ジュネーブ条約の第三条約は捕虜の扱いを定めています。
この第三条約こそ、いわゆるジュネーブ条約として有名です。
捕虜というのは敵の手に落ちた兵士等ですし、捕虜収容所に押し込められていたりするので、
私たちはまるで「囚人のようなもの」を想像してしまいます。
しかしこの条約が発効する「戦時下という状況」、
つまり一般国民も権利の制約を受けることが多いという状況を考えると、
ジュネーブ条約が捕虜に与えるさまざまな権利は、一般的な人権から始まって、
ついには特権と申してもよいようなものまで含んでいます。
まずは一般的人権のようなところから・・・
第十三条〔捕虜の人道的待遇〕では
捕虜にたいして常に人道的に待遇して、死に至らしめたり、健康の危険を及ぼすものを禁止し、身体で医学的科学的実験をするのはだめ。
捕虜を常に保護しなければならず、暴行や脅迫や侮辱されないようにし、公衆の好奇心からも保護しなければならないとしています。
もちろん捕虜に対する報復措置は禁止です。
続いて第十八条〔捕虜の財産〕では
個人用品やヘルメット・防毒面や防護具は、捕虜が引き続いて所持できます。
捕虜の衣食のために用いられる物品も正規の軍用装具に属するかどうかを問わず捕虜が引き続いて所持できます。
捕虜は常に身分証明書を携帯を義務付けられていますが、身分証明書を所持していない捕虜には抑留国が証明書を支給します。
階級及び国籍を示す記章・勲章・個人的又は感情的価値のみを有する物品(写真とか手紙とかアクセサリーとか・・・)は捕虜から取り上げてはなりません。
捕虜の金銭は、将校の命令によってでなければ、かつ、金額及び所持者の詳細を特別の帳簿に記入し、並びに受領証発行人の氏名、階級及び部隊を読みやすく記載した詳細な受領証を発給した後でなければ取り上げてはなりません。
抑留国は、安全を理由とする場合にのみ、捕虜から有価物を取り上げることができますが、金銭と同様に受領証を発給します。
続いて第二十二条〔抑留場所及び抑留条件〕では
捕虜は衛生上及び保健上のすべての保障を与える「地上の建物にのみ」抑留することができます。
捕虜は捕虜自身の利益になると認められる特別の場合を除いて懲治所(反省房とか)に抑留してはなりません。
ちょっと考えさせられるのは
第四十六条〔条件〕で
抑留国は捕虜の移動について捕虜の送還を一層困難にしないことについて考慮しなければならない。
・・・とあることで、
これはシベリアの奥地に抑留された日本人のことが思い起こされ、涙を誘う記述です。
また、同条で
捕虜の移動は常に人道的に且つ抑留国の軍隊の移動の条件よりも不利でない条件で行わなければならない。捕虜の移動については常に捕虜が慣れている気候条件を考慮しなければならず、移動の条件はいかなる場合にも捕虜の健康を害するものであってはならない。
・・・とあり、この記述はバターン半島死の行進を思い起こさせます。
ちょっとわき道にそれますが、
バターン半島死の行進とは、大東亜戦争中に日本軍がフィリピン・ルソン島のマニラ湾西岸となるバターン半島でマッカーサーを逃げ出させるほどの大勝利をしてしまったときに、
投降してきたアメリカ兵とフィリピン兵が「想定よりも遥かに遥かに多かった」ので、貧乏な・・・というか海外補給の極めて弱い日本軍では収容所のある都市まで陸送できず、仕方なしに「日本兵も一緒に」、4月とはいえ灼熱のフィリピンの地を88kmも歩いたんですな。
食料も水も乏しく、衛生状態も悪い極限状態の中で約7万6千名もの捕虜のうち約5万4千人が収容所まで辿りついたとされています。
で、その差し引き2万2千人のうち1/2~1/3が死亡。残りは行進の途中で脱走したものと見られています。なにせ日本兵より捕虜の方が多いし、日本兵だって極限状態で犠牲者を出している中なので監視は緩かったそうです。
で、バターン半島死の行進は東京裁判と同じく事後法で戦勝国が裁くという野蛮なマニラ軍事裁判で取り上げられて、日本側の責任者が有罪として処刑されました。
真に口惜しい事件です。
また、なおのこと口惜しいのは
2008年12月と2009年2月に、藤崎一郎駐米大使が、バターン行進の生存者で作る団体「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」に対して日本政府を代表し、
バターン死の行進について「村山談話」に則って公式に謝罪した。また2010年9月13日には
岡田克也外務大臣が元捕虜と外務省で面会し、現職の外務大臣として初めて謝罪している(wikipediaから)
ということですな。
売国政治家の自己満足に使われているという事実です。
さて、ここからは戦時の苦しく貧乏な生活を聞いている人にとっては、ちょっとアレ?と思うかもしれない条文です。
第五十条〔承認された労働〕では
捕虜に対して収容所の管理・営繕又は維持に関連する労働の外、次の種類に含まれる労働に限り、これに従事することを強制することができる。
○農業
○原料の生産又は採取に関連する産業、製造工業(や金業、機械工業及び化学工業を除く。)
○軍事的性質又は軍事的目的を有しない土木業及び建築業
とここまではイメージ通りwですが、
