日航123便が墜落し520名もの方が亡くなられた、あの大事故から今日で24年がたちます。
当時幼かった私は事故当日、家族とともに筑波万博に行った帰路、自動車のラジオから日航ジャンボ機行方不明との放送が繰り返されていた事を強く記憶しております。
私自身も航空機の操縦士資格を有しており、訓練課程ではエンジンを片側アイドルまで絞って片側エンジンの故障を想定した訓練中ラダーを踏み間違えそうになったり、スピンに入りそうになったりと怖い思いも随分としましたが、それは理由の有る怖さであり、理由が分かっていれば次に取るべき対処が分かります。
しかし、123便のクルーは油圧が全部駄目になった事は計器で認識してた様ですが、出回っているCVR音声では油圧が完全に駄目になっている墜落間際でも、副操縦士の方が機長からの指示を受け舵を切っている様な様子が伺える事から、尾部が補助動力装置を含め殆ど吹っ飛びそれが原因で油圧もやられた事実を認識出来なかったのではないでしょうか。
事故調の報告書では123便は機長昇格訓練中の副操縦士の方が操縦していた事になっていますが、副操縦士とはいえ、機長昇格訓練まで行かれている方なのでATPL(定期運送用操縦士)資格という機長と同じ国の操縦士資格の最高峰の資格まで所持しておられた様です。
多くの人命を預かって人様の頭の上を巨大な人工物を飛ばす為、通常エアラインパイロットの方はエンジンが一つ停止しようが、火災を起こそうが全然動じない程の厳しい訓練を受けておられます。
その操縦士の方たちがCVR音声を聞く限り、あれだけ動揺している・・・・・
慌てる筈の無いプロ中のプロパイロットがあれだけ動揺して、声を荒げている。
前代未聞、ただ事では無い事態が24年前の今日起きたのです。
状況が何も分からぬまま、機体とのコネクションが断たれた操縦桿を持たされた操縦士の方々は本当に怖かっただろうと思います。
そんな状況下、懸命に指示を出し続けた高濱雅巳機長、機長の指示に従い懸命に操縦桿を握ってた佐々木祐副操縦士、機長、副操縦士を補佐し懸命に自分の仕事を全うした福田博FEと多くの乗客の方々のご冥福を祈らずにはいられません。
合掌
リンクは事故調の事故調査報告書です。
Posted at 2009/08/12 11:07:23 | |
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