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2020年08月01日 イイね!

明智氏元祖生誕の城と住居跡 ~揖斐川町 明智光秀の史跡巡り ② ~

まず最初に、今回調べたポイントを、まとめて説明したいと思います。

明智氏元祖 明智頼兼
1321年 池田郡小嶋にて誕生。
1342年 可児郡明智の里にて築城住居とし、地名を名字へ変更、土岐→明智と名乗る。
九代後に明智光秀が登場。

明智光秀
1528年 8月17日 石津郡多羅(上石津町)にて誕生
1543年 元服
1551年 結婚
1556年 明智城落城


小島城(おじまじょう)
岐阜県揖斐川町春日地区(関ケ原から北東約15キロの山間部)
最高所の標高 372メートル
築城 不明 1337年確認。
1390年 落城。
大規模な山城で戦国期(14世紀と15後半~16世紀)の出土品もあるのに、江戸時代の書物には全く出てきません。
大正時代に郷土史家の紹介によって初めて公式に小島城と認定されたという稀有な城です。


土岐頼康
1315年 池田郡小島にて生誕。
明智氏元祖明智頼兼の兄。
室町幕府創業の元老。
美濃・尾張・伊勢の守護となり、土岐一族最盛期を迎える。
1358年 瑞巌寺に住む。
1387年 逝去 享年73歳。


土岐康行の乱
土岐頼康の嫡男、小島城主。
頼康が亡くなった後、将軍足利義満は天下統一をもくろみ、強大な力を得た土岐氏の力を減らす為、頼康の子供たち(康行と満貞)を戦わせる事にした。

1389年 足利義満は、わざと頼康の領土を彼の二人の子供に分配した。
康行(兄)には美濃・伊勢を、満貞(弟)には尾張を。
満貞(弟)は康行(兄)に代わって、土岐氏のトップになりたいと思っていた。

1390年 足利義満は康行を挑発し、室町幕府軍 京極高秀・土岐満貞ら5万の兵を小島城へ送り込んだ。
追い詰められた土岐康行は、婦女子約270人を斬首し、討ち死に。
城には婦女子を斬首した谷が今でもあるそうです。
その後足利義満は、1391年 山名氏清を倒し、1392年 南北朝合体、1399年には大内義弘を倒し天下統一を果たし、栄華を極めた。


土岐氏のルーツ
清和天皇の子孫、清和源氏。
1148年 土岐光衡 生誕
(土岐氏の元祖)


小島城 ロド

今回ここまで調べて感じたのは、これほど大きな戦があったにも関わらず、どうして今まで知らなかったのか。

「誰かの何らかの不都合により、歴史の闇に葬られていた謎の舞台」という印象を受けました。

「明智一族の生誕地」以上に、そちらの興味の方が大きかったです。


小島城 看板

事前に調べていた小島城への道を変更し、別のルートから山道へ。

航空写真やグーグルマップなど現代の技術を駆使して道を調べていた成果もあり、スマホを持っていない私でも(まだガラケー)、スムーズに目的地に到着できました。


P ~向かいの山①

小島城の駐車場横から、登山口が伸びていました。
ここはお城の中腹になります。

遊歩道は整備されていて道も広かったので、登りやすそうでしたが、平日の昼下がりということもあってか、人っ子一人いず、薄暗くて気味が悪かったので、少し登ったところで引き返しました。

向かいの山②

婦女子が約270人首を切られたというのも気持ち悪いですが、そういうのは特になんとも思わなくて(関ケ原の住人なんで)、それ以上に怖いのは、熊。

乗り物あれば逃げられますけど、身一つなんで。

駐車場の向かいには、深い谷間と山が見えました。

狭い山間部にある事がよくわかります。

ここまで来て思ったのは、ここは濃尾平野の端っこから更に奥に入った辺境の地で、強大な力を持っていたにもかかわらず、こんなに山間部に拠点を作って住んでいたってことは、よっぽど敵を警戒していたのかなという事です。

