントバンパー、右ヘッドライト、右フェンダー破損です><;:
あと、ラジエターコアサポート変形←手で直しましたw
これを機に、
インタークーラー取り付け、→バンパー加工
インタークーラーに向けて有機ELテープを取り付け
フロントアンダーディフューザー取り付け
ヘッドライトのLOW側ににイカリング付きプロジェクターを2連にして埋め込み加工
サイドウィンカーを有機ELパネルに加工
ドアミラーウィンカーに有機ELパネルに加工
しようと思ってます。
クルマは直さなくてはならないので、いろんなとこポチりまくりwww
Posted at 2010/11/29 18:54:12 | |
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