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自衛隊は是か非か
是と思うものは手を上げろ
次に
非と思うものは手を上げろ
たしか高校一年生の時
「政治経済」の授業で、いきなり挙手をさせられました。
クラスの人数は45~47人だったと思います。
「是」は私を含めて2名。
他は全員「非」
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私は別に政治を勉強したり研究したりを生業としていたりというわけではありません。
政治家を志しているのでもありません。
製造業に従事する、そこいらにいるおっさんです。
なのに、どうして政治に関わる記事をUPしたりコメントしたりするか。
それには少年時代のある思い出が今も自分の中に灯を掲げ続けているからだと思うのです。
今回はそのお話をちょっとだけ。
さて、時間はずっと遡って私の幼少時代。
私の母は、先の大戦の最中に小学校へ入学した世代です。
終戦直後には、自分で教科書に「墨塗り」をしたって話を幾度も聞きました。
空襲の怖さや、戦後の物資不足がいかに惨めであったかを、就寝時には枕を並べて幾度も繰り返して語っていました。
食事の前には欠かさず家族全員で合掌して
「箸とらば 天土御代の御恵み(はしとらば あめつちみよのおんめぐみ) 兵隊さんありがとう」と唱えた。
なんてことも幾度も聞いて私は育ちました。
(私は唱えたことはありませんが)
ですから、私は「兵隊さんありがとう」に違和感を感じないようなバイアスが幼少期に既にできあがってあったのかもしれません。
さて、すこし時は過ぎて1970年代後半、まだ世の中には
教科書問題
靖国問題
慰安婦問題
南京事件問題
の無い時代であったにもかかわらず、いわゆるサヨクや進歩的文化人は元気がよく、浅間山荘事件後のシラケ気分もなんのその、革命がだめなら合法的に自衛隊を潰せとばかりに国家や自衛隊を攻撃していた頃です。
(この攻撃は村山富市が自衛隊を合法だと認めるまで続いたのです)
(というか、この後しばらくしてサヨクは自分たちの力が衰えてきて、それを回復もしくは延命されるために「諸問題」を捏造する必要がでてきたのかもしれませんね)
いわく、自衛隊は憲法違反。
それも9条違反というのならまだ分かりますが、元気が良すぎたんでしょうな。勇み足でか、こんなことまで言ってました。
自衛隊は憲法18条違反だ というのです。
第18条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。(中略)苦役に服させられない。
なんと志願制である自衛隊を苦役禁止を理由にして違憲だというのですな。
(これって、広義の強制性っていう慰安婦問題の「方便」に考え方が似てますねw)
私は小学校高学年でしたが、すこし背伸びをしてたんでしょうね。
当時売り出し中であった竹村健一氏の著書なんぞ読んでまして、
その中にこの憲法18条をもって、国を守るという崇高な使命を持っているはずの自衛隊を、違憲と騙る左翼って変だぞっていう旨の行りがありました。
このとき、私のなかで「兵隊さんありがとう」と「崇高な使命」が綺麗に結合したのですね。
(竹村氏の これだけ手帳 とか デリーシャス とか流行ったのはこのしばらく後のことでした)
そしてさらに時が過ぎて、冒頭の「政治経済」の時間。
是と思うものは手を上げろ
思わず手を挙げちゃいました。
まさかたったの2人だけとは思いませんでしたが。
政治経済の授業はその後、幾回かに渡って(2週間くらいでしたかね)クラスを「是」派と「非」派とで二分してのディスカッション。
「是」派は私の他にもう一人いたのですが、これがまったくの戦力外。
私に「力になれなくてごめんね」と優しいのですが、本当にまったく何もしてくれないのでw
実質「是」派は私一人。
私は一人でクラスのほぼ全員を相手取って論破しなくてはいけないので大変ですw
そして、自衛隊の話のはずなのに、どうしても先の大戦の話になってしまう。
ですから論破するには過去と現在の両方に整合性を持たさなきゃいけないので一層大変w
数日後にはまた政治経済の授業があるので、それまでに自分の意見に筋があることを証明する資料を集めなければいけません。
しかし、当時はインターネットなんて便利なものはありません。
本屋や図書館に行って「それらしき」本であることを自分の目や鼻を使って嗅ぎ分けて見分けて、その本をむさぼるように読んで、「おいしいとこ」を見つけだして、
しかも店頭では堂々とメモなんて取れませんから、そのセンテンスを覚えて咀嚼しなくてはいけません。
それに、地方都市ですので本屋に行ったところで、それらしき文献は極めて少ないですし、図書館だってそういった「危険な書籍」wはほとんど無いので、見つけ出すのが大変でした。
本屋さん。(いつも)立ち読みしてました。ごめんなさい。
(あ、いまだにしてるけど・・・・w)
さて、ようやく先の大戦の直接の原因がアメリカによる石油禁輸とハルノートであることを知るわけです。
小中学校の歴史の教科書にはそんなこと載ってません。ハルノートって名前くらいは有ったかもしれませんが、それが何物かなんて中学生レベルで知ってる奴なんていません。
