
「違いが明確」ということについて解りやすい事例だと思いますw
-------記事引用---------
東日本大震災 菅首相、福島・田村市の避難所を訪問 避難住民から怒りの声も
FNN 2011年4月21日 17:23
菅首相は21日午後、東日本大震災の被災地である福島・田村市の避難所を訪問した。
菅首相は「国として全力を挙げますので、それが一番だと思っています。本当に大変でしょうが」と述べた。
これに対し、避難している人は「どうぞよろしくお願いします。わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」と話した。
その後、帰ろうとした菅首相に、住民から「もう帰るんですか、もう帰られるんですか」との声が
あがった。
この声に、菅首相が戻ってきたが、住民の怒りは収まらなかった。
避難している男性は「そういう無視されたら、どうするんですかおれたちは」と話した。
さらに避難している女性が「すごく傷つきました」と話すと、菅首相は「すみません、あの、知らなかったものですから」と話した。
これに対し、避難している男性は「知らなかったって、おれら、ここで待ってましたよ、総理」と話した。
「総理が来るっていうから待ってるのに、ここ通り過ぎられていったら、どんな気持ちかわかりますか?」と話す女性に、
菅首相は「本当にごめんなさい。そんなつもりで通り過ぎるつもりはなかったんですよ。すみません」と謝罪した。
避難している女性は「信用できるものも、なかなか信用できないですよね」と話した。
菅首相は、涙ぐむ母親に「全力を尽くしてやっている」という言葉を繰り返すしかなかった。
--------引用ここまで-------
もちろん、現役の総理ですから
スケジュールは分秒刻み。長い時間を避難所訪問に割けないのでしょうし、
次の予定行事に遅れるわけにいかないのでしょうね。
自身でいくつもいくつも無駄な会議を作ったせいでの忙しさもあるでしょうけどw
訪問される側の気持ちを推し量るということは全く出来ないんでしょうね。
そもそも他人を思いやるという心(というかズバリ「人間性」ですな)が決定的に欠如しているんですな。
しかし、それくらいの心遣いは、取り巻きだって解んなくちゃいけません。
>避難している人は「どうぞよろしくお願いします。わざわざ来ていただいて、
ありがとうございます」と話した
・・・は取り巻きが作ったヤラセでしょうな。
ロクな取り巻きが居ないのだということも読み取れますね。
ところで、訪問先でナジられる・・・といえば、先代も負けてませんぞw
--------(ちょっと懐かしいですが)記事引用-------
鳩山首相 沖縄“おわび”行脚 怒号「本当に総理か」 女性詰め寄る場面も
産経新聞 2010年5月5日 08:00
米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、就任後初めて沖縄を訪問した鳩山由紀夫首相。
昨年の衆院選で移設先を「最低でも県外」と訴えながら、県内移設を示唆することになり、
ひたすら低姿勢の“おわび行脚”に終始した。
「本当に総理か」。地元からは首相の軽すぎる言葉に怒りが集まった。
県庁で行われた仲井真弘多知事や高嶺善伸県議会議長らとの面談は歓迎ムードとは
ほど遠い雰囲気。
花束を渡す際にも、司会者がわざわざ「慣例なので」と断りを入れて冷ややかな空気が流れた。
普天間飛行場の早期返還と国外・県外移設などを求める要望書を手渡された首相は
「新政権をつくらせていただく際、『最低でも県外』と申し上げたことは事実。
言葉の重みはしっかりとかみしめなければならない」と“ざんげ”した。
その後、宜野湾市のホテルでは周辺首長との懇談会が開かれ、那覇市の翁長雄志市長が
「沖縄県民の心をもてあそぶことになるのか、
沖縄の自立の礎を築いた政治家になるのか、今が正念場だ」と訴えた。
普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校の体育館に住民約100人を招いて開かれた
対話集会でも怒りの声が相次いだ。(以下略)
-------引用ここまで-------
・・・と、こちらも桁外れのアフォさでしたね。
日本の総理大臣といえば、本来は世界屈指の重鎮です。
その座を2代続けてここまで貶めたのですからね。酷いものです。
このようなクズを続けて首班指名した民主党は、全員が万死に値すると思いますよ。
一方、こうした記事があります。
-------記事引用-------
麻生元総理 相馬市民を激励
相馬市HP
元総理大臣・麻生太郎衆議院議員が3月24日、本市を訪問し避難所となっている中村第一小学校
などを視察し、市民を激励しました。
麻生氏はまず、相馬市役所を訪れ立谷市長と会談後、老人保健施設ベテランズサークルを視察、
入所者らに励ましの言葉をかけました。
中村第一小学校では、避難者のいる教室を一つひとつ回り、「生き残った者ががんばらないと」などと
激励しました。
麻生氏に同伴した立谷市長も同小学校の避難者に「みんなと一緒にここでがんばる。食べ物も
持ってくるからがんばろう」とエールを送りました。
麻生氏は災害対策本部会議にも参加し、市内の復興作業の状況などの報告を聞いたあと、
今回の震災の犠牲者への哀悼の意と作業関係者をねぎらうあいさつを述べました。
そのあと、相馬産のしいたけやトマト、避難者に配給されているものと同じサバ缶やおにぎりを食し、
視察を終えました。
-------引用ここまで-------
