みなさん、こんばんは
20日に携帯を機種変したのですが、今朝、アラームがうまく機能しておらず、普段より1時間遅く起きてしまい、何とか遅刻せずに済んでホッとしている山ちゃんです
(マナーモードにしていたのが原因だったと思われます・・・)
今日、会社で2012年3月19日発行の『税のしるべ』を読んだのですが、その中の「経営に生かす商いの知恵」というコラムの内容に感銘を受けたので、コラムの内容をみなさんに紹介するのと併せてブログに書く事にしました
以下、↓から↑が全文です。
↓
求める価値を提供し時代の要請に応える
商家の家訓には、企業の役割や存在理由を的確に表現する言葉がある。
下村彦右衛門家(現在の大丸松坂屋百貨店)の店是
「先義而後利者栄」は義を先にして利を後にするものは栄えることを教え、住友家の家則にある「苟(いやしく)も浮利に趨(はし)り軽進すべからず」は手段方法を選ばないで利益獲得に奔走することを戒め、茂木家の家訓「徳義は本なり財は末なり本末を忘るる勿(なか)れ」は社会において守るべき道を外れて目先の利益に奔走することは許されるものではないこと、法や規則を遵守して商活動の本来の役割を果たすことが企業としての当然の責務であることを教えている。
また、近江商人の「三方よし」は取引の当事者だけでなく、世間のためにもなるものでなければならないことを、「利は余沢」は「利益は先人の残した恵み」であり、商人は需要と供給を合致させるのが天から与えられた役割であるから、その役割を達成することによって、「余沢」という利益が得られると説いている。
この余沢を広く解釈すれば、先人を含めた多くの企業関係者の協働によって産み出されたものが「企業の利益」であるといえる。
このような企業の利益は、本業を中心にして事業を展開し、そこから得られた利益こそが企業本来の利益であって、「手段を選ばず、浮利に趨(はし)った投機的な事業」によって得た利益は企業本来の利益ではない。
また、企業が手段方法を選ばずに獲得した利益は、一時的に相当の利益を上げたとしても、企業が長く存続して人々のお役に立ち、長期にわたって利益をあげさせてもらうことは難しいという考え方である。
換言すれば、企業の利益は、株主や出資者あるいは経営者といった特定の関係者だけのものではなく、顧客や他の多くの企業関係者の利益(満足)でもあるので、企業はこのような人々の利益にも、配慮する必要があると言える。
人々の生活に多くの公共財が必要であるように、企業の事業活動においても多くの公共財が必要である。
企業は「企業市民」として、納税などの義務を果たさなければならないが、企業活動に必要な公共財を国や地方公共団体から提供してもらっている。
また、その一方で、企業は、人々の生活や企業活動に必要な財を提供し、社会の公器としての役割を果たしており、その役割を果たすためには、常に顧客を創造しなければならず、顧客が商品の価値を認めて購入する物には、人々の生活に役立つという効用がある。
正しく社会の循環である。
このように、企業は、顧客が求める新しい価値を提供し、時代の要請に応える必要がある。
これこそが企業の役割である。
最近の不祥事を見るにつけ、経営者の責務は、不祥事が発覚した際の火消し役や謝罪要員ではなく、責任をとって辞任すればそれで終わりというものではない。
平素から経営者自らが、「よき市民」として倫理や法を遵守し、企業が「よき企業市民」として活動できるように、多くの企業関係者を誘導し、必要なシステムを構築して、万全を期すことではないか。
冒頭の言葉は、時代や業種に関係なく事業運営の基本にすべき考え方として、
これからも生かしていかなければならない金言であろう。
↑
そして、このコラムを読んだ後で、
先義而後利者栄という言葉をネットで検索したところ、2番目にヒットしたページ
http://goshom.com/2011/03/post_1.html
の中にあった
正直・律義で慈愛深く
「人は正直で慈愛に富むのが第一。
衣服や食事のおごりもいけないが、心のおごりが最もいけない。
いかに才知に優れていても不義理な人間は役に立たない。
まして主人たるものは、正直・律義で慈愛深くなければ多くの人の上には立てない。」
という言葉は、仕事・家庭・プライベートの区別なく当てはまると思うので、
今後の自分の成長に役立てる【金言】として日常生活に役立てていこうと思います!
Posted at 2012/03/22 20:04:50 | |
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