山を南西に抜ければ関ケ原もありまして、交通の要所でもありますから、その辺も考慮しての築城かなと思いました。

ココ=石碑の場所

小島城から少し西へ行くと人気観光地「天空の茶畑」があり、そこに小島城主の屋敷跡の石碑があります。

明智家元祖 明智頼兼の生誕地は、この丘になりますね。
ここから明智光秀につながっていくんですね。


住居跡 看板

「天空の茶畑」は新型コロナの影響で入場できませんでしたが、手前まで行き全体を見渡しました。

「天空の茶畑」はその名の通り、山の上から見るとマチピチュのように、標高の高い所の崖っぷちにポツリと茶畑が広がって見える事からのネーミングで、

小島城主の屋敷もまさに、前が崖っぷちで後ろが山の 天空の住居地 天空に住まう城主 といった感じです。

住居跡 風景

新型コロナが終わって人気が戻ったら、どちらもまた改めて訪れたく思います。

とても興味深い史跡でした。


ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

次回へ、明智光秀の史跡巡り、まだまだ続きます♪

2020年08月01日 イイね!

関ケ原を北に抜けました。「明神の森」「教如上人おじゃれの水 潤いの泉」 

岐阜県に独自の緊急事態宣言が発令されました。

その前に今のうちにと思い、7月中ずっと研究してきた 揖斐川町の明智光秀の史跡巡りへ出かけました。

調べていくうちに、関ケ原の山の向こうに 「明智氏の元祖 明智頼兼の生誕地 小島城と居住跡」があるというのを知りました。

小島城の歴史にも、大変興味が沸きました。

そこへ向かうために、近道をしようと、以前から気になっていた道 関ケ原を北に突き抜け明神の森へ行く道を走りました。

関ケ原側の入り口には、「クマ出没注意」の大きな看板がありました。

みん友さんから、「この道は凄く細いから行かない方がいい」とアドバイスを頂いていましたが、好奇心で突入。


・・・まさに、その通りでした。

もう二度と通ることは無いでしょう。



細道を抜けると突然道が広くなり、「明神の森」に出ました。

明神の森 手前

駐車場からの展望が想像以上に奇麗だったので、感動しました。



車に戻ると、大きな黒いアブか蜂かが数匹、よってたかって私のロドの幌をつつきまくっていました。



明神の森の北向こうは、少し走ると突然広いきれいな道が始まり、これはラッキーと思うとまたすぐに細道になりました。

子猫がいたり、バンビが飛び出たり、川の源泉があったりで、危険ながらも面白かったです。

途中、「さざれ石公園(君が代発祥の地)」があるはずなのですが、看板の意味がよく分からず諦めました。

凄い斜面に茶畑があり、よく造ったなあと驚いたりしました。




「関ケ原合戦後、小西行長が逃げ込んで、村人に通報されて捕まった寺(観音寺)」と

「連行される小西行長に呪いの言葉を浴びせられ、その後村に不幸・火事が多発したので原因は小西行長の呪いと判断し、これを鎮めるために作った祠(小西神社)。祠を作ったら火事が無くなった。」

のすぐ横を通り、大変興味をそそられましたが、曲がり角を素通りしたのでまた今度。

予め調べていた小島城への入り口まで行くと、工事中で入れなかったので、そのまま通り越して「潤いの泉」へ行きました。

ロド

面白いことに、ここは関ケ原合戦も関係しています。

泉 全体

1600年 関ケ原合戦の直前、教如上人が石田三成に追われて、ここにやってきました。

教如上人は、石山合戦(大坂)で織田信長と約10年間(1570年~1580年)戦い、後に徳川家康と東本願寺を創建、真宗大谷派派祖となった人物です。


説明


教如上人は、ここで水を飲んで 「うまい!」

と言ったそうです。



水はとても冷たかったです。


その後、教如上人は、近くの山に身を潜め、無事に京都へ帰ったそうです。


続く♪


ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

明智光秀の史跡巡り、次回~いよいよ本編に移ります。

プロフィール

「[整備] #ロードスター パナソニック カオス アイドリングストップ専用 N-80、ターミナルアダプター https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2397340/8414803/note.aspx
何シテル?   10/29 04:58
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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