自治体のHPですから淡々と事実を書いているだけのはずなのに、なぜかそこかしこから訪問を受けた嬉しさが伝わってきますなw
大手マスゴミは麻生さんのことを記事にしていませんね。黙殺しています。
被災地の野菜を食したのは麻生氏が先ですけどね。
さて、さらにもうお一人の元総理、がんばっておられますよ~
-------記事引用(ちょっとばかし長すぎるので結構省略しましたがまだ長いw)-------
【安倍元総理と被災地に救援物資を輸送:南相馬市、相馬市、新地町を激励訪問】
世耕日記(参議院議員 世耕弘成氏のブログ)2011年03月28日
(3月26~27日にかけて)安倍晋三元総理と私とで被災地の避難所に救援物資を届けた。
運送会社の協力で10トントラックと4トントラックを用意し、安倍さんと私以外には
安倍事務所の秘書一人とトラックの運転スタッフのみ。警護のSPも同行させず、事前告知も
行わず、あくまでも個人として救援物資を届けるという目的で訪問した。
訪問先は地震、津波、原発事故の三重苦に見舞われている福島県南相馬市、相馬市、新地町。
20キロ~30キロ圏内の屋内退避地域にも足を踏み入れた。
地元で活動する現在落選中の亀岡偉民・前衆議院議員が案内役を買って出てくれた。
物資は安倍事務所と世耕事務所が手分けをして企業等に依頼して集めた物や、安倍さんが地元
下関で行った
募金活動で集まった義援金で購入した物だ。事前に入念に調査を行い、避難所で真に必要と
されている物を用意した。
主な物資はおむつ、女性用ナプキン、トイレットペーパー、ウェットティッシュといった紙製品。
靴下、下着、トレーナーといった衣類。ミネラルウォーター、あられ、菓子パン、カップ麺といった食品。
マスク、タオル、歯ブラシセット、綿棒といった衛生関連用品、等々だ。
午前8時前に議員会館近辺で安倍さんと落ち合い、二人でトラックの乗員席へ乗り込んで出発した。
(中略)
避難所にはちょうど自衛隊の物資が届いたばかりで、その物資を避難者に配布する人手が必要
だったため、急遽安倍さんとともに手伝った。
行列する避難者の皆さんに家族の人数を確認して、カップ麺を渡すという作業だ。
行列していた皆さんは安倍さんに気づいて一様にびっくりしていた。物資を手渡した後、体育館に
設けられた避難所内に入って皆さんを激励し要望等を聴かせてもらった。
(中略)
その後相馬市に移動。市内の避難所を訪問。歯ブラシが足りないとのことだったので、持参の
歯ブラシをお渡しした。
この避難所は津波で家を失った家族の方が多数入っておられる。子どもの姿も目立った。
安倍さんは各部屋を訪問して被災者の皆さんを激励した。
さらに新地町に移動し、町役場にある対策本部を訪問。町長、医療チームの皆さんから話を
聞かせてもらった。
(中略)
新地町を後にして再度福島市内へ移動。福島市内にある、南相馬市から避難している方々の
避難所を訪問、激励。
最後はボランティア活動で頑張っている亀岡事務所を訪問し、スタッフの皆さんを激励した後、
福島県を後にした。
東京に着いたのが午前2時だった。
(中略)
今回の訪問で安倍さんは訪問した避難所にいる被災者一人一人に膝を付いて激励の言葉をかけ
握手をしていた。
安倍さんに対して厳しい言葉をぶつける人もいたが、要望や苦情を述べる被災者の前では正座を
してじっくりと話に耳を傾けていた。
親族の火葬の手続きのために距離が離れている役場や警察を歩いて回らなければならない実情を
訴えられたりもした。
亡くなった息子さんの遺体の写真と火葬の通知書を握りしめているお母さんからも痛切な話を
聞かせてもらった。
一方で多くの被災者から「よく来てくれた」との声もかけてもらった。携帯で安倍さんとの記念撮影を
求める人も多かったが安倍さんは積極的に応じていた。
元内閣総理大臣の突然の訪問が被災者の皆さんを少しでも勇気づけ、希望を持ってもらう機会にな
ったならばと念じている。
また今回の訪問で聴かせていただた要望、苦情はきちっと政府に伝え、自民党の活動にも
フィードバックして、一日も早い生活再建につなげていきたい。
--------引用ここまで-----------
こちらの活動もマスゴミは無視してます・・・。
で、読んでみてどうです?この違い。
もちろん麻生・安倍両名は、現総理よりも時間的余裕は充分にあることでしょう。
でも、時間の差よりも、もっともっと大きな差があることが読み取れますよね。
そうです。
「国民との心の距離を縮めようとする気持ちと努力」です。
確かに自民党は制度疲労を起こしていました。
いまの自民党では、支持することを大きく躊躇するのは確かです。(タニガキじゃね・・・Orz)
麻生・安倍両名の総理大臣としての生命は、その思い半ばで奪われました。
マスゴミと民主党とその他のクズ野党の攻撃の前に彼らが折れたのは、
日本人の目が雲っていて、彼らを支えることを一方的に辞めたからです。
しかし、彼らはその日本人を信じて、エールを送り、また民度が上がることを願っています。
彼らがまた桧舞台に立つかどうかは解りません。
自民党に居る限り、難しいことではないかと思います。
彼らが檜舞台に立つか否かには関係なく、次世代の政治家には是非とも彼らから多くを学んで欲しいと思いますね。
国民との心の距離を縮めようという気持ちと努力がこそが「国民目線」というものでしょう。
(国民目線という言葉は、私は大嫌いですがw)
国家と国民の生命財産と生活を第一だと真にホントに思っているのは誰か。
早々に来るべき衆院総選挙までにしっかりと見ていきたいところです。