1990年代に、多販売チャンネル制へとシフトしようとしていたマツダは、1991年にルーチェの後継となる「センティア」を販売しました。
このクルマは、マツダが「攻め」の体勢にあった頃のもので、実は「レクサス」や「インフィニティ」などのアメリカで展開する他メーカーの高級車チャンネルに対抗する為に、マツダも「アマティ」なる販売網を企画していました。
日本では「ユーノス」「アンフィニ」「オートザム」「マツダ」の4チャンネル制で行く予定であり、その中のユーノスに「1000」というフラッグシップカーを投入する予定でした。
その為、このセンティアは「ユーノス1000」(アメリカでは「アマティ1000」)の下のクルマとして位置づけられる予定でした。
しかしアマティ計画もバブル景気崩壊により頓挫、やむを得ずこのセンティアがマツダの中ではフラッグシップカーとなりました。
そうしてセンティアの上を設けるつもりだったから、センティアはスペシャリティ的なクルマとされました。
特にスタイルではルーチェの面影を残さない、流面系の滑らかなデザインを特徴とし、見る者を惹き付けました。
それからセンティアの兄弟車として、アンフィニブランドにも「MS-9」というクルマがセンティアのデビューから半年後に投入されていました。
しかしセンティアは思った程売れず、1994年のマイナーチェンジでは兄弟車のMS-9を廃止、1995年には2代目へと進化しましたが、評判の芳しくなかったリヤシートの居住性を改善したデザインへと進化しました。
…このクルマは今も根強いファンがいますが、この時代のマツダ車ってなかなかデザインコンシャスなクルマが多かったですね。クロノス、RX-7(FD)、ユーノス・コスモ等等…
私も結構好きなデザインでしたが、モデルチェンジでクラウンとかセドリックに近づいただけのデザインになったのは少々残念でした。
当時のCM
エルトン・ジョンの「GOODBYE YELLOW BRICK ROAD」という名曲が良かったですね。
個人的には1994年マイナーチェンジの際のセンティアの流面デザインを生かして、白黒のストライプの模様が写りこむCMが好きでしたが、動画の中に見当たりませんでした。
Posted at 2010/08/27 06:22:11 | |
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マツダ車 | 日記