今年の春、関東地方は週末のたびに天候が崩れ、なかなか良いコンディションでの花見ができませんでしたよね。
そんな中、時間や場所を工夫して楽しんできた2016年花見の記録です。
■野川の桜ライトアップ(2016.04.06 東京都調布市)
4月5日、仕事を早めに切り上げ、家の近くなのにこれまで行ったことがなかった「野川の桜ライトアップ」を見てきました。
このライトアップ、調布市の照明レンタル会社が自社の花見のために1本の桜を照らしたのが始まりで、その後地元行政やボランティアの支援が加わり規模を拡大。今では野川両端の850mをライトアップするまでになったのだそうです。
しかしながら開催は最高の開花状況に合わせた平日の1晩だけ、開催日も直前に自社HPだけでの告知、ということで知る人ぞ知るイベントとなっています。
最寄りの京王線国領駅で家族と待ち合わせ。現地までは徒歩10分弱くらいでしょうか。夜のおでかけにテンション上がる息子をなだめながら薄暗い住宅街を歩くと、突如異空間が現れます!

うわあ。。(溜息)
桜の状態が最高のタイミングに、プロの照明屋さんが最良の機材を効果的にセッティングするので美しくないはずがありません。それに露店の出店等一切ないので、座り込んで宴会に興じる人もおらず、皆緑道をそぞろ歩きながら静かに花見を楽しんでいるのが、都心部の夜桜と違ってとても好ましい雰囲気を作り出していました。これからも、余り大々的に知られることなく毎年開催されることでしょう。
■図師の畔桜(2016.04.06 東京都町田市)
野川の桜を見た翌朝、妙に早く目が覚めてしまったので、出勤前に前から行きたかった町田市の図師にある畔桜を見に行ってみました。町田には高校卒業まで住んでいて、この界隈も勝手知ったるエリアなんですが、この桜の存在は最近まで全然知りませんでした。
自宅からは車で20分ほどでしょうか。早朝なので渋滞なくサクッと到着です。しかし普通の農作地にあるため駐車場がなく、少し離れた場所に車を停めました。
(現地間近の都道上に撮影者のものと思しき車が数台路駐されていましたが、2車線で見通しの効かないカーブの直後で、ちょっと危険では。。?)
谷戸の入口から、前々日の雨でぬかるんだ畦道を少し歩くと、それは姿を現わしました。
映画の撮影にも使われた名木ということで、早朝6時前だというのに数人のカメラマンが三脚を立てておりました。品種はヤマザクラそうです。
何とも美しい一本桜ではありませんか。推定樹齢200年以上だそうで、開発を免れたこの谷戸で、長い間ゆったりと時を過ごしてきたのでしょうね。
このあと、日大三高付近の桜並木や、
小山田の大泉寺など立ち寄りました。
大泉寺バス停。時間が止まったような空間。
丘陵地帯を大規模に切り開いて住宅地を開発してきた町田市ですが、この図師・小山田界隈は自然保護のためこれまで開発が厳しく制限されていたと記憶しています。
しかし米軍相模総合補給廠返還に伴い小田急多摩線延伸計画が具体化、小山田にも駅ができる事になったそうです。個人的にはここにだけは通して欲しくなかったのですが、、、
都心から30km弱とは思えぬこの豊かな風景もやがて他の地区と同様に様変わりしてしまうのだろうか、などと考えながら出勤しました。
■船岡の一目千本桜(2016.04.09 宮城県柴田町)
その週末、CX-5をMFCT(マツダファン・サーキットトライアル)に参戦させるべく宮城県・菅生サーキットへ向かったわけですが(別途アップします)、開催当日は何と仙台の桜の満開タイミングとドンピシャリ!
というわけで私の趣味にお付き合い頂く奥さんの意向を汲み、大会前日に白石川を訪れました。
白石川河畔の桜並木は日本でも有数の規模を誇るそうで、約8kmに渡ってソメイヨシノが咲き誇るとのこと。上流の大河原町から入る方が多いらしいのですが、私は下流の船岡駅付近からアプローチしました。イオン船岡店で弁当など買い込みつつクルマを置かせて頂きました。歩いて5分ほどで白石川にかかる「さくら歩道橋」に到着。少し靄があるもののまずまずの天気。早速土手を上がって橋に出ると。。。!
おぉーーっ。。。

上流に向かって緩やかにS字を描く白石川に沿って延々と続く満開の桜並木。その左側には船岡城址公園の桜が加わり、それらの奥には画像では見えませんが冠雪した蔵王連峰が聳え立ち。。素晴らしい風景。
少し風が強いんですが早速河原にレジャーシートを敷いてお花見です。
名所だけあって見物客も多いですが、とにかく桜のある範囲が広い(長い)ので、関東圏の桜名所と違っていくらでも余裕があります。酒盛りしているようなグループもなく、実に快適な花見が楽しめました。

昨年開通した、城址公園と河畔を結ぶ「しばた千桜橋」まで歩いてみました。
この桜並木のすぐ横には東北本線が走っており、臨時列車でも来るのでしょうか、ここでも多数の撮り鉄さんがスタンバイ。お疲れ様です。