○軍事的性質又は軍事的目的を有しない運送業及び倉庫業
○商業並びに芸術及び工芸
○家内労働
○軍事的性質又は軍事的目的を有しない公益事業
・・・となるとちょっとアレ?な気がしますね。
そして、
前項の規定に対する違反があった場合には捕虜は、第七十八条に従って、苦情を申し立てる権利を行使することができる。
となると、戦時にこれはもう特権といえますな。
もちろん労働の対価は支払われます。抑留国の一般国民の労働対価と同レベルの金額で。
しかも兵隊としての給与も支払われます。
第六十条〔俸給の前払〕で
抑留国は、すべての捕虜に対し、毎月俸給を前払しなければならない。その額は、次の額を抑留国の通貨に換算した額とする。
第一類 軍曹より下の階級の捕虜 八スイス・フラン
第二類 軍曹その他の下士官又はこれに相当する階級の捕虜 十二スイス・フラン
第三類 准士官及び少佐より下の階級の将校又はこれらに相当する階級の捕虜 五十スイス・フラン
第四類 少佐、中佐及び大佐又はこれらに相当する階級の捕虜 六十スイス・フラン
第五類 将官又はこれに相当する階級の捕虜 七十五スイス・フラン
と、金額こそ60年前の(^^;な金額のままですが、支払う義務と貰う権利があるのです。
とまあ、特権のオンパレードが延々と第七十七条まで続きます。
しかも将校と一般兵では待遇が異なることが多い。将校の特権というのは世界では当たりまえなことですが、「上が率先して・・・」という日本人の気質や倫理観では理解しがたいことですね。
ただし、この特権を享受できるかどうかは、まず捕虜となれるかどうかにかかっています。
第一条約でも紹介しましたが捕虜の資格とは
第四条〔捕虜〕で
A この条約において捕虜とは、次の部類の一に属する者で敵の権力内に陥ったものをいう。
(1) 紛争当事国の軍隊の構成員及びその軍隊の一部をなす民兵隊又は義勇隊の構成員
(2) 紛争当事国に属するその他の民兵隊及び義勇隊の構成員(組織的抵抗運動団体の構成員を含む。)で、その領域が占領されているかどうかを問わず、その領域の内外で行動するもの。但し、それらの民兵隊又は義勇隊(組織的抵抗運動団体を含む。)は、次の条件を満たすものでなければならない。
(a) 部下について責任を負う一人の者が指揮していること。
(b) 遠方から認識することができる固着の特殊標章を有すること。
(c) 公然と武器を携行していること。
(d) 戦争の法規及び慣例に従って行動していること。
(3) 正規の軍隊の構成員で、抑留国が承認していない政府又は当局に忠誠を誓ったもの
(4) 実際には軍隊の構成員でないが軍隊に随伴する者、たとえば、文民たる軍用航空機の乗組員従軍記者、需品供給者、労務隊員又は軍隊の福利機関の構成員等。但し、それらの者がその随伴する軍隊の認可を受けている場合に限る。このため、当該軍隊は、それらの者に附属書のひな型と同様の身分証明書を発給しなければならない。
(5) 紛争当事国の商船の乗組員(船長、水先人及び見習員を含む。)及び民間航空機の乗組員で、国際法の他のいかなる規定によっても一層有利な待遇の利益を享有することがないもの
(6) 占領されていない領域の住民で、敵の接近に当り、正規の軍隊を編成する時日がなく、侵入する軍隊に抵抗するために自発的に武器を執るもの。但し、それらの者が公然と武器を携行し、且つ、戦争の法規及び慣例を尊重する場合に限る。
B 次の者も、また、この条約に基いて捕虜として待遇しなければならない。
(1) 被占領国の軍隊に所属する者又は当該軍隊に所属していた者で、特に戦闘に従事している所属軍隊に復帰しようとして失敗した場合又は抑留の目的でされる召喚に応じなかった場合に当該軍隊への所属を理由として占領国が抑留することを必要と認めるもの。その占領国が、その者を捕虜とした後、その占領する領域外で敵対行為が行われていた間にその者を解放したかどうかを問わない。
(2) 本条に掲げる部類の一に属する者で、中立国又は非交戦国が自国の領域内に収容しており、且つ、その国が国際法に基いて抑留することを要求されるもの・・・。
という「難しいw要求事項」を満たしておかなければなりません。
ではこの要求事項を満たしていない場合はどうなの?捕虜にはなれないの?という疑問が沸きますね。
その答えは「ケースバイケース」です。
抑留側の恣意によります。
恣意を挟みこむ余地をできるだけ少なくするように「難しい要求事項を簡潔に」かつ「平時から」国民を教育するのが条約締結国政府の「義務」なのです。
残念ながら日本政府がそういう努力をしているとはとても思えません。
ジュネーブ条約は国家間の戦時国際法です。
近年は国家対テロ組織の戦争が起きており、ジュネーブ条約は役に立たないという指摘もあります。
それはその通りかもしれません。
しかし、必要なことは例えばジュネーブ条約を学ぶことで平時にあっても戦時国際法を意識し、もって国際法を意識し、国際間の秩序に強く興味を持っていくという態度が重要だと思うのです。
第四条約を残していますが、
一応今回でジュネーブ条約の記事は終わりにします。<(_ _)>お後がよろしいようで。