'94年5月に発表されたF355。今年で20年になります。
当時の思い出話を長くて恐縮ですがお話させて頂きます。
・・・発表前から雑誌のスクープ記事を読みその姿が明らかになることを心待ちにしていましたが、発表時の心境は正直申し上げて複雑でした。
それは、エンジンスペックに関しては期待できるものの、フロントバンパー周辺のデザインは348の方がカッコいいなぁ~と思ったこと、シフトパターンがこれまでのレーシングパターンではなくなってしまったことを残念に思いました。
フロントのデザインはまぁなんだかニコっと笑っているようにも見えますのでご愛嬌かなとも考えなおしましたが、シフトパターンだけは納得できませんでした。他車で2速⇔3速が直線上にある楽しさをワインディングロードや旧FISCOで味わっていましたので、ボクにとって純粋なスポーツカーであるFerrariが何故?との思いが強かったのでありました。
意外にも新たに採用されたパワステに関しては違和感がなく、むしろ重ステじゃないからドリフトで失敗しても突指しなくていいかなぁ~程度に思っていたのでした。
94年9月頃だったでしょうか、フェラーリ美術館に立ち寄ると、偶然オーナーの松田氏が緑のF355Bに乗っておられるのを見かけました。やはりあれだけ沢山のフェラーリを乗られてきた方は赤以外の色を選ぶ遊び心をお持ちなのだなぁ・・・と妙に感心したのを覚えています。
94年12月。ボクは当時芝浦にあったディーラーへ出かけました。実はその前月に個人的に辛い出来事があり、気持ちを落ち着けるためにも大好きなフェラーリでも見学しようと思い立ち、ショールームが閉まった夜、ウィンドー越しにロッソコルサのF355Bを眺めながら夢物語を描き辛い出来事を消そうとしていたのです。
そのことを当時のクルマ仲間に話したところ、「えっ!ショールームに入らなかったの?」と驚かれ、「・・・敷居が高すぎてボクには無理だよ・・・」と言うと、「じゃ!一緒に行こう!」となり、数日後ショールームを再訪することに。
ショールームへ入っても革ジャン&ジーパンというファッションの二人組に営業マンは寄ってきません。ボクより図太い友人が「すみません!中を見せてください!」と声をかけると営業マンが渋々ドアを開けてくれました。
まず友人が先に、そしていよいよボクの番です!フェラーリの運転席に座ること自体が初体験でしたのですっかり舞い上がってしまい、それまで気にしていたシフトパターンなんかどうでもよくなっちゃいました(笑)
もう一度外から二人で眺めていたら、友人が「ブレーキローターが小さいねぇ・・・」と呟きました。ボクもそれは感じてはいましたが、舞い上がっていましたので「とにかくこのクルマが欲しい!!」と。
参考までに乗り出し価格を聞いたら、夢から現実へと戻ったのでした・・・。
年が明け、ボクは仕事により一層没頭しました。休みなしで、これまでなら無理!とお断りしていた仕事まで引き受け怒涛の勢いで貯金に励みました。その頃TIPO誌に「バカヤロー!男だったらフェラーリ乗るくらいの夢を持て!」と表紙に大きく書かれた号があり、ボクはいつも仕事机の横にそのTIPO誌を置き時々表紙を眺めながら決意を新たにしていたのです。
95年4月頃だったでしょうか。雑誌の某ショップ広告に新車未登録の328GTBを発見しました!色が黄色なので躊躇しましたが、F355は無理だけどこれなら死ぬ気で頑張ればなんとかなるかもしれない!と思ったらもうその店へ向かっていました。着くなり尋ねると売れてしまったそうで、松田コレクションのクルマだったとか。落胆していると、社長さんがボクを348challengeの助手席へと招いてくださり、近くのワインディングロードで思いっきり走ってくださいました!これには感動しましたね。この店で買おう!と一瞬思いF355の並行車の価格を尋ねるとディーラーよりは安いものの、まだボクの予算からは遠かったのでありました。
その後色々なお店へ出かけました。ただその際にひとつだけ考えて実行したことがあります。それは事前に電話しお店の様子を探ることです。電話は顔が見えない反面、内々思っている感情が話し方や雰囲気から感じ取ることが出来ますので、感じの良い店へは出向き、そうではない店は電話のみとしました。
絞った5~6店の価格は乗り出しで200くらいの開きがあり、最安値の店を選び、95年5月に契約しました。価格の点のみならず、スーパーカー漫画の教祖様がその店からF355を買われていましたし、オーナー氏は資産に余裕がありクルマ商売は趣味のように見受けられ、ここなら大丈夫だろうと思ったわけなのです。
当時のボクには人生をかけた買い物でした。でもサイは投げられたのです。納車までの間、仕事に励むことはもちろんのこと、お金の使い方も工夫してみました。まず普段はクルマに乗らないこと。自分のクルマは手放しましたし、親のクルマを借りてもガソリン代は払わなくてはなりませんので、どうしてもクルマでなければダメな場合以外は電車で移動。洋服は一切買わない。財布に小銭が増えると、すぐATMで入金。万が一に備え財布に1万円札を一枚忍ばせてはありましたが、それ以外は2000~3000円しか入っていませんでした。今にして思えば彼女がいない時期だったからこそ出来た生活ではありました。
納車は当初8~9月と言われていましたが、遅れて11月になりました。もちろん支払いを考えれば納車が遅れたことはとても助かりましたが。。。
ところで納車前に発売されたベストモータリングでF355、993RS、マクラーレンF1、Veilside スープラを比較テストした号がありまして、中谷さん、土屋さんがF355を絶賛しているのを観て嬉しくなりました。でもメガネをかけたオジサンが付属の小冊子の中で「もしもオレが911ターボを手放してF355を買うならパワステが気に入らないので、オプションでノンパワステを選ぶと思うなぁ・・・」と書いていました。そのオジサンこそ後に知り合うこととなる大井クマゴロー貴之センセイだったのです(笑) 当時のボクは「なんかこのメガネのおじさん、性格も運転もそそっかしい感じだけど、ちょっと視点がユニークだなぁ!」と感じていました。
そして納車当日。京浜急行に乗ってF355を受け取りに行きました。
シャーシナンバー ZFFPR41B00010265○
それまでFerrariを運転した経験が全くなかったので物凄く緊張しましたが、意外にすんなり運転出来てしまいました。
自宅のガレージに入れ、こっそり持ち出した親父のブランデーを飲みながらF355を眺めるのは至福の時でした!