千桜橋付近は城址公園の桜、白石川の桜に加えて合流する水路にも桜並木があり、まさに桜だらけといった様相でありました。この風景を高い位置から眺められるとあって、船岡側では最もごった返すスポットになっていました。
結構頻繁に列車がやってきます。一般の列車はこの区間で桜を見せるため徐行するのですが、貨物列車は淡々と通常のスピードで通過してゆきます。

橋のすぐそばの水路が白石川に流れ込む合流点に、印象的なフォルムの桜が鎮座しておりました。
桜の後方に、うっすらと蔵王連山が見えてます。
というわけで、素晴らしい桜が見られて家族もご機嫌な数時間を過ごすことができました。私自身は花より団子派なのでそれほど桜に思い入れは無いタイプの人間なんですが、今年は何かと縁があったみたいで、今までになく沢山の印象的な桜を楽めたと思います。
では、この日最後の目的地に向かいまししょう。
■千年希望の丘(2016.04.09 宮城県岩沼市)
柴田町からお隣の岩沼市の沿岸部へ向かいます。海より百メートルほど内陸を走る県道125号線沿いは、真新しい家と、恐らく取り壊されずに放置された廃墟が点在する以外には何もない土色の平野でした。もう5年経ちましたが生活感は希薄なままです。防潮堤の建設とか田畑の塩害とか、きっと様々な要因があるのでしょう。
仙台空港のすぐ東側は、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた下野郷地区。その一角に「岩沼市立千年希望の丘」はあります。
「岩沼市では、2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災において沿岸部が壊滅的な被害を受けました。その大半は大津浪による被害で、私たちは物理的に防御できない津波の存在を知りました。このような大自然の災害と共存していくため には、大自然の力を完全に防御するのではなく、災害時の被害をいかに最小限に食い止めるかという「減災」の考え方を基本に、まちづくりを進めていく必要があります。 「千年希望の丘」は、津波の力の減衰や避難場所として活用するとともに、再生可能な震災廃棄物を活用した築造により、この大津波の痕跡や被災者の想いを後世に伝え、さらに集落跡地等の遺構の保存による震災の記憶や教訓を国内外に 発信するメモリアル公園と防災教育の場として整備をすすめていきます(宮城県資料より)」
今回の宮城行きにあたって、ここに子供を連れて行き、あの日に起きたことをしっかりと伝えたい、と考えました。
現地は綺麗に整備された公園になっています。まだ整備半ばと思われますが、園内のあちこちに津波の被害を伝えるボードが立っていました。

被害をリアルに伝える遺構も残されています。
倒れた火の見櫓。

基礎を残して流出した家屋の跡。
ここは以前は桜が綺麗に咲いていたそうです。
流されたトラック。

高さ10mのこの丘は震災瓦礫を再生して作られているとのこと。
5年前にこの地を襲った津波は高さ8mに達したそうですが、この丘はその津波から人を守れる高さに作られているそうです。
登ってみると、数百メートル先に海が見え、否が応にも押し寄せる津波を連想してしまいます。

この丘の上で4歳の息子に、君が生まれた年にこの場所で大きな地震が起き、程なく大きい津波が押し寄せたこと、その津波で沢山の家が流されてしまったこと、多くの命が失われたこと、人間は自然の力には勝てない事、もし自分に津波が迫ったらとにかく高い所へ逃げること、逃げた人の多くは助かったこと、助かった人は大変だけどこれから力強く生きていこうとしていること、君たちが毎日普通に暮らしていることは実はとても幸せなこと、災害にあって困っている人がいたらみんなで力を合わせて助けてあげること、などゆっくりと説明しました。
息子は小さいなりにここで何やら深刻な事態が起きたという事は分かったみたいで、神妙な顔をして聞いてくれていました。
丘を下りると、慰霊塔で手を合わせてくれました。
この慰霊塔は、当時の津波と同じ8mの高さになっているそうです。
千年の丘から少し離れたところに、もうひとつ重要な遺構が残されています。
「旧鈴木邸」と呼ばれており、元は恐らく立派な地主さんの家だったのだろうと思われますが、押し寄せる津波に1階部分の殆どが流されてしまい、柱と2階部分のみが残った状態のまま、この場所に立ち続けています。残酷な津波の威力を実感できる貴重な建物です。
驚かされるのはしっかり残った柱。一般の住宅では使わないような強固な木材を使って建てられたのでしょうか。

因みに、この家の主だった鈴木さんは、当時仙台空港周辺の駐車場を経営していたそうですが、空港ビルに避難して助かったのだそうです。

ボロボロになった家屋と、早い段階で復旧された近代的な仙台空港のターミナルビル。余りに対照的な風景で、複雑な想いを抱きそうにもなりますが、あの建物があったことで助かった命も多かったのでしょう。

関東に住む私たちにとって、東北の震災は正直遠く離れた地の出来事という意識がありました。でも、この地で起きた出来事を決して忘れることなく、新しい世代に知ってもらい、自然災害の恐ろしさをそれこそ千年先まで語り継ぐことが、生かされた私達がやらなくてはいけないことのひとつなんじゃないかと思っています。
この後、宿で合流した某社長に「津波が起こったらどうすればいいの?」と聞かれた息子、「ひなんする!」としっかり答えてくれました。よしよし、頼もしいぞ。
最後に、この度の熊本地震で被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。