
イギリスの作家ジョージ・オーウエルによる小説「1984年」。
あらすじは・・・というと、
-------ウィキペディアから引用----------
http://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらにウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライアンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら"心から"党を愛すようになるのであった。
------------引用ここまで---------------
歴史は過去も未来も捏造に捏造を重ねて、支配者「ビッグブラザー」すら本当に実在するのかすら定かでないほどです。
異常な憎悪と恐怖が支配するよう仕向けられ監視される社会。
監視される者が同時に他を監視するという密告社会。
なんという恐ろしい社会でしょう。
こんな社会はイヤだと言うひとが日本ではほとんどを占めていることでしょう。
しかし
人権救済法に定められる人権委員会への「提訴」はまさしくこの「密告」に相当します。
人権擁護、人権救済の手段は現行の法令と制度、それに行政によってすでに整備されています。
もはや制度や手段としては十分なのです。
人権救済法は屋上屋を重ねるものです。
のみならず、それがもたらす密告と恐怖は社会の健全性を脅かします。
さて、制度や手段はすでに充分なのに、いまだに人権問題が解消していないのはなぜか?
って・・・思われる人もいるでしょうね。
それは、現状の制度の適正な運用がスムーズに行かないからです。
そこを解決すれば済む話なのです。
重ねて強調しますが、密告がもたらす恐怖と、自由を脅かす強制力は
あの悪名高い「治安維持法」の再来となるだけです。
さて、それではなぜ、現行制度のスムーズな運用が行われないのでしょうか?
その答えは「1984年」の世界になくてはならない「ダブルシンク」という思考法がヒントになります。
------------またウィキペディアから引用-----------------------
ダブルシンク(doublethink、二重思考)は、1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、オセアニア国民に要求される思考能力である。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。
過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する
政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するためである。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。
古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と
オブライエンの言によれば、かつての専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。近代のソ連やナチス・ドイツなどは人々に理想を押し付けようとした。今日のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には「自由意思」で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処刑される。
2足す2は5である(2+2=5、Two plus two makes five)
この小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいには党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる
-----------引用ここまで--------------
変な思考法でしょw
でもこれ結構、既にお持ちの方が少なくないw
「矛盾」ということに焦点を当てて、誰がスムーズな運用を妨げているのか、探してみてください。
ズバリ書くとこの記事は友愛されちゃいますwので書きません。
このダブルシンク、
自分はそんな考え方はしないよ。
と思われる方がほとんどだと思います。
しかし、冷静に考えてみてください。
あなたの「人権を大事にする」という考えと「人権救済法が必要だ」という考えとでは
本当に矛盾が存在していませんか?
矛盾が存在しているのに気づかない・・・そういう人もいるかもしれませんが、
実のところ、矛盾していることに気づいているのにもかかわらず、2つの矛盾していることを
「同時に信じる」というダブルシンクをしていませんか?
そうであればもうあなたは既に「1984年」のビッグブラザーに魂を渡してしまっていますよ。
人権救済法案を否定することで、自分の魂を自分に取り戻してください。
自分で「人権とはなにか」を「人権を守るとはなにか」を「自分の中では矛盾が極小になる」まで考えを高めるようにしたいものです。
残念ながら矛盾は完全消滅はしません。人間に「主観」がある限り。
国家による人権侵害は許されません。
と同時に、個人間の問題に国家が人権救済と称して介入してくるのもまた許されません。
国家による人権侵害を引き起こす「恐れ」すらもあらかじめ排除されていなくてはいけないからです。