それから休日の度に慣らしをするようになりました。行先はほとんど東名で浜松あたりまで行って引き返してくるパターン。毎週走っていると、何処に特殊車両が待ち構えているか・・・と感覚的に掴むようになりましたが、慣らし中なのに後ろから挑発を受けることも多々あり、我慢を強いられました。またサービスエリアで好物のジャンボフランクを食べながら車のところへ戻ろうとしたら人だかりが出来ていて、恥ずかしくて戻れなくなっちゃったこともありましたね(笑)
当時の大黒PAは純粋なクルマ好きが少数集まる実にのんびりした雰囲気でした。ある日、アルファロメオのグループの方々から声を掛けていただき、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
F355Bに慣れてくるにつれ、不満点も出てきました。まずはブレーキ。慣らしを終え全開にしたらびっくりするくらい止まらなくて、これはアブナイなぁ・・・・と。次に足回り。旧FISCOを走ってみたところ、それまでのどのクルマでも躊躇することなく全開でいけた300Rや最終コーナーでちょっと不安を感じてアクセルを戻してしまったのです。特にリアのストロークをもう少し短くしたいのと特に伸び側の減衰をなんとかしたいなぁと。
そう考え出したら妄想が止まりませんでした。雑誌で見かけた大阪のショップに問い合わせたらF50キャリパーを前後入れローターがFront 355mm & Rear 330mmの組み合わせで約200万円と言われ愕然としました。
F355を購入したショップにそのことを話したら、challenge kitを工賃込み350万円で組めると言われ96年2月、ローンを組んでお願いすることにしました。
Kit内容は以下の通り。
・ブレーキフルキット(Rインナードラム別途製作)
・前後ショック、スプリング(予算が足らなくてメタルブッシュは断念)
・オイルクーラー
・フロントバンパー
・ロールケージ
・消火器
・ホイールX 4
・(シート、シートステー、シートベルト)X 2
・直菅マフラー(サイレンサー付があることを当時知らなかった・・・)
5月にFerrari美術館で開催されるブランチまでに仕上がれば・・・と考えていたのですが、待てど暮らせど作業は進まず納車されたのは7月。
しかしながらそれでも完全ではなく、challenge純正バケットシートのみが届かず、ロールケージが入った室内には窮屈そうにノーマルシートが収まっていました。
それでも約5か月ぶりでしたので、クルマを受け取ってから帰路の第三京浜を嬉々として走り、料金所で停止しようとしたら緩いブレーキングにも拘わらずフロントタイヤがロックしてびっくりしました。
慌ててショップに電話すると、「ABS外しましたよ~ しばらく様子見てね~ じゃ!」と軽~く流され、ローンまで組んでクルマのバランスを崩してしまったかぁ・・・とその晩は激しく落ち込みました。
当時はインターネット時代の夜明け前でしたから、Ferrariに関し相談できる友人知人は誰もいませんでした。
ひとりで悩みながらかつて富士フレッシュマンレースに参戦していた時、新品タイヤを履かせコースインし、十分にタイヤ温度を上げないままタイムアタックし、1コーナー手前のブレーキングでフラットスポットをつくってしまったことをふと思い出しました。
そうだ!タイヤ温度をしっかり上げればいいんだ!それとお金の余裕が出来たら、縦Gのグリップがもっと優れるタイヤに換えよう!と考えるようになりました。
でも購入したショップには不信感が募っていましたので、新しい主治医を探していました。
この店はどうかなぁ?と思い始めた矢先、まとまったお金を要する出来事がっ!
3日間悩んだ末、男として決断しなければならない時も人生にはある!と売却を決意。
購入したショップに話すと、当時まだchallenge仕様のF355が珍しかったこともあり、すぐにお客さんを紹介され売却。
11か月で約7000㎞ほど乗ってchallenge kit分の350が売却損だったわけですが、当時のボクにとっては大きな損失でした。
経済的にも精神的にも。。。
その後も紆余曲折ありましたが、、、今こうして傍らにあるF355challengeを見つめながらもあの時のことを思い出すと目頭が熱くなります。
長文にお付き合い頂きまして有難うございました。
さて、熱い気持ちを胸にしながらこちらの曲↓を聴くとしますか!