また、戦争直前の新聞が戦争賛成一色で、 政府や軍部は甘い。何をしているのだ! とまるで火病状態であったことも知るわけですw
(日中戦争については、まだこの頃の私の念頭には無い)
知ると、それを次の授業で発表するわけです。
すると反論があるんです。
石油くらいが何だというのだ。
石油くらいのことで戦争なんかするはずがない。
なにせ、人命は地球よりも重いとだけ吹き込まれて15年間も育てられている人たちですし、石油不足で苦労なんかしていないから、どうにも府に落ちないようです。
実はそこから遡ることしばらく前、昭和48年にオイルショックがあったのです。
しかしまだ小学校低学年のガキですから経験といえるようなものではない。トイレットペーパー買うのに行列作ったことをTVで見てた程度。
(あとで分かったことですが、オイルショックの間も日本の石油輸入量は増え続けていました)
その中途半端な経験を根拠として反論してくるのがいるんですな。
オイルショックの時だって戦争は起きなかった。と。
で、仕方がないから次の授業までに調べるんです。なぜ石油禁輸が戦争を起こすほどの理由になるのかと。
しかし、資料は無いですからね。自分で稚拙ながら論理を組み立てるわけです。
当時のことはわからずとも、今、石油が無くなったらどうだろうか。それって当時だって同じことなのではないかと。
まぁ、高校生が思いつく範囲ですからね。そんなに深くはありません。
まず直接的に燃やして自動車や船舶や飛行機を動かす燃料。
それと産業機械の動力燃料や潤滑材。樹脂の原料。
それと発電。
食料と石油の関係
たとえば米を作るんだって、米を作るには種籾を入手するのにも水を得るにも、農薬にも、刈り取り機械にも、流通にも、炊飯にも石油由来のエネルギーが使われている。
石油が無ければ米も食えない。
それは一例だけど、当時の繊維を主力とする軽工業や芽生え始めた重化学産業だって石油を必要とした。
だから先の大戦は一部の軍部の暴走などでなく、産業界も一般人も新聞もこぞって戦争賛成だったのだと。
(商売人は本能的に戦争を嫌います。しかし大戦直前には商売人であるところの財閥すらも戦争を反対しなかった。むしろ推進。)
でもまた、次の奴が言うんですわ。現在の防衛予算が無かったら、日本の福祉はもっと進むと。
あるいは防衛予算分の税金を取らなければ日本の経済はもっと繁栄するんじゃないかと。
(当時は 防衛費1%枠 なんて考え方があって、防衛予算はGNPの1%までという強い自主規制枠(三木内閣の閣議決定)があったのです。)
(しかしながら防衛予算は福祉予算よりも多かった。いまでは考えもできないことですけどね。)
この宿題もまた次の授業までに勉強しなきゃいけません。
この時に必死に見つけ出してヒントをもらった本は、堺屋氏の「油断!」。小説ですが、
戦後の日本の経済発展は、石油が安定的に安価に入手できたからであって、その効果の前には防衛費負担程度は軽く吹っ飛ぶ。と。
まだまだ受難wは続きます。
酷いことに、「是」か「非」の判断基準を、「国として必要か不要か」に置くのではなくて、
憲法9条に書いてるから「非」だ。歯向かう奴は憲法違反だ。(つまりは「黙れ」)などと頭ごなしに言う者までいましたな。
(それじゃ「授業の課題」となっているディスカッションが成立しませんw)
純粋自衛のための自衛力まで放棄するってことがどんなに愚かなことか、自分でちゃんと考えたことないんでしょうな。
この意見に対しても反論しなくちゃいけません。なにせこっちは一人ですから。
で、また勉強して
世界の国は全て自国の軍は自衛のためだけのものと言っている。どうして日本だけが専守防衛の自衛隊を持ってはいけないのか?
憲法が現実にあっていないのではないか。と再反論するわけです。
まぁ、高校の授業程度のレベルでしたので、この程度で「非」派は黙っちゃいましたね。
大勢側は私に宿題を押し付けるだけで、自分たちは何も勉強しませんもの。
信念はない。情熱もない。センチメンタリズムだけでものを言ってるんです。
そして大勢いるので、「誰かがやってくれるだろう」と。
しかしこっちは一人きりなので本気でしたからね。
まだ当時はハト派とかタカ派とかって呼び方が流行ってましたが、私はまだその意味がよく分かってもいなかった少年時代。
懐かしい思い出ですな。
(ハトだってクチバシや爪で突っつき返すけど、「非」派ならば「クチバシを抜いちゃえ」とか「爪を剥いじゃえ」とか言うのかな?「非」派って残酷ぅw)
授業(ディスカッション)には教師はほとんど口を出しませんでした。
そして、その学期の終わり。渡された成績通知表。
当時は10段階評価で、10が一番良いのです。
果たして政治経済の成績は・・・・・
「10」でしたw
がんばって良かった。
30年以上も昔の記憶ですので、少しは脳内美化されてるかもしれませので少し割り引いて読んでくださいねw
それでも、今思えば良い教師に巡り合えたと思います。
先生も結構楽しまれたんだろうな・・あの授業。
恩師ですね。
お名前・・・忘れちゃいましたが・・・・・ <(_ _)> オアトガヨロシイヨウデ